緋色の長い髪、切れ長の翠の目、人並み外れた霊力と戦闘力、そして細い身体に似合わぬ剛胆な気質。
己を顕現した審神者であり、主従の線は引く物のどこか抜けている主。
鶴丸国永にとって己の主とはその程度の認識であり、それ以上でもそれ以下でも無かった。
刀の気質という物をよく理解しているとでも言うのか、戦刀にはそれらしい仕事を。
戦を嫌う美術刀や儀仗刀には他の仕事を与える事が多い。
「戦う力は生きる為、己を通す為には必要だ。が、そればかりでは脆くなる」
そう言って趣味を持つ者には道具を与え、趣味を持たぬ者には場や機会を与える。
まるで刀を人間の様に扱う不思議な御仁。
「神を卸すのが恐れ多い事だと知っているさ。だが付喪神なれば心もある。そのように扱うだけだ」
人の想いで宿ったのが貴方達なら、人間より心の有り様に過敏なのもまた貴方達だ、と言っていた。
刀だから、己のモノだからと顎で使う事もあれば尊重する事もある。
理由を聞けば自分の物は大事にしたい質だから、と言う。
真綿で包み込めば苦しかろう、飾って置けば飽きが来よう、籠の中に入れては息苦しさに死んでしまう。
だから手の内で遊ばせるのだと狐のように微笑む質の悪い人間。
(君の真はどこにあるんだろうなぁ)
恐らく気付いているのは自分だけ。
時折、三日月が寂しそうに笑うが主の明確な嘘など見抜けていないだろう。
ウソツキは9割の嘘と1割の本当を残すというが一体どれだけ当てはまるのか。
何と無しに物思いにふけていれば離れから彼の人が出てくるのが見えた。
常の背筋を伸ばした佇まいとは違い、ふらつく足取りで屋敷裏の井戸へと向かっていく。
あまりにも危なっかしいそれに、よもや井戸に落ちやしないかと気掛かりで近付いた。
「よう主、ちび達の所に居たのかい?」
「…………」
呼びかけに答えず井戸の縁に捕まって蹲る姿に顔を覗き込む。
生気の欠けた白い顔に、口の端に残る紅い跡。
仰天して手を引けば、手の平に溜まっていた血が滴った。
「どこか負傷を!?」
言ってからそれはあり得ないと気付く。
自分の子供達だと離れに雛達を囲ってからは自ら出陣に出向く回数が減った。
ここ数日間はろくに本丸から出ていない筈。
引かれた反動か更に嘔吐く主の背を擦れば、胃の内容物と思わしき物が真っ赤に染まって出てきた。
中枢からやられて居るのかと思い至り、井戸の水を汲んで口に含ませる。
その度に吐いていたが頻度が減り収まってきた頃に口元を拭いながら顔を上げた。
「……鶴丸、か……」
「君には悪いが薬研に診て貰うぞ」
力なく首を振って立ち上がった足は直ぐに力を無くして倒れ込んでくる。
普段ならひやりとする体温が今は熱い。
すぐさま足下から掬い上げて抱き締める。
荒い息が胸の内から聞こえてきて嫌でも弱っている事が分かった。
足を速めて薬事室の扉を蹴り開ける。
「薬研藤四郎、居るか!」
「なんだ、鶴丸の旦那か。あんま乱暴に開けっと大将に怒られるぜ」
「君の言う大将が大変だ、診てくれ」
早口にもの申せば肩眉を跳ね上げた薬研は鶴丸の腕の中の存在に気付いたようだった。
目を見開いて一瞬固まったものの、直ぐに手首の脈や首筋から体温を測る。
隣の部屋へと続く扉を開けながら、奥の布団に寝かすよう言いつけられた。
「どんな様子だった?」
「離れから出てきて井戸の所で血を吐いた。ああ、あと胃の中の物は水を何回か飲ませて吐かせた」
「適切な処理どうも。大将が呪いや穢れを負うとは考えられねぇし……毒物か、いや耐性がある筈……」
考えを口に出しながら整理をする薬研が部屋を出て行く。
恐らく医学書を確認しに行ったのだろう。
それか熱冷ましの氷か何かだろうか。
そういえば毒物と言えば主が好んで呑んでいる煙管に毒が入っていた事を思い出す。
「なんだって君は自分を殺すような真似を……」
「……死なないから、かな……」
掠れた声で小さく呟かれ、顔を見れば力なく翠の目が開かれていた。
起きたのかと声を掛けようとして、口元に立てられた指一つに意味を推し量る。
「寝てない……けど、熱がな…………やげんに、薬は不要だと」
「その様子だと原因を知ってるな。言ってくれ……いや、吐け」
「……レイリがな、薬を飲まなくて」
レイリ?と首を捻るが直ぐに子供の一人がそんな名前だったかと思い付いた。
他人の気配に敏感で酷く怯え、更に互いの霊力がどんな影響を与えるか分からないから近付くなと言明されている。
だが、その子供のせいでこんなになるほど弱ったのかと思うと舌打ちが出た。
そもそもここ最近の疲れはその子供を引き取ってからだ。
夜泣きをすると何度も走り出していく主を見ていた。
その分昼には寝ているのかと言うと通常通りの審神者業務とやらに明け暮れている。
更に他からの影響を遮断する筈の本丸内で閉鎖空間と霊力の逃げ場として狭間に穴を開けている始末。
本来なら一人の人間が出来る事ではない物を、式神6体を使う事で成し遂げていた。
他にも最大数の刀剣男子全てを顕現させている。
負担が大きくならない筈が無い。
「悪いな、緋翠。俺は君を存外気に入ってるらしい」
「へえ、光栄だな……」
「ああ、だから」
君に何かあったらあの子供達を殺す、と耳元で囁いた。
元々負わなくていい苦労を自分から背負い込むというなら、その荷を降ろしたくないというのなら。
それを引きはがすのも俺達の勝手だろう。
翠の目が見開かれ、首を小さく振られた。
「……やめろ……」
常とは違う弱った顔に、心が痛む。
ああこんな顔をさせたい訳では無かったのに、と。
けれど俺達の、俺の手から離れて行こうとするのならそれを阻止するしか無い。
奪われ続けてきた刃生のせいか、奪うという行為しか思い付かなかった。
それを緋翠自身ではなく、子供に向けているだけ温情がある方だ。
「それなら、君の真をくれ。何を考えている?」
「……」
翠の目の奥に金色の光が見え隠れし、焦点が合わなくなる。
熱のせいかと手を伸ばせば叩かれ、橙色の強い眼光で睨まれる。
「人間が何故、千年以上も生きられると思う」
ざわざわと目の前の主の緋色の髪がうごめき。
その色が段々と無くしていく。
ふらりと立ち上がったその姿は常の姿ではなく、白金色の長い髪に橙金色の瞳を持つ妖がそこに居た。
「私は、混じり者だ」
三尾が揺れる度に空気が震える。
地についてなお余る髪は霊力の象徴とも言われている。
「依り代も、身体もない、そんな奴が何故、千年生きられると思う。朽ちる事を知らないからだ」
「朽ちない?」
「何もしなくても、在り続けるから」
眇めた目が遠くを見据えた。
誘われるように見て見れば、扉の横に三日月宗近と薬研藤四郎が立っている。
二人とも驚いた顔で固まっていた。
「私は墓標だ。倒れて逝った人達の、託して逝った人達の、離れていった人達の、泡沫の夢だ」
「何故夢などと……お前様は確かにここに居るでは無いか」
「……そうだぜ大将、それなら俺っち達の方がよっぽど夢みたいな物じゃねぇか」
「自分を、形作るのは……何だと思う」
疑問ではない疑問。
鶴丸にはその意味が分かる気がした。
奪われ続ける刃生だったからこそ、そういった手が自分の価値を決めてきたのだと。
「他人、か?」
「彼等が死んだ時、私もまた死ぬんだ」
本来の死が訪れない故の擬似的な死。
他人が形作る自分の喪失。
同じ物ではないと分かっていても、求めてしまうからこその。
求めてしまった、残された、置いて逝かれてしまった者の味わう末路。
両手で顔を覆う緋翠の表情は伺い知れない。
それなのに、
「狐にとって番は一生だ。けれど、それが、怖い。ずっと一緒には、いられないのに、愛するなんて」
震える声は泣いているように聞こえた。
置いて逝かないでと、離れないでと言っているように。
皆を平等に愛するという事は、特別を作らないという事だ。
愛情深いくせに、酷く臆病な。
「俺達を愛しているから喪失を嘆くのか」
「勝手に愛して、勝手に守る、傲慢だろう?」
自嘲気味に笑う顔はいつもの仮面を付けている。
翠の目は乾いていて涙の後は無い。
髪も色を取り戻していって、崩れるように布団の上に落ちてくるのを支える。
「俺にとって世界は、彼等が生きた証だ。だから守る。お前達も、あの子達も、俺の世界だから。使えるモノは使う」
大人しく布団に寝かしつけてもうわごとのように繰り返す。
瞼に触れれば、簡単に瞳が隠された。
胸を大きく動かして呼吸する様子が傷ましい。
その額に濡れた布巾を当てる薬研の顔も、似たような感情が浮かんでいる。
ゆっくりと横たわる手に手を重ねた三日月は、慈愛の微笑みを浮かべている。
「……優しくしないで、踏み込まないで、縋りたくなる……」
縋れば良いと思った。
踏み込ませて欲しい、優しくしたい、笑って欲しい。
けれど酷く臆病な主はそれを許さない。
ならばせめて、
「君の望みはなんだい?」
「…………笑って、ほしい。しあわせに、なって……」
「ああ……君の望みを叶えよう」
笑っていよう、幸せになろう。
だからどうか、君も幸せになって良いのだと許して欲しい。
いつか俺達からの愛を手にとって欲しい。
今は無理だとしても、いつか、どうか。