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花吐き2


あれから数日後、レイリは復帰した。
にこにこ笑みを浮かべながら、いつもと変わらない態度で接してきた。
ただシュノには判っていた。
レイリの心は死んでいる。
張り付けた笑みを浮かべ、表面上は繕っても前のような柔らかな雰囲気は感じられない。
冷たい氷のように、レイリは瞳に闇を写しながら隊長として求められるがままに存在し続ける。
シュノにはそれがどうしても気に入らなかった。
何故なのかは判らない。
ただ心が酷くモヤモヤする。今までこんなことを感じたことのないシュノは戸惑っていた。
レイリの事が妙に気になる。イライラする。
レイリはいくら問いただしても張り付けの笑みで何でもないよと言うだけだ。強情にも程がある。
それでもシュノの機嫌はどん底に悪く、レイリの顔を見ないように騎兵隊の隊舍から離れた。
街にでて、散歩の次いでに王都の繁華街をブラブラと歩いていると、派手な身形の娼婦がこちらに歩いてくるのが見えた。
「お兄さん、遊んでかない?」
「僕未成年なんで。」
「あら、じゃあ黙っててあげるからお姉さんといいことしない?」
正直こういった経験は初めてではない。
魔性の美を持つシュノの容姿はとても目を引く美しさで、それ故に遊び相手に困ることもない。
愛されると言うことを理解できないシュノは、好きな相手も恋人もいない。だから誰かに操を立てるような真似もする理由もなく受け入れてしまう。所詮はストレス発散の道具位の認識しかシュノにはなかった。
シュノと一夜を供にした娼婦は、鼻高々に店から出ていくシュノの背中を見送った。
繁華街を出たのは明け方近く。騎兵隊の宿舎の扉を開けると、寝間着にストールを羽織った姿のレイリが花壇に水をやっていた。
そう言えばレイリは花が好きで育てていたなと思い出すと、そのまま水をやっていたジョウロを片手に宿舎の扉を開けたところで、急に咳き込み始めてその場に踞ってしまった。
咳はまるで喘息のようになって、苦しそうに喘ぐレイリを宥めるかシュノは迷った。
暫く咳き込んだあと、立ち上がったレイリの足元には無数の花びらが散っていた。
「あー…またかぁ…」
疲れたような声色でレイリは花びらをかき集めた。
真っ赤な薔薇の花びらがふわり風に舞った。
「あ…」
慌てて花びらを追い掛けると、足元に置いてあったジョウロに躓いて転びそうになる。
転ぶ…と身構えたレイリはいつまでたっても衝撃がやってこないことに目を開いて辺りを確認した。
「え、シュノ…?」
「何してんだ、おまえ」
シュノがレイリを抱き留めてくれたお陰でレイリは怪我ひとつなく無事だった。
「あっ、花!?花には触ってない!?」
ほっとしたのも束の間、レイリは慌ててシュノの着物を掴んだ。
ふわっと薫る麝香の香り。
「シュノ…お香つけてる…?」
「は?」
「あっ…いや…シュノから何かお香の香りがしたから…」
「…あ、ああ…まぁ…」
シュノが気まずそうに頭を掻いた。
レイリは何となく何かを悟ったのか、ごめんと呟いてシュノから離れた。
「ありがとう、それじゃ僕はもう行くね」
花びらを拾い集めて、レイリは逃げるようにシュノから離れた。そのレイリの顔が死人のように蒼白だったのをシュノは見逃さなかった。
「何なんだよ…クソッ!」
やり場のない怒りを納める方法も思い浮かばず、シュノは自室に戻り、乱暴にベットに体を横たえた。
言いたいことがあれば言えばいい。今のレイリは言いたいことが言えずに居る顔だ。
しかしながらレイリはそれを口にしようとしない。口にせずに耐える、それが罰であるかのように。
少なくともシュノはいい加減うんざりしていた。
自分を見る度に辛そうな顔をされては嫌でも気になってしまう。
問い詰めてもレイリはいつものようにはぐらかすのだろう。
「なんであんなに気になるんだよ…」
シュノはやり場の無い感情を自制するすべを知らず、討伐の任務を多く入れてもらえるよう進言しようと考え、ゆっくり目を閉じた。
今日は非番だ、誰にも…特にレイリには会いたくなかったので一日ベットに潜り込むことを決め込んだ。
面倒事はもうごめんたった。
その手のひらには赤い薔薇の花弁が握られていた。



「シュノに…あやまらなきゃ…」
シュノから逃げるようにして自室に戻ったレイリは、ドアを背に早鐘の様に脈打つ心臓を落ち着かせるためにその場に座り込んだ。
ごほごほと荒い咳を繰り返しては花びらを撒き散らす。
カーテンで遮られた日の当たらない部屋で、レイリは虚ろにその花弁を眺めた。
「シュノは…どんな花が好きかな…
このまま…君の好きな花になって、手折られて、君に香りをまとわせてもらえたら…
すごく、しあわせなのにな」
レイリは最早シュノの側に居られさえすればそれで幸せだった。
こんな烏滸がましい想いを抱きながらも側に居させてもらえるだけで…
「そう、満足なんだ…だから、大丈夫…」
まるで自分に言い聞かせるように何度も声に出す。
レイリの瞳に光が宿ることはなかった。
「シュノ…愛してる…」
花弁を散らばせた中でレイリは薄く笑みを浮かべた。
「けほっ…ごほ、ごほっ…」
それでも、そんなレイリを嘲笑うように花弁は辺りに散っていく。
レイリはそのまま部屋を片してベットに横になった。
今日は休みだったし、花吐きが酷い日は仕事の邪魔だから来るなとノエルにキツく言われていた。
窓から眺める王都の景色はまだ静かなもので、ざわめきのない街は少し寂しい。
「シュノ…」
小さく呟くだけでも花弁が散る。
止めどない思いがレイリを押し潰すように溢れてくる。
「やだ…こんなの、やだよ」
やり場のない思いに、レイリは涙を零して目を閉じた。



花を吐くのは体力を使う。
それなのにレイリは突然いつものように調子を戻した。
明るく笑いかけて細かく気を配り、隊の象徴の務めを果たそうと。
体調不良で伏せっていたことに嫌みを言われても笑ってごまかして。
そしてシュノとは極力必要以外に接点を持たないようにした。
元々何か用事がない限りシュノとは会話することすらなかった二人だ、難しいことではなかった。
「レイリ、最近の様子はどうだ」
「大丈夫ですよ、心配しなくてもうまくやってます」
レイリは珍しくノエルに有無を言わせぬ物言いで会話を切った。
其れほどに話題にされたくないのかと悟ると、タイミングよく執務室がノックされた。
「どうぞ」
「失礼します、隊長に王家の使者の方から書簡を預かりました」
タイミングが悪く、シュノがレイリ宛の書簡を持ってきて、ノエルは何も言わずに部屋から出ていった。
「どうもありがとう」
差し出された書簡を受け取ると同時に堪えきれなかった咳の合間から花弁が零れ落ちる。
「げほっ…ごめ…ぅ…おぇ…」
苦しげに花を吐き出すレイリの様子に、シュノはそっと背中をさすってやった。
以前より花を吐き出すのに苦しそうになり、量も増えた。
咳もまるで喘息のようで、レイリの体力を根こそぎ奪うような症状だった。
「横になるか?」
レイリは苦し気に頷いた
激しい関を繰り返すレイリを抱き上げてソファーに横たえる。
荒い息を繰り返し、暫く花を吐き続けてからレイリは意識を失った。
まるでお伽噺の姫君の死に際みたいに、生気の宿らない白い肌に赤い薔薇の花弁が無数に散らされている。
血のように、赤い薔薇の花弁。
さらさらの髪を優しく撫でてやると、くすぐったそうに身動いだ。
ここ数日のイライラの原因であるレイリを目の前にしても、なぜかシュノに怒りは沸いてこない。
むしろもやもやした胸につかえるような気分にイライラしていた。
そうなるのはレイリの前だけで、レイリと言う男の存在がシュノの中でどんどん大きくなっていく。
「しゅ…の」
消えそうな声で呼ばれ、そっと近付くとレイリはシュノの首に腕を回した
レイリの瞳は虚ろだが、それはいつもとは違いまだ夢心地のようだった。
「シュノ…」
舌足らずな声色で呼ばれ、そのまま柔らかな感触にシュノはレイリを抱き寄せた。
ちゅ…っと小さな音をたてた拙いキスは今までシュノが経験したキスで一番へたくそで、しかし心地がよかった。
「シュノ、すき…すき…シュノ…シュノ…」
母親にすがる子供みたくレイリはシュノに夢中でキスをする。
暫く好きにさせていたシュノから、レイリが唇を離すとぼんやりしていたレイリが急に覚醒したのか、泣き出しそうな顔でシュノを突き飛ばそうと押し返す。
「なんで、なんでっ…うそ、ごめんなさい、ごめんなさい…」
めちゃくちゃに暴れるレイリを力で押さえ付け、ソファーに押し倒すとシュノは小さく咳をした。
「え…しゅ…の…?」
シュノが咳をする度に薄紫色の花弁がレイリに降り注ぐ。
「ど…して…」
「煮えきらねぇ誰かのせいだ
人の顔色伺いながらチョロチョロするくせに俺が近付けば逃げていく。
俺が好きなくせにそれを認めようとしない」
「ごめんなさい…ゆる、して…」
レイリは自分のせいでシュノが花吐き病に感染してしまったと、ただ震えるだけしかできなかった。
「言え、お前の気持ちのすべてを。
じゃないと俺はお前を一生許さない」
レイリは死刑宣告でもされたように真っ青で震えながらシュノを見上げた。
レイリにとっては、この想いは伝えてはならないものだったから。
「レイリ」
「……好き、たぶん、愛してる
何も考えられないくらいシュノで一杯。
ずっと、ずっと一緒に居たいっ」
「そうか」
そういうとシュノはレイリから少し離れて激しく咳き込んだ。
「シュノ!?」
シュノはハラハラと散らばった花弁の中からひらりと床に落ちた一輪の白銀の百合。
「え…」
「次はお前の番だ。」
そう言うとレイリの体を抱き締め、耳許に唇を寄せた。
「愛してる、レイリ」
一瞬で、その一言で、レイリの瞳に光が宿る。
命がなかった人形に命が宿った瞬間のように。
シュノはそのままレイリの背中を優しく撫でる。
「吐き出せ、そうすれば終わる」
幸せと共に込み上げてくるものを吐き出すと、白銀の百合がレイリの手元に落ちてきた
捨ててしまいたかった気持ち、知らない振りをしていた気持ち、隠していた気持ち。
それらすべてが今終わった。
「こんな、簡単なことだったんだ…」
「そんなもんだろ」
シュノはレイリの頭を撫でて、唇を重ねた。
もうこの唇が花を吐き出すことはない。
花弁に埋もれるように倒れ込んだレイリに舌を絡ませながら何度も口付けていく。
互いの存在を確かめるように、何度も。
今まで事務的にするものだと思っていたキスとは全く違う、余裕のないレイリがすがるように腕を回して唾液を零しながらシュノを求めるように舌を絡ませてくるのが愛しくてたまらない
「しゅの、もっと…」
レイリは蕩けるような笑顔でシュノの頬に触れた。
その手に自らの手を重ね、シュノは生まれて初めて幸せそうに笑った。


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