主にツイッターであまり評判の良くない「竜とそばかすの姫」を、昨日見てきた。
以下ネタバレあり。



これは好き嫌い、可不可評価分かれると思う。

映像、音楽に関しては、本当に素晴らしい。今まで見たことのない、聴いたことがないぐらい凄い。曲目的だけでも、映画館に行く価値はある。1900円でコンサートを見に行くぐらいの気持ちで構わない。
一方ストーリー、特にオチは、どう評価するかがかなり難しい。
広報的には、ストーリーの面では絶賛とは言い難く、しかし映像と音楽の面では文句の付けようもない最高傑作であり、結果、なんとも扱いの難しい作品になってしまっている…印象。
ツイッターで見かけた低評価ツイ(結構リツイートされてる)が、たいへん考察の参考になったので、それと比べつつ自分の感想をまとめておく。

まず、ディズニーの「美女と野獣のオマージュ」。
竜そば見たディズニー好きはどう思ったんだろう?
私としては、竜そばは現代版「美女と野獣」で、音楽と映像に関しては本家と比べても全く悪くない出来と思っているけど、パクリと言われてもしょうがないのか…?

そして2つめ「ネットいじめに遭ったことがある視聴者に対する配慮がない」という低評価について。

主人公とペギースー、野球選手のトラブルは解決されていた。一体、どこが問題なのか分からない。
タトゥーのアーティストはそりゃ気の毒ではあるけども自業自得であった。
てか作り手は、客の黒歴史なんかいちいち把握してないぞ。日本人何人いると思ってるんだ。
我々にとってはネットやSNSの炎上沙汰はもはや日常茶飯事。その日常の描写すら「誰かが傷つくから表現を規制せよ」とするのなら、「その日常こそ異常だから悩み困っている」とする声さえも、余計に上げられなくなってしまうんじゃないか?

私は、絵画や映画、音楽などの「芸術」は、娯楽ではないと思っている。
娯楽は、その場その時だけ楽しめればよく、みんなに受け入れらるもの。その一時流行ることはあっても、来年になったら忘れられてしまう。
いっぽう芸術は、本人達が作りたいものを、突き詰めて作ったもの。結果、時には大勢にとって気分を害し、受け入れられない場合もあるかもしれないけど、数十年経って、時代が変われば運よく評価されるかもしれない。
娯楽のために作っている作品であれば、誰も傷つくことはないかもしれない。
だけど、全日本人はもちろん、全世界に向けて作品を公開することを目指しているのならば、誰も傷つかないように、作品として成立させるのは無理だと思う。日本人にとっての当たり前が、隣国の韓国・中国ですら当たり前でないことがたくさんあるっていう時点で。
ディズニーですら、モアナの表現をめぐって先住民族ともめたばかりだぞ。

3つめ「事前告知なく、児童虐待のシーンが出てきた。幼少期の記憶がフラッシュバックし、体調が悪くなった。虐待サバイバーは細田守の作品を見ないほうがいい」という低評価。

しょうがないとはいえ、途中からちゃんと観れなくなったのはもったいない。セリフとして言及されていないヒントをたくさん見逃している。

@ケイの父がジャスティン?
声優違いだけど、ひょっとしてと思ったよ。
・中身のない長い正論をくどくど並べる癖
・ジャスティンの広告収入で一等地で在宅ワーク?
・拳のドアップ(ジャスティン&ベルそしてケイの父&すず で被る)

Aケイの父も虐待被害者だった?
すずに睨まれて怯える様子が、情けないおっさんというより、小さな子どものように見えた。
得体の知れないJKだと思ったら、天敵であるベルだったことに驚いた…だけで、あんなにビビるか?
驚いて腰を抜かしたあと、ケイの父目線から見てすずが見下ろしているカット、そして過剰に怯えるシーンへの繋がり。
ケイの父ももし虐待被害者の過去があったとしたら、すずがお母さんの姿と被ったため、幼少期の記憶がフラッシュバックし、一時的に幼児退行した…とも考えられる。

竜の城にあった、顔が見えない女性の絵画=ケイのスマホの待ち受け画像 だったのだから、単純に考えればあれはお母さんの写真データ。ケイ達の母=おっさんの嫁がいないのは、良くて離婚か家出、悪くて自殺か…。

いずれにせよ、いい夫婦関係を続けられなかった。その原因が、過去の虐待体験のせいで、子供や女性と上手く関係が続けられないせいだとしたら…。
いなくなった嫁の分まで子供達をしっかり育てようとするあまり、虐待がエスカレートしたとしたら。生活費をなんとか稼ぐために、Uでの過激コンプラ警察活動=広告費稼ぎに必死になっていた、だからコンプラ警察のなかで一人だけ武器=利用者晒し権限を持てた。コンプラ警察のジャスティンとして称賛されればされるほど、現実の父としての不甲斐なさ、生活の不安定さとのギャップが広がり、ますますコンプラ警察活動も、子供への虐待も止められなくなったのでは。

C理想の主婦アカウント、スワンはケイ達の母親?

竜の荒らし行為が目立ち始めたのが、七か月前。
スワンの中の人の家に、配達とウーバーが頻繁にやって来るようになったのが五か月前。
うろ覚えだが、若干時期ずれるものの近い。
そして詐欺画像に映っている、詐欺家族の構成が、夫と子ども二人。(だった気がする)

詐欺画像をわざわざ作ってまで「理想の主婦」を演じ続ける理由、それは現実では理想の主婦でないから、もしくは理想の主婦でいられなくなったから。
もともと家事(特に料理)が得意でなかったものの、結婚すればなんとか上手くできると思っていたのに、結果は目つきが悪くどこか擦れたところのある可愛げのない長男、明らかに知的障害の次男、コミュニケーションに難ありの夫…。キレて出ていったとしてもおかしくない。

「すぐに『傷付いた』と喚く迷惑ユーザー」は、実は本当に困難を抱えつつも誰とも繋がれず、本当に日々傷付いていた…?

この流れこそ、ニュースやドキュメンタリー番組でよく見る、虐待加害者家族のパターンじゃないか。

細田守は子ども〜10代が主人公の作品が多い。異世界転生俺無双系路線に変更するのならともかく、現代日本を生きる子ども達をこれからも描き続けるのなら、家族問題といじめ問題は、絶対に避けて通れないのでは。問題提起のない作品から、リアルさや本物のカタルシスは得られないと思う。

そして4つめ、「児相の事情を知らないだろうに、児相は無力だと責めている」という低評価について。

これ実は児相はずっと登場していたんじゃないか?と考察している。それは、竜の城のガーディアン(仮称)として。

まず、竜の城の場所を、コンプラ警察は把握できていなかったこと。
そして、ガーディアンの妨害能力にジャスティンが反応できなかったこと。
コンプラ警察は、スポンサーの許可を得て活動していたのだから、一般ユーザーよりは運営に近い立場であるはす。
それなのに、ガーディアンの能力や城(アクセス妨害機能、認可外ユーザーのアクセス禁止機能とその解除方法)について知らないようだった。
ということは、竜のガーディアン達は、コンプラ警察の持ちえない技術または権限を持っている、別働のユーザーまたは組織だったのでは。
現にツイッターやLINEでも、警察の覆面アカウントがあったり、農林水産所属Youtuberがいたりする。利用合意書画面でも、「警察や公的機関からの要請に応じて、お客様の個人情報を関係機関に提出する場合がございます」の文言がある。それと同じことがUでも展開されており、竜のガーディアンは実は児相の覆面ユーザーだったのでは。

そのヒントは、竜と対戦して勝ったユーザーの一人に、制服の警察官がいたこと。
作画のうっかりミスか、サボり設定でなければ、制服着たまま(=仕事中に)テレビ電話に出るはずがない。企業が公式ニンテンドーアカウントを作ってスマブラ対戦をするのと同じように、Uでも「現役警察官と対戦できる!」みたいなことがあってもおかしくない。

荒らし行為を繰り返すユーザーを警察官が発見→情報開示請求→個人情報、住民票、児相の記録が一致→見守り開始、避難所を作成し対話を試みる

匿名で、素顔を見せないからこそ、現実の対面よりも信頼関係を作りやすいってのはあったと思う。
匿名機能とアバター(アズ)機能が売りなのに、母親と思しき画像をデカデカと壁に掲示し、ガーディアンに対して個人情報を隠す気が薄いという矛盾。すずが竜とクリオネ(?)の中の人の探知したのと同じ要領で、児相もやってみる段取りだったのかもしれない。


その城もジャスティン達によって破壊されてしまった。家族の妨害によって、子どもと連絡が取れなくなったり、せっかくこつこつ築きあげてきた信頼関係が振り出しに戻ってしまう。これもきっとあるあるなのかもしれない。

そして5つめ、「今まさに虐待を受けている当事者に、自分から行動するよう求めているようなメッセージ」「細田守は勉強不足で無責任だ」「すずのような自己犠牲をして救えというのか」という低評価。

これは確かにそうとも受け取れる。そう受け取っても仕方がないクライマックスだったと思う。これはしょうがない。ただし、私はそれだけだとはどうしても思えない。

まず、Uであれだけ騒動があったにもかかわらず、現実世界では、特に変化のあった描写がない。
自己犠牲は美しい、声を上げて世界を変えよう、がメッセージだとしたら、後日談まで全部描き切ってハッピーエンドにすると思う。けれど、すず一行の帰り道シーンそして雷鳴を伴う入道雲の空で終わっている。本当にハッピーエンドで終わったのかどうかは推測できない。ラストシーンの目的は、「だからといってハッピーになるとは限らず、むしろ集中豪雨のように長期化、困難化することもある」という但し書きのつもりだったのでは?

そしてすずが一人で行動し、仲間がついて来なかった理由。これは仮想空間で50億人を圧倒していたベルが、現実でも一人の男を圧倒する存在になった。という対比のためだけの展開だったんじゃないかと思う。圧倒的存在のベルは、一人で活動していると思えて実は、編曲した誰かや、まとめ動画を作ってバズらせた誰か、そしてUに誘って衣装のデザインもしてくれた親友といった、多くの支えてくれる存在が影にあった。現実のあの場でも、そこへ至るまで現実の仲間の支えがあった。だから現実でも、もう「ウジウジした弱虫」ではなくなった。
そのためだけの演出にすぎず、「自己犠牲が美しい」というためのものじゃなかったように思う。

それを、「子どもに対する配慮がない、無責任だ」といわれればそうかもしれんが。

しかも今回声を上げて行動したのは、虐待当事者だけじゃない。すずと、すずに心打たれて行動した友達とコーラス隊もだった。別に虐待当事者の行動だけを賛美しているわけじゃない。この作品は、当事者そして、事情を知った者同士が、仮想空間とSNS機能を上手く使えば、虐待の発見、虐待のそもそもの原因の一つである孤立の解消に役立てる、と提案しているだけの映画であり、なおかつ、ベル(作品内仮想空間のアバター)を、中の人であるすず(スタジオ地図が創作した二次元キャラクター)が超えたように、すずを、中の人である中村佳穂(この現実を我々と共に生身で生きる人間)がこれから超えていくという長編120分MV、だと私は解釈した。

提案しているだけの映画、というのは、もちろん細田守は家庭問題の専門家じゃないから。勉強不足なのは、それは業界人や専門家に比べれば一生かかっても勉強不足のままだから。
だからといって、「勉強不足の外野が口出しするな」というのなら、私だったら「じゃあ内野だけで頑張ってね」で終わってしまう。問題を問題だと認識されないのが一番問題なのだと、内野様は理解していらっしゃるのだろうか?外野のパンピにとっては具体性の見えない虐待防止策について、図らずともポスト宮崎駿、ポストスタジオジブリと言われている「細田守」「スタジオ地図」ブランドを通じて、ひとつの答えを提示した、という点では、私はオチを評価できる。もちろん、映像と音楽の美しさも。ただし、ストーリーにそれほど合理性が伴っておらず、かといって、それほど壮大な世界観でもないため考察好きの食指も動きにくい、分かりにくい作品である印象。
なので、そこの物足りなさ、癒やしを求めて観に来たのに、思ってたのと違うといった、悪い意味での裏切りを、多くの観客が感じてしまったのだと思う。

高知から東京へ飛び出したら、あっさり本人見つかった!という急展開には(そうはならんやろ)と思ったよ。低評価ツイの人のように、クライマックスシーンでありながら、急展開した状況の理解に必死で、人物の考察が追い付かなくなる客が発生するというのは、めちゃくちゃ×100もったいない。もうちょっとどうにかならなかったのだろうか?

あと何かあるとすれば、スワンがもしも本当にケイの母親だったとしたら、すずの親友が放った、「なんであんたがそんなカワイイかっこしてんの?赤ちゃんの見た目だったら、みんなから愛されて、許されるとでも思ってるんでしょう?」のセリフはヤバい。
まぁスワン母親説は私のこじつけでしかない説なので、単にSNSの、*ゆるふわお花畑チャン*系迷惑ユーザーをぶん殴るためのシーンだったのでしょう。
人は誰でも秘密を持っており、その真実を知っていようと知らなくとも、一生互いに傷つけ傷つけられあう。SNSでは良くも悪くもそれが分かりやすい。

以上です。