heavy

上司…ほんま…嫌だ…

ストレス発散のため陰陽座を聴いております。
鬼子母神て、ウィキ先生に載ってある伝説の話じゃなくて、瞬火さんが考えたお話のことだったのね…!
アマゾンでは中古品しか売ってないみたい。

ところで9月24日の水曜日、Plastic Treeの名古屋公演に行って参りました。もちろん、ひかりさんと一緒に。
今回、真後ろにいた人が…割り込みとかキンキン声とかが酷くて(^o^;)背中に頭ぶつけてきたり、隣の人との僅かな隙間に無理矢理頭突っ込んで折り畳みしてきたり…。隣の人と、( ; ゜Д゜)( ゜Д゜;)こんな感じで目が合ったよ。
リズムに合わせて頭も叩かれたね(^o^;)ちなみに、海月さん(プラが好きなバンギャルの方々)、ほとんど皆さん良い人だと思ってますし、ライブのノリも普段は多分全然こんなんじゃないです。
たまにはこういうこともあるっていうことで。

そんなことはさておきライブそのものはとっても素敵でした(о´∀`о)っていうかこんな近いところで見れて良いの…?歩いて数歩の距離に有村様がいらっしゃる…こんな下々の身分の者が、こんな近くで御姿を拝んで良いのでしょうか…。

「空白の日」の映像が好きだわ…。「十字路」という曲もね、これまためっっちゃカッコ良くて好き。「Sink」も!なんと言っても歌詞が!
そして、「くちづけ」も!!これすっっごい好きなんだ、PVも含めて。美しすぎると思うんです。

ダブルアンコールの「クリーム」の時、ケンケンがミスって演奏止まっちゃいまして。仕切り直そうとするも、「どういう風に盛り上げててたっけ?」みたいな感じで迷う太朗さん。
再開してからもちょいちょい「あれ?」ってなる御三方。ケンケン必死。でも三人ともめっちゃ笑ってる。
これってもしかして、結構レアなのでは!?

最後に太朗さん、一言、「男にしてやって下さい」と言って、ケンケンを一人放置して去る。ケンケンの弁解が始まるわけですが、その様子を舞台袖からスタッフさん?が、バッチリ撮影している。

名古屋は、プラにとっては勿論だけど、自分にとってもすごく特別な場所だから…頑張りすぎちゃってちょっとだけ、空回りしたかな?なぜかと言うと、Plastic Treeの佐藤ケンケンとして初めてステージに立ったのが、名古屋だったから。

ということを、福岡の方言で一生懸命お話していました。文章で読むとそんなだけど、話しているのを聞くと、アクセント?とか話し方が全然違うなぁ〜と改めて思った。逆に九州人や関東の人が関西弁を聞いても、そういう風に思うのかな?

「(頑張りが空回ったのが)ちょっとだけ!ちょっとだけね!?」って力説するケンケンめっさ可愛かった…

ライブ始まるまでは、名古屋港水族館に行ってきました。イルカショーも見たよ。感動した。
珊瑚礁の水槽綺麗だったよー!
私はシャチが好きで、名古屋港水族館にはシャチがいるから、すごく嬉しかったよ(^o^)
シロイルカも可愛かった!竜太朗さんに似てるっていう話で盛り上がったd=(^o^)=bファンサービスも上手いイルカさんだったよ。

次は10月4日の千葉です!

理想のセトリ

そんなことばっかり言ってても仕方がないので、セトリを考えてみました。
暁歌水月の千秋楽、20曲プラスドラムソロで2時間半だったので。


獄門
夢幻鳳影
鬼遊戯
朔宵
悦ト鬱
紅椿
見世物鬼譚
白濁セシ蝶
真紅

残月
十三夜

舌切雀
紫蝕
柘榴
宵月
徒然草
叫声

(AC)
桜絡ミ
獅噛ミ桜
アナザーサイド


点のところでMCとかソロとかがあれば良いと思います。
我ながら新旧良い感じで混ざってると思うものの、朱花艶閃アルバムの曲ばっかりになってしまった。
その上、前半と後半でまひたけ曲/参輝先生曲 と見事に分かれてしまったね。

あり…ところで、赤香蘭凛千秋楽のセトリどんなんでしたっけ…

記録 その1

※完全に自分用です

昭和7年10月8日、我が地元に誕生

8歳か10歳の幼い頃、空襲の爆風で崩れた屋根の下敷きになり、右足に大怪我を負った。膝を曲げたり伸ばしたりができない。走ることもジャンプすることもできず、左右で足の長さも違う。
そして当時の木材か石ころの破片か何かが傷口に残ったまま。

昭和の当時では、身体に障害があるというだけで、差別の対象になるのが当たり前だった。学校でも就職でも。けれどもこの人は違った。
関西の某大学の文学部ドイツ語に進学、ドイツ語を専攻し、そして短期の語学へ。
これはその当時の常識からしたら、エリート中のエリートのコースというやつだった。
大学卒業後は地元の農協に就職、銀行の窓口的な仕事をしていたわけだが、やっぱり「あの人が立っている窓口には行きたくない」みたいなクレームが来たりしたらしい。

対応が悪いとかじゃないですよ。見た目だけでそんなん言われる時代だったんです。歩き方が変っていうだけで。

それでも諦めて折れることのなかったあの人は、三重県からやってきた1つ年下の女性と結婚、子どもも3人もうけて、最終的には農協の参事までポストを上り詰め、歴代幹部のパンフレットにその名前と顔写真が、きっちりしっかり記録されることとなりましたとさ。

孫は6人できましたが、その第1号こそワシでしたというお話。

ここまでが、私の知らない、見たことのないおじいちゃんの話。
私が知ってるのは、庭で趣味の畑仕事をしたり、でもすぐ疲れちゃうから、ジロ(ワンコ)の隣で日向ぼっこしながら煙草吸ったり

毎週火曜日、片道40分かけて私を自転車の荷台に載せて、習い事の場所まで連れてってくれたり。今こうして考えると信じられないよ。歩くだけでも一苦労なのにさ。片足でペダルこいで、何十分も毎週毎週さあ。

そしてワシらにワンパターンの手料理を作ってくれたり(本当にワンパターンだった)。
けれども何年も経たないうちに、味付けがどんどん濃くなって、最終的には、食べられないような味になってしまった。

この先は今は書けない。

今は毎日とても悲しい。それでも仕事していて良かったなと思う。しんどいけど。仕事をしていなければ、自分を保てないね。いつもと同じ仕事がおかけで、かろうじていつもと同じ生活ができる。

けれども、これから時間が経つにつれて、今のこの悲しい気持ちも思い出も、思い出さなくなって、いつかは忘れてしまうんじゃないだろうか。
なぜなら、おじいちゃんと新しい思い出を増やすことは、2014年9月8日午後16時からもう、できなくなったからだ。
本人に質問することもできない。

どんなことにも終わりがあって、さようならがある。
だったら最初から何も無い方が良い、とさえ思ってしまう。間違った考え方だって分かっちゃいるけど、どうやって気持ち的切り替えたら良いのかも分からん。

このままでは、本当に何もかも忘れてしまいそうで、だけどそんなことは絶対に嫌なので、今こうして、覚えていることを残そうとしています。
自分用です、はい。

一週間、とっても疲れました。土日はゆっくりしよう。

急ぎ

今日の夜、父から連絡が入り、今日の夕方6時、母方の祖父が亡くなりました。
明日、あさってと会社にお休みを頂きました。実家に帰って、お通夜と葬儀に参列します。

昨日のことを書くのは当分先になると思います。そのまま忘れて、書かない可能性も大ですが…。

ちなみに、昨日は盛りだくさんでした。まとめ甲斐がありそうです。私は多分元気ですが、今はここまでで。
明日の荷造りと片付けをしてきます。
それでは!

いよいよ明日は千秋楽

さて今日は昼過ぎに起きて、そして夕方から、予告通りちゃんと美容院行って来ました。久々に短くしたぜ。ボブにしてもらった。今になって気付いたけど、ひよりんとオソロにしたかったわけではありません。

一応ほとんど荷造りは終わったけど、明日の服装決まってないし、洗濯物も洗い物も終わっていない。
連日の大雨で、湿度の影響か頭も痛いし。
こりゃ明日早起きできないな。
明日も雨らしいけど、頑張るよ…。
ところで、当然のことながら会場に傘立ては設置されないと思われるが…開場は時まで雨降ってたら、傘を放置するしかないんか?それか、濡れ鼠で待つしかないんか…?

九条さーーーん!!太陽神様、どうかお力を!!
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