執着は愛ではない。
ふ。

強い執着を見せていた人が、自分に関心をなくしたら、それは愛がなくなったとは言わない。

すきなんだけどなぁ。
すきというのは主張するものじゃなくて、執着するものじゃなくて、ただ自分の中にあるもので。

何かがあったときに相手のことを思うことだ。押し付けるものではない。ので。

自分は、深度の深い愛が分からないのかもしれない。
深度の深い愛というものは相手に伝わらないと思っている。

何かあったときに相手のためになるというのは、何かがないと相手と関わらないということなのか?
そうではないけど。

相手に何かがなくても、もし自分が会いたいと思えば会えばいいと思う。

自分が相手に好意を伝えることで相手に好意の返報性を適用させたい、みたいな。
文字にすると浅ましさが鮮明に浮き出るな。↓

まあ、でも、そういうことだ。そういうことかー…↓

多分、わたしは好かれたい。
人に好かれたいというのは、一般的に持っているものだろうから悪いものではないと思う。
なんだけど。

好きな人に好かれたい。
好きな人には、好かれたいなぁ_(:3 」∠ )_

それは、そうなんだけど、
でも自分の中で順列をつけられていると錯覚すること?は、正しくない、正しくないは適切ではない。
そもそも、自分は彼の中で誰かよりも優先順位が低いんだと思うことは少なくとも精神衛生上良くない。

あと、彼の中で誰かに変わる私ではないし、わたしに変わる誰かでもない。
だから、優先順位というものはないし。

会いたいときには会いたい。
なんだろう、会える期間を長引かせるために自分が納得出来ていないのに無理矢理感情を抑えるんじゃなくて。

……………。彼は本当に善いもので、貴いと思う。
貴重だ。
人間らしい人間で本当にすきなの。

だからなくしたくない。は、執着。

深度の深い愛し方をしたい。
彼にとってわたしが一時いえにいた娘くらいの取り方でも。

まあ、方々からいまの子を可愛がってる話を聞くから本当に可愛がってるんだと思う。
どうでもいいのか?
わたしは本当は嫉妬してるんじゃないのか?

いいなぁとは思うけど。思うけどもうわたし関係ないからなぁ。関係がないということもない。元上下関係が、わたしたちの間にはある。

……………_(:3 」∠ )_
うーん。得られないものを得ようとするほど子供ではない。

忘れたくないけど会わないとわたしの記憶は薄まるので。
忘れてしまってもいいのかもしれない。
良くはないけど、忘れてしまうこともやむ無いのかもしれない?

うーん…。そうかー。そうなのかぁ。
でもさぁ。
いつの日かおとうさんがおうちを出たときに、出たときこそ会いたいし、会いたいと思ったときは会いたいよねぇ…orz

だから別に忘れようとするものではなくて、すきだなぁ。
すきでいいし、深度の深い愛し方をすればいいのかなぁ。

それでわたしが彼をすきじゃなくなったと思われるのが嫌なんだけど。
嫌なのか。自分に飽きたんだなと、思うだろうか。
そもそも飽きるってなんなのか。
そう思ってるのはわたしだけなのかなぁ。

わたしが誰かに飽きるから、人はいつか飽きると思ってるのかな。それはある。
永遠にすきなんて信じられない。多分いつも傍にあるものは普遍的に日常的な感情を抱けるものな気がする。

大好きなもの、熱心に時間を割いたものは多分いつか変わる。
ずっと傍にあったもの、生活に溶け込んだものは変わらずそこにある。

大好きな人じゃなく一緒にいられる人と過ごすのかもしれない。自分でいられる人といるのかもしれない。