あしたぼくがいなくなったとしても。
実験と検証と理念と理論と考察によって導き出される結果こそが重視されるべきで過程は省かれるべきなのだろうか?
イラレの話。
1.画像を自動でトレースしてくれることが判明。線描きが不要になりそう。でもクローズパスを描くのが苦手なのでトレースした奴もアウトな感じ。写真を取り込むとかじゃない限り手描きの方がよかろうもん。
2.トレースした画像を透過しないといけない。そのままだと下に描いたオブジェクトが見えない。
塗りのところをスラッシュにすれば良かったんだけど色々弄くっていたら塗りだけ移動できた。どうやったのか不明。要検証。
フォトショの話。
画像の透過の方法を学びました。
そろそろ頭のなかに抱えられなくなってきたので整理したい。色々を。
描きたいイラストに合わせて道具を使うべきであって、道具に合わせてイラストを考えるのではない。普通は。
でもいまは道具を使うためにイラストを考える。
最近、イラレとか、フォトショとか、弄っています。
イラレははっきりした線と、描きたくないような細かいもの、人工的な物体が得意だなぁと思います。
フォトショは曖昧な柔らかさ。厚塗り対応。写真編集用なだけあって、加工技術に優れますね。
むむーん。
うちにはかなり前からSAIがいるので、厚塗りに関してはSAIでやった方が楽だなぁ。
描きたいものに合わせてソフトを変える、というのが良いと思うんですよねー。んで、ここ数ヵ月塗り絵がしたいんですけど、でもソフトごとに絵を仕上げたいという欲求があって、どっから手をつければ良いのか分からないし。そして何が一番やりたいというのがない。
あと、やっぱりこれも、何が描きたいみたいなものがないんですよねー。
うーん、さて。
そして下書きはアナログでやりたいという時期です。ずいぶん散らかしている。
浮かぶ泡を下から眺める。
あ、遠近グリッド使いたい。あれどうしても顕著な角度で使いたい気持ちが強すぎるんですけど、目立ちすぎるんですよね…。
なにかひとつ出来るようになると、誇示するように特徴的に描いちゃうけど、まとまらなくなっちゃうから困る。
あといま困ってるのはグラデーションメッシュ。リアリティーが先行しすぎる。
ふむ。
コンピューターの発達がなんのためなのかを考えると、イラストレーターやフォトショップの存在意義が見える気がします。
楽をする、その一点が重要なのだ。
かつ、出来れば綺麗に。素敵に。魅力的に。
最近イラストレーターとフォトショとSAIを行ったり来たりしてきるんだけど、それぞれの個性というものがあるから、一概に何が良いとか言えないね。
完成形に合わせて、作業を使い分ける。イラストレーターで厚塗りが出来ないかしら。
でも厚塗りって、すごく無駄が多い人間的な作業だね。グラデーションを酷使してやる手もあるけど、現実的じゃない。
益々堅固になる鉄の蛹。
中でドロドロと蠢きます。なにになるのか。なにになりましょう?
殻を破るその時を、待ってない。
水没している。
蛹の隙間から漏れ出すのでしょうか。
僕の僕らしさ。僕足るゆえん、僕感。なんてものが、溢れるような。
流動性の、ぼく。