僕の蜘蛛の糸

カンダタは、生前一匹の蜘蛛を助けていたのでした。あれほど悪いことをしたカンダタも、心の気紛れか、小さな蜘蛛を一匹見逃したことがあったのでした。

…カンダタ?カンダタか?
カンダタだと思う!

ということで、別にそれほどに悪いことはしておりませんが、私の一本の細い糸が機能していて、ありがたい。
あーあ。最近中身が人間に近づいてる。やだなぁ。
だけれど、蜘蛛の糸をありがたいと思うほどに私は人間になりました。
これからも精進してただの人間、一個の動物に近付くでしょう。

車に轢かれた哀れな小虫

昨日久しぶりな友達に会いました。
職業に貴賤はないって、思っていたんですけど。何がとか、どれがとかでなく、具体例は出ないんですけど貴賤はありますね、なんて、発言できないと踏みとどまるモラル?、倫理観は、まだ私のなかで死んでない。です。
ぐあー。

将来の不安を見ないことが、今を生きることに繋がっている。退職後の人生を賄うことはとても困難で、ザクッと言うと定年までに月々10万貯めねばならぬ。
これは、結婚したとしても、相手の分も賄わなければならないから、決して負担が軽減されるということはないし。

今の時代、人生は個人の幸せのためにあるでしょうか。人間としての使命は人間という種の存続でしょう。じゃあもう日本人という種類は絶滅の一途を辿るでしょうから、使命は他国の方に託して、もうただただ個人の幸せを追求すれば良いんじゃないかなぁ。

あ、ちょっと就活うまくいかなすぎて人生観拗らせただけなので気にしないでください。
万が一自分探しなんか始めちゃった日にはスーパーに行けば一山三百円とかで全然買えます。あ、これだぁ、みたいな感じで行けばすぐ分かるよ。多分生鮮食品かお菓子売り場の端っこに置いてあるわ。

さて。
では、じゃあ、どうしよう。第二新卒を過ぎたからといって死ねるわけでもなし。
ひたすら頑張るしかないのです。決まらないのを全て自分のせいにして抱き込んでも結局なんか違うから落とされたんだろうに。なんか合うところを探すべきだろう。

就活、ということを考えて、それが僕の退廃性と結び付いて思考の奇形を産み出したけど、しぬことは、ほうりつできんじられているので。

オートマチックフィラメント

ぐーぱーぐーぱー。
据え膳。
何をしたいか、何をするか。ああ、やだやだ。
はしたないとか、みっともないとか。醜いであったり、そういったものが、ぐるぐると、渦巻いて。
歯が痛い。
どうにか、どうか。
どうかして、。
てにをは。

どっとはらい。

持続可能な最低限幸福

生きること、なのか?↓

好きなものを何故好きなのか考えるときに、切り捨てる要素とか、「一般的思考」という偏見を使ってしまいます。
そうすると、好きなものを好きじゃなくなるんですけど、なんだか、好きなものさえ誰かの意思で委ねるのかー。

本当に好き!ってものじゃないと、いつか壊してしまうのかしら。好きなことに理由なんて要らないと、思うけれど、やっぱり、考えてしまう。

思考停止の睡魔が襲ってくる。それも僕を守るための手段なのかな。

愛しいと思う恋と同じ

結局、恋に恋をしているような状態です。
別に嫌いじゃないんなら付き合う、というような、打算的な思いでやるべきだ。
この人を生涯ずっと好きでいる、みたいな、青臭い思考というのは捨てるべきで、顔が普通で、特に嫌いでなければ好きに転んでいなかろうと付き合うべきなんだよ。
そうするば、選択肢も広がる訳ですし。

他の人に比べてどこが良いとかでなく、どこか悪いところがないか、そこが死ぬほど嫌じゃないんなら別に良いじゃん。

その人を好きな理由なんて言うのは、結局何個でも並べ立てられるでしょう。いかにも、その人が好きそうな雰囲気を出せれば、向こうがこちらを悪く思っていなければベットの中まで持ち込めるんじゃないの?

あ、すいません、就活の話です。

まあでも一応そいつの名前が何で、何やってるのかとかぐらいは知っとくべきだなぁ。
見た目があまりにもでなければ、中身なんて十人並みでいいだろ。

初対面の人の好きなところ、10個上げられて、8,9個それっぽかったら良いんじゃないの。ちょっと怖いけどね。どんだけ自分を良く捉えてんだ、みたいな。

自分が何を出来るかじゃなくて、自分にどれだけそいつが好きだと自己暗示できるかじゃないのかな。、なんて、言語化せずに無意識で。
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