その事

そういう意味じゃなかった。

あの子がおとうさんといて可愛がられている、というのは。

わたしに妬く権利はなくて?
いや、そういうのじゃなくて。

便宜上妬いているというアピールなのか?
ほんとうに妬いてるの?

おとうさんのこと、どういうすきなら良かったの?
どうすきなのか?

恋愛感情とか親愛友愛家族愛尊敬羨望
なんだ?
性愛だったのか?

親愛、かなぁ。
しあわせになってほしくて。
だからつまりそこに私が介在していなくても良いってこと?
遠くで、ただ幸せでいてほしいと願うこと?

穏やかな愛だ。
静かだ。

無関心と紙一重のように思えます。
わたしにとって、毎日想うということは執着と好意の維持だ。
ふとした時に想うことはその人を過去のものにすること、忘れること。

忘れるのは嫌だな。覚えていたいけどいまだに世界はわたしにとって刺激的で、一瞬ごとに浮かんでは消える思考が想い出を過去へと押しやる。

深い愛。静かな愛し方をしたい。そして、同時にそれを恐れてる。
好意を表明しないと向こうに好意の返報性がうまれないし、わたし自身も相手をすきなことを忘れてしまうのではないかという不安。

それは本当にすきなのか?

見返りを求めない、とか。
そういうことじゃなくて、
でも深度の高い愛も、自己満足だ。

わたしの不安が、不満が、欲求が、ミラーになってる気がする。

自分がそう思ってから逆のことをする

ずっと好きなんてないと思ってるからずっと好きでいる振りをする。
温度を変えず。変わらないまま。

子供の時にあった人とは子供のように接するということだ。
本当にそうしてるからわたしはわたしを信じられない。

腹の中では何を考えているのか。
好きだという言葉は本当なのか?
好意の表れる振る舞いは本心なのか?

わたしが誰かを好きなときに、他の誰かから見てあさねさんはあの人が好きなんだなと思われることは安心する。
わたしが誰かを好きだと端から見てる人にも伝わるということは、本人にも同じく伝わっているのだと思えるから。

すきと、言葉にすればするだけチープだ。だから好意を表す人を、本来あまり信用すべきではない。

はーとまーくに意味なんてないのかも。
むしろ親密になるほどはーとまーくは減るのかも。

ふーん。ふーん。ふーん。ふ。

そういったものだ

執着は愛ではない。
ふ。

強い執着を見せていた人が、自分に関心をなくしたら、それは愛がなくなったとは言わない。

すきなんだけどなぁ。
すきというのは主張するものじゃなくて、執着するものじゃなくて、ただ自分の中にあるもので。

何かがあったときに相手のことを思うことだ。押し付けるものではない。ので。

自分は、深度の深い愛が分からないのかもしれない。
深度の深い愛というものは相手に伝わらないと思っている。

何かあったときに相手のためになるというのは、何かがないと相手と関わらないということなのか?
そうではないけど。

相手に何かがなくても、もし自分が会いたいと思えば会えばいいと思う。

自分が相手に好意を伝えることで相手に好意の返報性を適用させたい、みたいな。
文字にすると浅ましさが鮮明に浮き出るな。↓

まあ、でも、そういうことだ。そういうことかー…↓

多分、わたしは好かれたい。
人に好かれたいというのは、一般的に持っているものだろうから悪いものではないと思う。
なんだけど。

好きな人に好かれたい。
好きな人には、好かれたいなぁ_(:3 」∠ )_

それは、そうなんだけど、
でも自分の中で順列をつけられていると錯覚すること?は、正しくない、正しくないは適切ではない。
そもそも、自分は彼の中で誰かよりも優先順位が低いんだと思うことは少なくとも精神衛生上良くない。

あと、彼の中で誰かに変わる私ではないし、わたしに変わる誰かでもない。
だから、優先順位というものはないし。

会いたいときには会いたい。
なんだろう、会える期間を長引かせるために自分が納得出来ていないのに無理矢理感情を抑えるんじゃなくて。

……………。彼は本当に善いもので、貴いと思う。
貴重だ。
人間らしい人間で本当にすきなの。

だからなくしたくない。は、執着。

深度の深い愛し方をしたい。
彼にとってわたしが一時いえにいた娘くらいの取り方でも。

まあ、方々からいまの子を可愛がってる話を聞くから本当に可愛がってるんだと思う。
どうでもいいのか?
わたしは本当は嫉妬してるんじゃないのか?

いいなぁとは思うけど。思うけどもうわたし関係ないからなぁ。関係がないということもない。元上下関係が、わたしたちの間にはある。

……………_(:3 」∠ )_
うーん。得られないものを得ようとするほど子供ではない。

忘れたくないけど会わないとわたしの記憶は薄まるので。
忘れてしまってもいいのかもしれない。
良くはないけど、忘れてしまうこともやむ無いのかもしれない?

うーん…。そうかー。そうなのかぁ。
でもさぁ。
いつの日かおとうさんがおうちを出たときに、出たときこそ会いたいし、会いたいと思ったときは会いたいよねぇ…orz

だから別に忘れようとするものではなくて、すきだなぁ。
すきでいいし、深度の深い愛し方をすればいいのかなぁ。

それでわたしが彼をすきじゃなくなったと思われるのが嫌なんだけど。
嫌なのか。自分に飽きたんだなと、思うだろうか。
そもそも飽きるってなんなのか。
そう思ってるのはわたしだけなのかなぁ。

わたしが誰かに飽きるから、人はいつか飽きると思ってるのかな。それはある。
永遠にすきなんて信じられない。多分いつも傍にあるものは普遍的に日常的な感情を抱けるものな気がする。

大好きなもの、熱心に時間を割いたものは多分いつか変わる。
ずっと傍にあったもの、生活に溶け込んだものは変わらずそこにある。

大好きな人じゃなく一緒にいられる人と過ごすのかもしれない。自分でいられる人といるのかもしれない。
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