そんなことがあるのか。
そうなのか?
なんなんだ。

閑話休題。
わたしのいう「かわいい」は好ましいという感覚を言語化していて、正確にはかわいいだけじゃないし、かわいいじゃないときもある。
「こわい」は不安な時に出る。
自己防衛のようなもの?こちらの方が正しく面倒くさいなのかもしれない。

「面倒くさい」は、これが面倒くさいという単文以外に思っていることがあるけれど、その思いを言語化するのが面倒くさい。正しいニュアンスで伝えることが面倒くさい、反論されることも面倒くさいという意味だ。
わたしの言葉のなかで一番人に誤解を与えていて、良く使う言葉。
誤解を与えると分かっていて使っている言葉。

相手に正しい意味で言葉が伝わらなくても、誤解をされていても正確に伝わっていても、どちらでもいいのだ。
好ましい人には誤解されたことが分かれば謝罪をするし、もしわたしが悪いものだと思われていてもわたしが好ましく思っている人はそんなわたしを許してくれます。多分ね。

わたしを嫌いな人に誤解されたとしても、もう好感度をリカバリーする方法はないのでもういいのだ。
だからいい。わたしサイドとしては。

ねむい。