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アニメ「PERSONA」

前回、叶鳴が人間じゃないってわかった時、精神世界みたいなの描くのに、そーゆーのは反則だろと思ったけど、今回はその叶鳴が切なかったね。

「みんなとの思い出だけは無くしたない本物の思い出だ」と言って静かに眠っていくトコロは涙モノでした。

思えば皆と友達になって影抜きを止めたころがすでに叶鳴の体の限界の頃だったのでしょうか?

恵が言ったように叶鳴の中で自我が芽生えて影抜きを止めた頃がホントの叶鳴の始まりだったのか。

だから始まりのぺルソナを持ってたのか?


まだまだ先が見えない「PERSONA」です。

CLAMPC「ちょびっツ」

娘のツレが貸してほしいと言うのでただ今貸し出し中。

「ちょびっツ」がリアタイで発刊されてた頃に買おうとしたらしいが母上様が「青年誌の漫画やからアカン!」と止められたそう。

その母上様の判断は正しい。


「ちょびっツ」が流行った当時、娘達はまだ小学生。

「ちょびっツ」の表現は青年誌の中ではまだヌルかったとはいえ、CLAMP作品の中では(青年誌を意識して)エロい方。

まあそれでも今の少コミの方が過激かも。


小学生女子が自ら買って読むのは、母親にすればチト問題視するのは正しいだろう。表紙のちぃがかわいいから騙されるがね。


ウチは腐母が買いました……

アニメを見そびれたもんで、なら原作で読もうかと着々と買っていきました。

アニメの方はDVDを借りて見よかと思ってたんやけど…近所のレンタル屋には入りませんでした(>_<)えーん


んでウチで娘に対する処置はどーしたかとゆーと…も、成り行きまかせ
や、どーしようかと考えんでもなかったんやけど…フツーに本棚に入れてたんで、黙って読もうと思えば読める環境だっもんで、とりあえず「貸して」と言ってきたら貸してましたよ。ギリギリセーフと判断して。

質問がきたらなるべく真面目に答えるようにはしてたけどね。



さて本題に

誰でもそうだったろうと思うけど、しょっぱなにどーみても「ロボット」なんを「人型パソコン」と言い切った力技には目が点だった…

「ソレのどこかパソコンやねん!」っとツッコんだのは、言うまでもない。

けどヒデキも割と早い段階でソノこと疑問に思ってたよね。作中ではパソコン素人だからこそ思いついた疑問のようだった。パソコンに精通したミノルくんは疑問に思ったことないようだったし。

疑問の答えはラストに明かされますが、納得できるようなできないような…ほとんど開発者の愛情というワガママのせいな気がする…。

まぁ…そこんところは人と機械のお伽話と割り切ってしまおう。


ちぃは体は大人(やや疑問)頭脳は幼児の廃棄(?)されてた人型パソコン。

パソコン素人のヒデキくんが拾ったことは大ラッキー!
てかヒデキくんの元へちぃが来たからこそ、紡がれたお伽話。
パソヲタに拾われてたらあり得ないよ。

ある意味、とても危険な話だと思う。

実際物語中でもあったけど、人が人以外の自分の理想型を持ってしまい、人に興味を無くしてしまって人間関係が破綻してしまうという事態が起こりうる。

パソコンはプログラム通りに動くからいくらでもヒトの都合ねイイように作れるからね。

ちぃ達はパソコンでも自律型みたいだから、基本プログラムに反しない限り、自分ででも思考するようだ。
実際物語中で柚姫が命令されてないのにミノルの為に無茶してたし。

そんなトコをヒトは愛いヤツと考えるかもね。

人間社会崩壊の危機だ。


人が人以外のモノ(特に無機物)大切にするという行為は否定はしないけど(つくもの神はアリと思うから)、人以上に大切にするのはどうかと思う。これはリアルな話で。

人と機械のお伽話として読めば、後味のよい作品だったと思う。
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