(この人も……吸血鬼…)

たった今降りてきた、ほとんど白に近い金髪を短く切り揃えた女性。
熟れた苺のような唇の下に見え隠れするのは、紛れもなく吸血鬼たる証拠だ。
アンソニーの前までダイナが来ると、彼は先程の箱を差し出した。
ダイナの目は箱とアンソニーにのみ注がれ、三人へは全く向かない。

「これを儀式屋のコレクション・ルームへ……あの馬鹿吸血鬼がとんでもない方法で持ち出した挙げ句、戦闘に使用している…傷がないかも調べておきなさい」
「はい」

どうやら箱の中身は、先日Jが使用した短剣のようだ。
包まれていた布を僅かに捲り、中身をダイナに確認させる。
彼女は頷くと、彼から箱を受け取った。
迅速に無駄なく行動する主義なのか、たった今己が受けた命を果たすべく、彼女はさっさと踵を返した。
遂に最後まで彼女は、ユリアたちを見ることはなかった。
再び階段を上るのかと思われたが、ダイナはユリアたちから向かって右手奥─丁度、純白の天使が地に降り立った瞬間を捉えたろう彫刻の後ろ─へと消えていった。

「……相変わらずダイナさんはクールな人っすね」

ぱたん、と小さな音が聞こえた後、しみじみとした声でヤスがそう評した。
それはユリアも思っていたことで、心の中で同意していた。

「あのくらい冷静でなければ、私の助手は勤まらんよ……」
「あの方、助手なんですか?」
「そうとも。流石に私一人でこの館全ての管理は出来ない。ダイナは大変有能だからな、この館の管理には打って付けの存在なのだ。さて、」

そう話を切り上げると、アンソニーは中断されたままだった自分の予定を再開した。

「この館の案内だったな。アキ、君の仕事内容にも関係するものもある。先にそちらへ案内するとしようか」

こっちだ、とアンソニーの細い背中が階段の方へと向かう。
三人はその案内に従って歩き出した。




「悪魔がまた、脱走しただと?」

何処よりも空に一番近い部屋で、尼僧服を着用していないシスターは素っ頓狂な声を出した。
えぇ、と琥珀の瞳を下着姿の彼女へ向けぬよう、窓枠にもたれ雲が旅する先を眺めながら、彼は返事した。

「先程、二区から三人だと報告が」
「……二区?こないだも二区から、アホな脱走者どもが出たではないか」

ソファに寝そべりながら、窓の外を眺める青年へ疑問符を投げ掛けた。
まさにその通りで、つい数日前に彼女と彼はその悪魔を退治したばかりである。
青年はそれに頷き、更に、と続けて。

「僕達がそうした日よりも前に、アレックスが脱走した悪魔を抹殺したらしく、それも二区だったことが分かっています」
「……つまりは何か、汝は二区が何ぞ企んでいると?」
「というか、局長がそうだろうと仰っていました」
「…………」

局長の単語に、シスターの端正な顔が酷く歪んだ。
神父服の彼は、その様子に微かに苦笑を浮かべたが、まだ話の続きがあるのを思い出す。

「丁度その場に居合わせた、神父ベンジャミンとシスター・ミュリエルが追っているそうですが……」
「……何だ、さっさと申さぬか」
「……泳がせてみろ、という局長命令が出たようです」
「…………何だと?」

剃刀色の瞳が、不可解そうに細められた。
それもそうだ、脱走した悪魔は即刻殺せが彼らのルールなのだ。
それを局長命令とはいえ、泳がせるとは、一体どういう根拠があるのか、そしてその目的は?
……だが、それ以上に不安な要素があった。

「ベンジャミンとミュリエルがその任務についていると申したな」
「はい」
「……幾らあのオヤジが強くとも、ミュリエルがおとなしく言うことを聞くとは、全く思えぬが」
「最近、神父ベンジャミンは新人教育に回っているそうですから、案外操るのも上手いかもしれませんよ」

しゃらしゃらと涼やかな音が聞こえて、近付いてきた神父を見上げる。
自らを映す二つの琥珀の輝きが珍しく笑って、それにつられて彼女も悪戯な笑みを広げた。

「なれば賭けをせぬか?」
「構いませんよ」
「余は出来ない、汝は出来るに。負けたら相手の言うことを一つ聞く、でどうかの?」
「貴女が僕の言うことを聞くのを、楽しみにしておきますよ」
「そう言えるのも、今のうちだけだ」

高い高い空の上、二人は密かに賭けを始めた。