次の瞬間、多くのことが一挙に巻き起こった。
牽制していたヤスが、一瞬の隙をついて身を離し、その刃をアキへと翻した。
すると、アキは一切の迷いなく、左手のリボルバーの引き金を引いた。
後頭部から撃ち抜かれたフェイは、その場で崩れ落ちる。
だが、その姿は途中で紙切れに変じてしまう。
これも、どうやら偽物だったらしい。
アキはそれを横目で盗み見ると、そのまま流れるような動作で、ヤスに向かってもう一丁の銃口も向けた。
ヤスは瞬時に間合いを取り、姿勢を低く構える。
そして、とんでもなく強力な脚力で、アキの腹部目掛けて剣を突き出した。
迎え撃つ側のアキは、凶悪なまでにその笑みを広げると──なんと、ヤスの攻撃を甘んじて受けた。
ぶわっと、ヤスの鼻腔に鉄臭いにおいが広がる。
そのにおいが、ヤスの奥底に沈んでいた意識を呼び覚ました。

「……アキ、さん…?」
「おいおい…馬鹿野郎、このタイミングで、目ぇ覚ますとか、そりゃねぇだろ…」
「……!?」

目の前には、右腹に剣が突き刺さりながらも、不敵な笑みを湛えるアキ。
これが夢ではないことは、握り締めた柄から伝わっている。
己の仕出かした行為に気付いたヤスは、顔を真っ青にして剣をすぐさま抜いた。
傷口から新たな赤い血が、垂れていく。
流石に立っていられず、地に片膝を着いた。
ヤスが心配して手を差し伸べたが、不要だとばかりに首を振る。
アキは、やや苦しそうな表情を浮かべてはいるが、悪戯猫のような瞳は真っ直ぐにヤスを捉える。

「心配すんな、お前に殺されるほど、柔じゃねぇ」
「で、でも…俺は……俺はアキさんを…!」
「言い訳は後できっちり聞いてやるよ。それよりヤス、早く儀式屋のとこ行け」
「え、旦那のところ……?あ、そうか、戻ってきた、んすね…」

アキに気をとられて気づかなかったが、いつもの精神世界に戻ってきたのだ。
ぼんやりしていると、再度アキがヤスを急かした。

「急げ、侵入者が多分いる。今なら間に合う、行け」
「侵入者!?…で、でも…」
「行け!」
「!」

いつも以上に厳しい言葉を投げるアキに逆らえず、ヤスは迷子のように何かに縋りたそうな顔のまま頷いて、店内へと入っていった。
きっちりと扉が閉まったのを見届けると、アキはゆっくり立ち上がった。
アキの特異体質として、受けた傷もしばらくすれば治る。
だが、瞬時に治る訳ではないので、やはりこの状況ではヤスも、侵入者も追いかけられない。
彼の精神状態に不安が残るが、誰も行かないよりは、マシだ。
ふぅ、と長く息を吐いたあと、やにわに言葉を発した。

「さぁ、悪魔。これでお前のご主人様は、お前の助けを借りることは出来なくなった」
「……そして、貴殿は動きたくても動けない。痛み分け、とでも仰いますか」

アキの背後、いつのまにか復活したフェイが佇んでいた。
くくっと、アキは低い声で笑う。

「こんな形で儀式屋に会おうってんだ、お前のご主人様の技量は知らねぇが……返り討ちにあうぞ」
「さて、それは貴殿の想像に過ぎません。もしや、ということもございましょう」
「……もしもがあって困るのは、お前の方だと、あの狂人に伝えておけ」
「おやおや、それは脅迫ですか」
「違う」

実に愉しそうに尋ねた悪魔に、アキは冷たく言い放つ。
そして、振り向き様に悪魔に向けてオートマチックを放った。

「こいつは、宣戦布告だ」
「面白い……そのように、伝えましょう」

心臓を撃ち抜かれたフェイは、実に慇懃にお辞儀をしてその姿を掻き消した。
辺りから完全にフェイの気配が消えたことを確認して、アキはよろよろと玄関前に座り込んだ。
痛みはもうない、だが、それまでのことで、かなり体力を消耗している。
傷付いた腹部に手を当て、アキは目を閉じ考える。
いつものように“死んだ”訳ではないから、あとどのくらい体がもつのかは分からない。
そして、その後どのくらい目覚めないのかも不明だし、そもそもいつもの“アキ”に戻るのかすら疑問だ。
分からないことだらけの己に、乾いた笑いを彼は漏らした。
どれだけこのままでいられるかは分からない。
だったらせめて、ヤスが侵入者を捕縛するまでは、正面からの突破は誰にもさせない。
リボルバーとオートマチックそれぞれの弾数を確認し、アキはふっと気合いをいれるように短く息を吐いた。

「……頼むぞ、ヤス」

祈るようにそっと呟き、彼は死刑執行人のごとく、そこで静かに待ち続けた。



長い間、瞑想の世界に入っていた彼は、何の前触れもなくすっと目を開いた。
切れ長の紅い瞳だけが、扉の方を向く。
そして、死者のような顔の中に、薄ら笑いを浮かべた。

「これはこれは驚いた、こんなところまで来客が一人で来るとは。案内もなく、不躾で申し訳ない。さぁ、そんな“外”にいないで、こちらへ」

今、室内には誰もいない。
彼は、儀式屋は、扉の向こうにいる“誰か”に話しているのだ。
そして、無言のうちに扉が開き、果たしてそこに“誰か”がいた。

「…………」

その“誰か”は、目深にフードを被り、表情の一切が見えない。
ただ、何かしら思い詰めたような雰囲気がありありと感じられる。
見るからに、普通ではない。
その場に佇んだまま、一言も喋らず、じっとしている。
そんな輩であるのに、儀式屋は気に止めずに話しかける。

「さて、来訪者よ。何を貴君はお望みなのかな」
「…………」
「嗚呼、そうか。私が当てたらよいのだね。そうだね……貴君は、戻らない時間を望んでいるのかな。それとも、喪った誰かを恋忍んでいるのかな」
「…………」
「だが、残念ながら、私にはそれらを叶えて差し上げる力はないのだ。願いを叶えるのは、白い魔法使いの役割だからね。貴君は……それを、よくよくご存知のようだね」

椅子の背もたれから体を起こして、覗き込むように儀式屋は尋ねた。
それでも、来訪者は何も言わない。
何も言わぬ来訪者に、儀式屋は更に言葉を重ねる。

「ならば何故貴君は、こんなところまで来たのか?見たところ、貴君はこの店に用事ではない。そして、私が願いを叶える者でもないとご存知だ」
「…………」
「だとしたら、答えは簡単だ。貴君は、私を魔術師の影と知り、此処へと来たのだ。そうだろう?」

刹那──来訪者は、床を蹴りつけて跳躍すると、儀式屋の執務机に飛び乗り、生白い腕が彼の喉元にナイフを突き付けた。
儀式屋は低く嗤った。

「随分と血気盛んだ…以前から、そうだったかな?」

死者のような儀式屋の白い手が、来訪者のフードに手をかけ脱がした。
そして、そこに現れた顔に、儀式屋は満足そうに笑みを広げた。

「久方ぶりだね──笹川マサト」



To be continued…