五章§06

──さて、そうした経緯を経て話がまとまった直後、三人はアンソニーの館へ向かうことになったのである。

“ならばついでにこれを、アンソニーに渡してきてくれないかね”

出掛ける直前、そう漆黒の彼が手渡してきたもの。
白く細長い箱で、持った感覚としては少し重量がある。
中に手紙を同封していることを伝えてから渡すように、との注意と共に受け取ってから、早数分。
ゆっくりした歩調で歩くアキにつき従うようにして、ヤスとユリアの二人が後に続いていた。
先頭を行く彼は、先刻までの軽装とは違い、物々しい服装を纏っている。
曰く、服装を変えることで、彼の中のスイッチが切り替わるらしい。
とはいえ、その何処か危なっかしい雰囲気は、ちっとも変わらないが。

「ヤスさん、」

静かな精神世界に響く、少女特有の高い声が、横を歩く長身の男を呼んだ。

「何っすか?」
「……ううん、その、有難うって、言いたくって」
「あぁ……そんなの、気にすることないっすよ」

大きな手のひらが、緩やかにユリアの頭を撫でた。
その行動が照れ臭いやら嬉しいやらで、ユリアの顔は自然に笑顔になった。
……きっと、アキと二人だけで行っていたら、何とも気まずい道中だったに違いない。
その間にヤスがワンクッション入ってくれたのは、とても救いだった。
ユリアが何に悩んでいるのかを察し、ついてきてくれたヤスには、心底感謝だ。

「ところで、ちょっと聞きたいんですが」
「うん?」
「その、アンソニーさんって、そんなに美術品が好きなんですか?」

黙りのアキすら辟易する程に、美術品に執着する男。
部屋を出る前に美女が“アンソニーに気を付けてね”と言うぐらいだ、そんなに酷いのだろうか。

「あー……まぁ、右に出る人は絶対いないっすね。何せ屋敷中に美術品だらけなんすから」
「そんなに?」
「びっくりすると思うっすよ、あの膨大な数といったら……まぁ、美術品に囲まれて死ねれば幸せだとか言ってるような人っすから」

やや苦笑気味にヤスは語り、理解できない領域っす、と付け足した。

「それから……自分が欲しいと思った物は、手にするか絶対に無理だと悟るまで、しつこく追い掛け続ける癖があって、姐さんがその被害に昔っからあってるっす……ユリアちゃんもその被害に十分遭う可能性もあるっすね」
「え、私っ?」
「だってユリアちゃん、精神体っすから。結構年いってる人で精神体は多いんすけど、若い子でってのは珍しいっすから……ま、旦那のって分かれば多分手は出さない、はず……っすよ?」
「…………ヤスさん、守って下さいね?」
「も、勿論っすよ!」

不安な眼差しを受けて、力強く安心させるようにヤスは頷いてみせた。
それにほっとして、ややアキと離れてしまった距離を縮めるため、小走りに地を蹴った。
ユリアとヤスがこうして和気あいあいと話している間も、アキは一言も口を挟まず黙々と目的地へ歩いている。
無口で口下手とはいえ、二人だけで盛り上がるのは、何だか悪いなとユリアは思った。

「あの、アキさん……?」
「………何…?」

振り向きはせずに、ハスキーボイスだけが返事をした。
こちらからのファーストコンタクトが取れたことにユリアは内心安堵したが、呼び掛けてからこの先、なんと続けたものかと一瞬黙り込む。

「その………えっと、その、アンソニーさんのところって、遠いんですか?」
「………うん」
「……その、まだ時間が掛かります…?」
「………うん」
「そう、ですか」

全て一言で終わってしまう会話を、ユリアにはこれ以上続ける気力はなかった。
隣を歩くヤスを見れば、どことなく疲れたような笑みを浮かべていた。

「……いつものことっすから、徐々に慣れてくっすよ」
「そうだといいんですけど……」
「大丈夫、“まだ”普通の受け答え出来てるっすから」
「……まだって何ですか、まだって…」

青年の発言に一抹の不安を覚えながら、一心不乱に歩き続けるピンクの頭を追い掛けた。

五章§07

歩いていくうちに、ユリアはその風景に既視感を覚えた。

「……アンソニーさんのお屋敷って、リベラルさんのところと近いんですか?」

狭い路地を通り抜けた後に広がる、広大な敷地に立つ屋敷。
鼻腔を擽る甘い香りをそろそろと吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
間違いなくそこは、リベラルの住まうお伽噺の屋敷だ。

「あー……近いっていうか、お隣さんっていう感じっすかね…?」

甘ったるい匂いに一瞬眉をしかめた後、ユリアの疑問にヤスは答えた。

「お隣さん?」
「そうっすよ。ほら、此処が女王様のお屋敷で……ちょい向こうに、でっかくて真っ白いの、見えるっすよね?」
「はい……って、あれなんですか!?」

目の前に飛び込んできた建物に、ユリアは驚愕の声を上げた。
そこにあったのは、家や屋敷というものとはあまりにも違いすぎる──本当に、美術館か博物館といったものだった。
白一色で統一された、ドームのような形をしたそれは、見るからに大きな建物だった。

「あんな近くに……」
「女王様はかつての精神世界の美しさを、あの人はこの世界の美術品を、愛しているという点で仲が良いんすよ……だからこんなに近くにあるんすよ」
「そうなんですか……」

そういえばあの彼女も、必死になって美しかった世界を守ろうとしている。
類は友を呼ぶ、ということだろうか。

歩調を緩めずに進むアキに続き、徐々に近付く美術館を見上げる。
特に模様はなく、つるんとしたフォルムが美しい。
その壁には全く染みの一つもなく、光にあたればまばゆく輝きを放った。
楕円の形をした建物の入口、豪奢な飾りの付いた扉まで来たところで、アキの足は止まった。
だがその扉は不思議なことに、何処にも把手が付いていなかった。
扉の形をしているものの、それは単なる飾りか絵画のようなものに見えた。

「………来た」

しかしアキがぽつりと小さく一言呟くと、その部分にぽっかりと黒い穴が空いた。
ユリアが目を丸くして見ている間にも、アキはその中へ入っていった。
呆然としていると、ヤスがユリアの手を引いて中へ入るように促した。
ヤスに手を引かれて中へ入ると、背後の穴は瞬きしている間に消えてしまった。

「わぁ………」

ユリアの興味はそれよりも、自分たちを出迎えた建物の内部に向かっていた。
静かな静かな世界に、ひんやりとした空気が鎮座していた。
神聖な気配が漂っていて、その中に目を引く程に美しい物が、スポットライトに照らされ、ユリアたちに微笑みかけていた。
その美術品は、たった一つというわけではなく、ぐるりと辺り一面を囲む程にある。
美しい女性が微笑みかける絵画に、大理石で彫られた天使の彫像、輝きを放つ宝石の数々。
その場所は美術館そのものだった。

「こんな凄い……綺麗…」
「当然だとも。此処にある全ては、私が苦労して集めた中でも、一番美しく、珍しい物をこの玄関ホールに置いたのだからな」

ユリアの感嘆に、自信に満ちた声がホール中に響き渡った。
はっとして声の聞こえた方を見れば、ユリア達が入ってきた入口の真正面、上の階へ続く階段の上から一人の男性が降りてきた。
とても神経質そうな顔付きに、糸のように細い目が、こちらを見下ろしている。
濃い青色のスーツに腕を通し、少し零れた前髪を手袋をはめた手が払った。
磨き上げられた靴が最後の一段を降り、三人の前へと彼は立った。
だがそのライトグリーンの瞳は、無気力そうなアキにだけ向けられていた。

「やっと来てくれたようだな、少し待ちくたびれたが」
「……仕事、は?」
「そう急くんじゃない。話はゆっくりと……」

と、男はそこまで言って口をつぐんだ。
今まで生気のない青年にばかり向けられていた意識が、突然その向こうにいる人物へ移ったからだ。
細い糸のような目が僅かに見開かれ、品定めするように手袋をはめた手が下唇を撫でた。

「素晴らしい……!!」

褒め称える単語が彼の口から発され、線で書いたような笑みが浮かび上がった。
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