玄関ホールは、今や凍りついて誰一人動く者がいなかった。
恐ろしいほどの静けさと、締め付けられるような緊迫感が辺りを満たしている。
先刻まで鬼気迫る形相で侵入者を追いかけていた悪魔たちだったが、そんな気配など微塵ほどもなくなっていた。
寧ろ、今は自分たちが追い詰められているとさえ、思っていたのだ。
手にした武器が手汗で滑らないように握り直し、一人の悪魔がこの異常事態を発生させた人物に、威嚇するような声音で吠えたてた。

「何用だ、ミュステリオン!」

漆黒の神父服、首から下げられた銀のロザリオ。
最早、それさえ見れば、この世界での彼らの職業など容易く分かるというものだ。
そして、彼らがこの屋敷へ踏み込んだ理由も分かっている。
分かっていても尋ねたのは、今のこの状況下には招かれざる客だからだ。
想定外の事象を前に、冷静でいられるほどの精神状態など持ち合わせていない。
そんなことなどいざ知らず、招かれざる客は開け放したままの扉から吹き込む風に声を乗せ答えた。

「はぁ?バッカみてぇな質問、かましてんじゃねぇよ、クズ共が」

品という言葉を何処に置いてきたのか、およそ曲がりなりにも神父という職に就く者とは思えない言葉が、男の口から飛び出した。
不遜な角度でこちらを睨み付けてくる神父は、さも面倒臭そうに手に下げていたマシンガンを肩に担いだ。
そして、悪魔という種族に対して悪の感情しか抱いたことのないかのような声音で、ご丁寧にも先の問い掛けに答えた。

「ここにいたクズ共、何処に消えた。てめぇらがクズ同士でヤりあったのか」
「…なんの話だ」
「おいおい、クズは脳みそまで腐ってんのか?いいか、俺が聞いてるのは、」
「し、神父アレックス!いつの間に…!」

開けっ放しだった扉から、第三者の呼び声が飛び込んで来た。
口汚い言葉を悪魔に浴びせていた神父は、名を呼ばれて意識だけをそちらに向けた。

「何だよ、迷子になってんじゃねぇぞお前ら」
「君が先走って行くからだな…」
「って、先輩っあ、悪魔がっ!」

アレックスの身勝手な振る舞いに注意をしながら入って来たのは、先刻Jに殴り飛ばされた神父だった。
そのあとに遅れて入って来たもう一人の神父は、屋敷内へ入るなり、アレックスが対峙している相手を認めると、大層驚いたように声を上げた。
その反応が面白かったのか、アレックスは不機嫌面から不敵な笑みに作り変えた。

「処女みたいな声上げてんじゃねぇよ、初めてでもあるまいに」
「神父アレックス、言葉を慎みたまえ」
「へーへー、わかりましたよ」

肩を竦めて形だけは反省したかのようにしたが、彼らから見えない位置にある顔は、相変わらずにやついたままだ。

「で?お前らどうすんだ?このクズ共を捕まえんのか?一応、俺は不本意だが我らが局長からお前らの協力をするようにって言われてんだけど?」
「あ、あー…そうだな。お前たちに、二区の件で聞きたいことがある。大人しく話せば、何もしない」
「だとよ。クズ共、どうだ?」
「…話すことなど何もない」

幾分気分が良くなったアレックスとは対照的に、突如現れた仇敵に悪魔は身を固くして様子を伺っている。
自分たちは侵入者を追わなくてはならないのに、こんなことをしている時間はないのだ。
苛々を募らせながら、何処かで脱け出せる隙はないかと時を窺う。
その真意を知る由もないミュステリオン側は、アレックスを除いて表情を硬化させる。

「何もないだと?ふざけるな!」
「貴様らに用はない、立ち去れ」
「っ、誰に向かって口を聞いている!」
「まぁまぁそうカッカすんなって」

今にも手にした銃を発砲しそうになった若い神父を戒めたのは、意外にもアレックスだった。
何が楽しいのか不明だが、場違いなほど朗らかな声で、彼はとんでもないことを言ったのだ。

「だってお前ら、この区の悪魔じゃねぇもんな?」
「!?」
「い、今なんと…神父アレックス!」
「だから、このクズ虫どもは、この区の悪魔じゃねぇんだよ」

さらりと何事もなかったかのように言ってのけたアレックスに、その場にいた全員が唖然として一言も口を聞けなかった。
神父側は信じられないという顔で、悪魔側は心臓にナイフを突き刺されたかのような表情で、アレックスを凝視する。
暫くアレックスはその雰囲気を満喫していたようだが、やがて悪魔の方を見ながら口を開いた。

「この全異端管理局のアレックス様を、何だと思ってやがる?俺は一度見た顔は、絶対に忘れねぇんだよ」

自身の頭を指差しながら、彼は大層自慢げに宣った。
全異端管理局にとっては普通のことなのだが、悪魔と直接的な関わりの少ない発掘調査局の職員では判別が付かないのだ。

「全異端管理局…っ!?」
「おい、まずいぞこれはっ」

アレックスが自慢ついでに口走った所属部署名に、それまで苛立ちのみしか表に出していなかった悪魔たちだったが、途端に恐怖の色が混ざりだす。
単にそれは、彼ら全異端管理局が凶悪であるからだけではなく、先の発言を信じるなら、自分たちが何処の区の悪魔か看破されているおそれがあるからだ。
それは、それだけは、今この場で露呈するわけにはいかない。