クロードとのやり取りを改めていたボニーは、今になって彼から休めと言われたことを思い出した。
部下を二区へ派遣した今、漸くまとまった休息を取れそうだ。
ボニーは静かに目を閉じると、夢を見れないくらい真っ暗闇な世界へ、意識を投じた。



ボニーが束の間の休息を得たのと引き換えに、ミュステリオン総統クロードは頭を抱えていた。
ボニーの報告を聞いてから、すぐさま魔術師サニーロードを呼び出した。
彼に現状を教える必要があると感じたからだ。
現れた魔法使いは大層不機嫌そうで、クロードの必死の訴えにもあまり関心を示さなかった。
ただ一言、「見つかりっこないね」とだけ言って、とっとと帰ってしまったのである。
呆気に取られたクロードは、しかし魔法使いをもう一度呼び出すことは諦めた。
サンの機嫌が悪いのを知って呼び出すことは、あまりにも無謀だと彼は承知している。
はぁ、とクロードは窓から中庭を見下ろしながら溜息を吐いた。
神父とシスターが、あちらこちらを歩いて、それぞれの仕事をしている。
だが、中には人から見えぬ片隅で、何事かを耳打ちする者もいて──その内容が、容易に想像出来てしまうくらい、彼はそのことに悩まされていた。

(彼が少しでも協力してくれたなら、この厄介な事件も片付くというのに……)

少なくとも、闇色の男は計り知れない何かを秘めてはいるものの、事の重大さを理解している。
ところが魔術師ときたら、自分が興味のない事には全く見向きもしないのだ。
自分が総統になった時にそれは嫌というほど思い知らされたのだが、こんな時にまで気分屋でいてもらっては適わなかった。
中庭から目線を外し、雲が覆う空を見上げる。
空でさえも、ぱっとしない天気で、気が滅入りそうだった。

「あら、よくない顔ね」

涼やかな声が彼の曇った心に一筋の光を差し込んだ。
はっとして見ると、豪奢な金の飾りがついた鏡の中から、美しい女神が覗いていた。
彼と目が合うと、美女は微笑んで見せた。

「突然ごめんなさいね、クロード。お邪魔だったかしら」
「アリア…!いや、そんなことはない。君の顔を久しぶりに見れて嬉しい限りだ」

クロードは鏡に駆け寄り、突如現れた麗人に優しく言葉をかけた。
彼は儀式屋に関しては信用していないのだが、アリアは特別だった。
彼女と話す時、クロードは心が安らかになるのだ。
儀式屋側の人間だと知っていても、彼女にだけは辛く当たるということを彼はしなかった。
彼女が初めて訪ねて来た時は大層驚いたものだが、今ではミュステリオンの誰にも秘密だったが、彼はアリアの訪問を心待ちにしているのである。
そんなアリアは深海の輝きを詰め込んだ瞳を瞬かせると、僅かに声音をトーンダウンさせた。

「大丈夫?何だか凄く疲れてるみたい」
「……君のところの店主から、粗方は聞いているだろう?」
「えぇ。彼は、魔術師が動くんじゃないかと、思ってるわ」
「……その可能性は、低いだろうな」

思いの外、抑揚のない声でそう呟いたクロードは、自分自身に驚いた。
余程、自分は彼に期待していたのだ。
苦笑いを浮かべていると、アリアは不思議そうに首を傾げた。
クロードは、心の内に押し込んでいる悩みを、目の前の美女に打ち明けた。

「実は事件の重要参考人が殺されてしまってね……全く手掛かりがないんだ」
「それは……お気の毒ね」
「奴が起こした事件は、単独ではないというのが我々の了見だ。そしてこのまま放置すれば、精神世界全体を危機に陥れるだろう。だから彼には、話を通しておくべきだと私は思ったのだが……」

そこまで言って、クロードは言葉を濁した。
これ以上言わなくても彼女には分かるだろうと、口を噤んだのだ。
案の定、美女は鏡の中で、大層同情するような表情で彼を見つめていた。
その表情にクロードは、小さく溜息をついてみせた。

「それで、魔法使いは、何もしないというのね」
「ああ、ただ一言『見つかりっこない』とだけ言って、帰ってしまったのだ」
「見つかりっこない?どういう意味かしら」
「恐らく、話の脈絡からして……私が、重要参考人を殺害した犯人を見つけなくてはと言ったことに対して、だろう」

流石に変わっているとはいえ、意味もなく見つからないとは言わないだろう。
気紛れか何かは分からないが、一応は自分の話を聞いた上での反応だったと、クロードは信じたい心境だった。