だがそれでも彼は、笑みを絶やさなかった。
無遠慮に儀式屋の机に座ると、彼の顔に向かって人差し指を突き付けた。

「不死身クン、帰って来たでしょ?」
「まぁ、そうだね」
「で、報告は?」

そう問われた儀式屋は、無表情だった顔を僅かに緩めた。
死者の色をした手を口元に持って行き、浮かび上がった感情を隠そうとしているかのようだ。

「貴方に必要となりそうな報告は、ほとんどないよ」
「儀式屋クン、必要か必要でないかは君が決めることじゃない。この僕が決めることだよ」

言葉こそ柔らかだが、決して嫌だと言わせない圧力をかけて、サンは闇色の男に告げた。
対する儀式屋は、先ほどと変わらぬ笑みを浮かべている。
うっすらと笑みが象られた唇を、音を乗せて動かす。

「悪魔街がどんなであるかは、サン、貴方なら知っているはずだがね」
「僕ぁ、興味のないものは知らないよ」
「おやおや、とんだ御方だね。貴方はミュステリオンのシンボルなのに」

ほんの少し毒を織り交ぜた言葉を放つと、サンの眉がぴくりと反応した。
だがそれまでで、それ以上は何も反応を示さない。
長い前髪の向こうから、どうぞ、と先を促すような視線を送るだけだ。

「悪魔街が再び十六区と同じことをしかけており、最早一触即発、というのが、今回の調査で得られた情報の全てだよ」
「へぇ……、ならまた、騒がしくなるんだねぇ。それは楽しみだね」
「サン、個人的な感想は構わないがね、仮にも貴方はこの世界の庇護者たる立場なのだから、騒がしくなる前に芽を摘むのが必要な措置ではないかな?」

やや目を細めてそう確認すると、魔術師は不意に笑い声を漏らした。
くすくすと、何がおかしいのかひとしきり笑い、そして、始まった時と同じように、突然口を閉ざした。
そのままぐっと顔を近付け、銀髪の向こうにある翡翠の目が、血のように真っ赤な瞳を見つめた。

「やだな、儀式屋クン。ちゃんと分かってるよ?」
「貴方はそう言って、平気で嘘を吐くことがあるがね」
「ひどいなぁ……僕だって、これでもことの重大さは理解してるし、この世界もあっちの世界も、まだまだ終わるには勿体無いじゃないか」

ただね、とサンはますます距離を縮め、鼻がぶつかりそうな位置まで近付いた。
笑みさえも打ち消した魔術師に、儀式屋もそれとは分からぬ程度に口を引き結んだ。
案の定、真っ青な口紅を塗りたくった彼の口は、とんでもないことを紡ぎ出した。

「時々思うんだ、この世界は僕の興味云々は別として、実際守るに値するのかなって」
「それが私や貴方の存在意義ではないのかな」
「そうかな?ね、儀式屋クン、君は、この世界を守るべきものだと、本気で思ってるの?」
「……サン、我々が放棄するなんてことは、あってはならないんだよ」

視界いっぱいに広がる翡翠の輝きを真っ正面から受け止め、それを窘めるように見返す。
が、それだけ見られても、サンは微動だにしなかった。
まるで儀式屋がどこまで耐えられるのかを、試しているかのようだ。
儀式屋の注意などどこ吹く風で、更に淡々と言葉を連ねる。

「考えてもごらんよ、今じゃこの世界は現実世界の掃き溜めだよ?現実世界のイラナイモノが、寄ってたかって掃き溜めに居場所を求めてる。そんなイラナイモノのために、世界を守る必要があるのかな?」
「だがこの世界を放棄すれば、現実世界もなくなる」
「その現実世界が、こんなイラナイモノを生み出したんだよ?だったら一緒になくなったって、自業自得じゃない?」

真顔のまま真っ青な唇から紡がれる言葉には、怒りも悲しみも、何の感情も宿っていない。
本当に、ただ純粋な疑問のみで形成された問いだ。
まともにその問いを聞いていては、なんの解決にも繋がらない。
そればかりか、彼の純粋でいてどこかおかしいそれに、引きずられてしまうだろう。
だが、儀式屋はそうではない。
隠された翡翠の瞳をじぃっと見つめ、ふっと笑うとこともなげに口を開いた。

「貴方は、世界の敵にでもなるつもりなのかな」

ぽつりと、そう儀式屋は魔術師に尋ねたのだ。