銃口が向けられた瞬間、アンソニーは死を覚悟した。
此処で下手に避ければ、自分の背後にある美術品に傷が付いてしまう。
それだけは、アンソニーのプライドが決して許さなかった。
美術品が危険に晒されるくらいならば、自分の命が絶たれても構わなかった。
細い目を閉じ、彼はその瞬間を待った。
「絶対、死なせはしませんっ!」
銃声に被せて、耳慣れた声が聞こえた。
はっとしてエメラルドの瞳を開けば、眼前には薄い金髪を携えた彼女の背中が見えた。
その細い体を纏う衣服に、赤い染みが浮かび上がってきた。
「!ダイナ、何をしているっ!?」
銃声が鳴り止みベンジャミンによってエドが地にねじ伏せられた直後、アンソニーは頽れるダイナに駆け寄った。
薄い肩を抱き締め、痛みに震える彼女の顔を覗き込んだ。
自分の肩を力強く抱く人物が、主だと気付いたダイナは、真っ直ぐにアンソニーを見つめた。
「貴方が銃口を向けられたくらいで退かない人だってこと……、知っていましたから…」
「だからって何故自分を……」
「はっ、今更主人に対する評価をあげようって魂胆か?」
せせら笑うようにして、エドの声がホールに木霊した。
揺れ動くダイナの瞳が剣の切っ先のようになり、取り押さえられた神父を睨み付けた。
アンソニーの腕の中からこちらを睨む彼女に、エドは開き直ったかのように高らかな声で話し掛ける。
「何もかも遅い……お前が俺の共犯者として俺を此処に入れたって話したら、お前のご主人様は大層ショックを受けてらっしゃたぞ」
「!!」
ターコイズブルーの瞳から、力が失われた。
ぐらぐらと揺れる視界は、しかしアンソニーを決してそこへ収めることなく、きつく閉ざされた。
「……おい、どういう意味だ?」
それを聞いていたベンジャミンが、エドへ尋ねた。
エドは僅かに顔を横へ向け、割と近い位置にいる神父に答えて見せた。
「此処のセキュリティーの高さは知ってるだろ?部外者はまず入れない……俺が入れたのは、あの女が俺に協力したからだ。もしもあの女が主に俺のことを言っていれば、此処にはいなかった。だが此処にいるということは、あの女は主人を裏切り、俺に協力したということだ」
「ほう……だがそれだけでは、お前が脅したから言えなかっただけかもしれない」
「ああ確かに脅したさ……あの女が何より知られたくない事実でな。あの女は、ダイナは、あの十六区の悪魔どもと連み、ミュステリオンの情報を盗み──」
「もうやめてぇええ!!」
突如ダイナが絶叫して、エドを黙らせようと走りかけた。
だが、その彼女の腕をアンソニーが掴み、強引に抱き留めた。
彼女を抱き留めた相手がアンソニー以外の誰かならば、彼女は相手を殴ってでも行っただろう。
だから彼女は、それ以上力を持っての抵抗はしなかった。
「アンソニー様っ、お願いですから離して下さい!でなければ貴方が……!」
「ダイナ、何も心配することはない。全てもう、分かっていることなのだよ」
「ああそうさ、お前の主人は知った上でお前を飼っていることを認めた。もうこれで、どっちも終わりだ!」
哄笑。そして嘲笑。
手記奪還は失敗したが、最早どうでもいい。
この女さえ道連れに出来れば、エドは満足だった。
先刻、この女の飼い主はミュステリオンが存在を容認していると言ったが、吸血鬼が不安を顕わにしているあたり、はったりだったのだろう。
結局未来は、多少違えど自分の描いた通りだ。
巧くすれば、全てこの女に罪を被せられるかもしれない。
そう勝手な希望を未来へと見出したエドだったが、すぐさま未来はどす黒い口を開けて待ち構えるものとなった。
「一体、誰のことを言っているんだ君は?」
「……は、誰って…あの女、ダイナに決まってんじゃねえか」
何をとぼけたことを、とエドはベンジャミンを見上げた。
だがベンジャミンは至極真剣な顔をし、資料を読み上げるような平坦な声で。
「彼女はアンソニー・ラトゥールと契約を交わした、ただの吸血鬼。君の言う内容に関しては、全くの事実関係に欠ける。そもそもミュステリオン総務局によれば、十六区の残党はいないという報告が出ているが?」
聞かされた内容にあんぐりと口を開けるエドを、ふざけた要素など一切ない眼差しでベンジャミンは見やった。