(くそっ、忌々しい!!)

行く道々に見える白い塊を、片っ端からJは再起不能なまでに潰していた。
一見すれば、あまりにも凄惨で、白い塊の習性を知る者からすれば滑稽であった。
だがそんなこと、彼には関係なかった。
全ては、大切な人たちのためなのだから。

あのフェイと名乗った悪魔が最後に言ったことに、何故もっと早く気付けなかったのだろう。
そうだ、あいつは把手を破壊していったのだ。
その意味は単に侵入に失敗した、わけではない。
あの部分─フェイが握った部分─に結界の綻びが生じて、違うものが入りやすくするために、していったのだ。
そうなると店にはアキとアリアしかいない──そこまで考えが至った時、Jは一目散に踵を返したのだ。
途中、ヤスたちを見たが、事情を話している場合ではなかったため、立ち止まらなかった。
自分の可笑しな様子に気付いて追ってきてくれればよいのだが。

(でも、どうしてだ?)

あの悪魔の主人は、何故こんなことをさせたのか?
出来損ないをけしかけても、蹴散らしてしまえば終わりだ。
いったい何がしたいのだろう?

(ますます意味不明、ってか)

考えても答えが出てこない。
心の中で舌打ちして、Jは地を蹴る足に力を込めた。
闇夜を疾風の如く駆け抜けていき、一秒でも早く、早く。
今は一刻でも早く店に辿り着いて、あの出来損ないを食い止めなくてはならない。
ふっ、と短く息を吐き出し、徐々に見えてきた明かりに突進した。




ずずず………

それらは、じわじわと歩みを進めていた。
店内に侵入したあと、そのまま直進していく。
それらには、確固たる意識はなかった。
ただ何となく、人のいる気配のする方へ、ただ進んでいた。
扉にぶち当たり、それらは実にゆっくりとした動作で扉を開けた。
開けた時、もしも耳があれば、悲鳴にも似た叫びが聞こえたろう。
だが、それらに伝わったのは声ではなく振動だけだった。
僅かにそれらのうちの一つが首を傾げ、振動を感じた方へ身を捩った。

ずずず………

新たな扉にぶつかり、それらは手というには稚拙なそれを、把手に伸ばした。




必死に鏡を叩いた手は、真っ赤に染まっていた。
だがそんなアリアの努力も虚しく、アキは身動ぎ一つしてみせなかった。
こつん、とアリアは額を鏡にあてがい、そのままうなだれる。
深海の青の煌めきを映す瞳は、今にも大粒の雫を落としそうだった。
何度こうして自分の無力さを思い知らされるのだろうか、とアリアは下唇を噛み締めた。
いっそこの鏡を叩き割ってやれば、と思うがそれはアリアにとって自殺行為に等しい。

「儀式屋……っ」

震える声で女神は呟いた。
こんな時に彼がいてくれたなら、何もかも上手く収まるのに。
そんな他力本願なんて、なんと情けないのだろう。
ふふっ、とアリアは諦めにも似た笑いをこぼした。

「馬鹿みたい……」
『アリア、君のような女性が自らを罵倒するのはよくないよ』

低い声が、優しくアリアの鼓膜を叩いた。
女神は反射的に顔を上げ、目の前に死者の顔にも似たそれがあった。
瞬きをした拍子に、海の輝きのような雫が両眼から零れ落ちた。
儀式屋はそれを認めると、口角を持ち上げる。

『珍しいじゃないかアリア、君が泣いてるなんて』
「っ、馬鹿!!今はそれどころじゃないのよっ」

きぃっと両眼を吊り上げ怒ってみせれば、彼はすまなかったね、と謝った。

『呼び出しは分かっていたのだがね……今ようやく用事が済んだのだよ。何かあったのかね』
「大変なの、結界が解かれて“あれ”が此処に…」
『Jはどうしたんだね』
「ああ儀式屋……話せば長くなっちゃうのよ、今はいないとしか言えないわ」

じれったそうにアリアは答えた。
今こうしている間にも、“あれ”は近付いているのだ。
それを察したかのように、儀式屋はそれ以上追求せず、分かったと頷いた。

『ならば、すぐに戻るよ』
「うんっ」

儀式屋の言葉にアリアは安心したように返事した。
それを聞き届けると儀式屋は鏡から消え失せた。
そして、目の前に映し出された光景に、アリアの安堵は一気に吹き飛んでしまった。
スタッフルームの扉は蹴破られ、夥しい数の“あれ”が今にもアキに襲いかかろうとしているではないか。

「アキ君!!いやぁああああ!!!」

女神の悲痛な叫びが、響き渡った。