そんな彼を、ミシェルはまぁまぁと宥めて、ずりずりと這って隣に来る。

「この仕事が終わればー、うちでお預かり予定のお嬢ちゃんも帰って来れるんだろー?」
「……、何で知ってるわけ」
「お前が来る少し前にー、我らが女王陛下が喜んで教えてくれたぜー?」

ちっ、とJは舌打ちした。
儀式屋といい“彼女”といい、いらぬ仕事ばかりをする。
もうそこまで話がついているならば、きっと明日にでもユリアは『儀式屋』から一時的にいなくなる。
…儀式屋があの少女を遠ざけた理由が、このややこしい“仕事”に関わらせたくないためといえば、聞こえはいいだろう。
だが実際は、単に足手まといになるためユリアを排除したにすぎない、とJは確信していた。
もう随分長い時間を側で過ごして来たから、あの男の考えも大凡は理解できる。
あの男は決して人のためには何かをしない。
ただ、結果的に、巡り巡って誰かのためになっているということがある。
あるいはそれすら、あの男の計算のうちなのかもしれない。

いずれにせよ、今回の措置に関してJは複雑な思いを抱いていた。
ユリアを思えば、不憫でならず儀式屋への恨みが胸の奥で爆ぜてしまいそうだ。
だが、それと同程度の別の厄介ごとを考えると、ユリアがいなくて正解だとも思ってしまう。
あの子の美徳である素直さは、同時に嘘をつけないという欠点でもある。
儀式屋はユリアのその性格を考えた上で、その厄介ごとの対処を優先したのだろう。

「……、てかそもそもお前のとこの奴、行ってんだろ?」

どの道この仕事を終わらせなければ、帰っては来てくれない。
思考を軌道修正したJは、ミシェルの仲間が悪魔街にいることを思い出した。
自らが行かずとも、彼らから情報を引き出せばよいのではないのか。
だが、赤毛の友人は首を縦には振らなかった。

「あー当てにするのはなしだからなー」
「何故」
「時間切れ。二区は偵察完了さー」
「……は?次の区の手がかりとかは…」
「俺たちは悪魔街の異常事態を把握するだけさー。だからそれが分かったからおしまい。二区の情報は渡せるけど、次の区も知りたいなら、俺が説明するよか直接行く方が早いぜー?一石二鳥ってやつさー」
「……あーくそっ!せっかく仕事省けると思ったのにっ」
「地道に頑張れってことさー」

がしがしと彼は頭を掻くと、床に思い切り寝転がった。
Jは不愉快そうな顔をしたが、ミシェルはさも楽しげだ。
残っていたビールを飲み干してしまうと、更にこう告げた。

「聖裁に関してはお前のが得意分野だろうから何も言わないさー。でも屋敷に関しちゃあ、お前の友達として一言言わせろなー」
「……なんだよ」
「入るのは簡単だ。でも、出るのは難関だっていうのだけは、忘れんじゃないぜー」

にやっと、赤髪の男は笑ってみせた。
アドバイスになっているのかなっていないのか微妙なそれに、Jはますます不愉快さを顔に滲ませる。
だがミシェルはそれを気に留めずに、言葉を重ねる。

「貴族どもは、侵入者に関しちゃ何とも思わない。でも、入ったからには、それなりの対価を払えってのが、あいつらの考えってもんさー」
「……生きては帰さない、って意味か」
「ま、平たく言えばそういうこったなー」

気をつけろよなー、とミシェルは気の抜けるような声音で、Jを励ました。



そしてミシェルから話を聞いた翌日、早速Jが悪魔街に潜入すると、予想に反して聖裁強化はされていなかった。
しかし、同時に悪魔たちも全く見かけなかった。
ただ、緊張した空気だけが何処に行こうとも蔓延していて、肌にびりびりと感じた。

(……まぁ当たり前か)

あんな事件が起こって、平生としていられるはずはないのだ。
神経を尖らせて、いつミュステリオンが聖裁に現れるかを、悪魔たちは隠れて待っているのだろう。
が、Jにしてみればそんなことはどうでも良かった。
むしろ、そうして身を隠されてしまう方が、迷惑だった。
なにせ彼の目的は二区の調査であるため、悪魔たちがいなくては話にならないのである。
ということで、彼の今後の行動は、まずは悪魔たちを探し出すこととなった。