四章§12

ひらひらと、淡い向日葵色のスカートの裾を風が弄んだ。
少女の横を擦り抜ける時に、甘い香りを残していった。
スカートの裾を押さえつつ、視線を上へと向ける。
今や目の前にある屋敷は、遠くで見ていたときよりも、そのスケールの大きさに驚かされる。
お伽噺の挿し絵からそのまま抜き出されてきた、そんな古い屋敷。
未だ鼻孔に残る、甘ったるいそれも、どうやらこの屋敷から溢れだしているらしかった。

「いい香りだろー?女王様の趣味なんだぜー」

少女の心を読んだのか、横に立つリヒャルトが説明した。
無意識のうちに、ユリアは頷いていた。
リヒャルトはにんまり笑うと、ユリアの手を取り。

「でも驚くのは中に入ってからだぜー」

そう告げると、二人をじっと見下ろしていた、二頭の獅子の石像の前を通過する。
そして、屋敷とこちらを分け隔てつ門に触れた──いや、触れる寸前で、リヒャルトは手を止めた。
止められた手は、そのまま彼の後頭部に回る。
それから困ったように、ユリアを見てきた。

「……どうしたんですか?」
「うん、えーっとなぁ…残念ながら、俺が君を案内出来るのは此処までなんだなー」
「……え!?」

目を丸くする少女に、リヒャルトは説明を試みる。

「客人が来るときは、女王様は客人しか屋敷内に入れないんだー…うっかり忘れてたよー」
「え、と…じゃあ私は……」
「本当にごめんなー!此処からは君一人、でももう真っ直ぐ進めばいいし、この屋敷にはまず部外者は入れないから、大丈夫だぜー」

わしゃわしゃと、ユリアの黒髪を掻き乱すように彼は撫で回した。
あわあわとユリアは慌てる。

「わ、分かりましたからっ、もう撫でないでいいですっ」
「やだねー。だって泣きそうな顔だったんだしー。ごめんなー?不安にさせちゃったかー?」

言われて、はっとしたように少女はリヒャルトを見た。

……不安、なのだろうか?
だとしたらどうして──

『どうして俺が行かなきゃいけないわけ?』

頭の中で蘇ったのは、今朝聞いた彼の言葉。
ほんの少し前に聞いた言葉なのに、もう随分むかしに聞いていたように思えてしまった。
忘れたくて記憶を違うもので覆い尽くして、だけれどずっと心に引っ掛かったままだった。
もしかしたら、そのせいかもしれない。

一人で行くつもりだったのが、途中で今頭を撫でている彼と出会って。
だか再び一人で行くことになって。

(……忘れてた、のに)
「大丈夫、ですよ」

心を押し殺して、ユリアはリヒャルトに笑ってみせた。
こんなところで、立ち止まってる場合などではないのだ。
そんな少女の笑顔に、赤髪の男は何か言いたげに口を開いたが、それよりも早くユリアが言葉を紡いだ。

「ちゃんとリヒャルトさんは連れてきてくれたし、だから貴方のことを信じてもいいです」
「……、信じてもいいですってまた微妙だなぁー…」

うーん、と彼は頭を抱えたが、よし、と意気込むとユリアの頭から手を退けた。
それから、酷く優しく目を細めると。

「でもありがとなー。ほら、決意が揺るがないうちに、いってらっしゃい」

言って、軽く門に触れると音もなく開いた。
途端に柔らかな音色が、ユリアの鼓膜を叩いた。
先程まで全く聴こえなかったのに。
ユリアがその音楽に聴き惚れていると、とんっと背中を押された。
見なくとも分かる、行けとリヒャルトが促しているのだ。
小さく首を振ると、ユリアは一歩屋敷の中へ足を踏みだした。
流れるように聴こえる音色に導かれるように、更に奥へとユリアは歩みを進めていく。
石畳の上を道なりに歩き、そのまま行けばこの大きな邸宅の玄関だった。
が、ユリアは急に進行方向を違えた。
玄関の階段を上る前に、右へと曲がったのだ。
屋敷の裏へと回り込むように続いている道を行くと、庭園らしきところへ出た。
その中央から、ずっと音楽が鳴り響いているのた。
手入れの行き届いた両サイドの垣根が、そこへと導いてくれる。
誘われるままに足を向ける、近付くにつれて香りが強くなる。

そして──

「いらっしゃい」

──真紅を纏った麗人が、そこで微笑んでいた。

四章§13

急に開けたそこに現れた人物に、ユリアは目を釘づけにされた。

鮮明な程の深紅をその身に纏い、我がものとしているその姿は、何物とも比べようがなかった。
この女性ほど、赤が似合う人間などいないのではないか、そんな思いすら抱かせる。
そしてまた、その色さえも彼女の美を引き立てるものにしか過ぎない。
整った顔立ちは、儀式屋宅の鏡に住む彼女と互角。
だが、アリアとはまた方向性の違った美である。
アリアの、全て包み込むような優しさはない。
代わりに、凜とした美しさを保ち、絶対的な自信に満ち溢れたものがあった。
唯一真紅でない、冷たい輝きの瞳のせいだろうか。

「さぁ、こちらにお座りなさいな」

淡いピンクの椅子に座した彼女が、ユリアを手招いた。
断る理由のないユリアは、おずおずとした足取りで示されたそこへと向かった。
一歩、歩みを進めるごとに、先程から辺りを包んでいるメロディが大きくなる。
そして、椅子に腰掛けた時に、少女は音の正体に気付いた。
椅子と同色のテーブルに乗っている、小さな小箱が音源のようだった。
オルゴールなのか、とユリアは初め思ったが、それにしては明瞭すぎる音楽である。

「不思議でしょう?現実世界の音楽を此処に詰め込んで、ずっと繰り返してますのよ」
「そうなんですか……あっ」

彼女の話に相槌を打ちながら、ユリアは自分がとても失礼なことをしていることに気付いた。
慌てて席を立ち、頬をやや赤らめると。

「初めまして、あの、私はユリアです。その、挨拶も何もしないで……」
「あら、気になさらなくていいですのよ?わたくし、それよりもこれに興味を持って下さった方が嬉しいですもの」

お座りなさい、と再度促されて、ユリアはほっと一息吐きながら、椅子に座り直した。
彼女はくすりと笑みを零せば、閉じられた真紅の扇子を、しなやかな動きで小箱の上に乗せた。
と、中途半端な音を立ててメロディが止まった。

「ああ…そう、わたくしのことはお好きに呼んで下さって構わないわ」
「……え?えーっと、それはどういう…?」
「わたくし、自由に縛られていますの。だから名前も自由ですのよ」

さっと肩にかかる横髪を払い除けると、未だ困惑した顔の少女にもう一言。

「一般的には“彼女”かしら?わたくしの召使たちは“女王様”と呼んでいますけど…そうですわね、リベラルと呼んで下さっても構いませんわよ」
「あ……じゃあ、リベラル、さん、でいいですか?」
「ええ、結構ですわ」

一つ頷いてみせれば、少女は嬉しそうな表情になった。
リベラルはそれを目の端に留めると、再び陶器の小箱に触れた。

りぃ…ん

小さく、呼び鈴のような音が鳴った。
すると、ユリアが入ってきた方とは反対側、低い木戸を開けて一人の男性がワゴンを押して入ってきた。
ワゴンテーブルの上には、花柄のティーセットと小さなケーキが乗せられている。

「すぐにでもお話したいけれど、それにはやはりお茶をしながらが良くなくて?」

ルージュの唇が、珍しげにワゴンを見つめる少女に問い掛けた。
問われた少女がそれに答えようとすると。

「失礼します」

少女の前に、カップが置かれた。
透き通った紅色から、湯気が立ち上る。
それに乗って、甘やかな香りが広がる。

「いい香りね…やはり紅茶は、貴方が煎れたのが一番ね、リヒャルト」
「恐れ入ります、陛下」

彼女が紅茶を褒めると、白髪の男は僅かに口元を緩めた。
そして、貴女もそうでしょう?とリベラルが口を開いた時だった。

「あの、リヒャルトさんって…二人、いらっしゃるんですか?」
「……どういう意味かしら?二人って?」
「いえ、此処まで連れてきて下さった方が、リヒャルトさんっていって……」

美女の柳眉が訝しげにひそめられる。
扇子を唇に押し当てつつ、隣に立つ初老の彼にアイスブルーの瞳を向けた。
それだけで通じたのか、彼は左右に首を振ってみせた。
すると、彼女は何か合点がいったかのように、ばさっと扇子を広げると、持ち上げた口角を隠した。

四章§14

「その男、下品な赤い髪でなくて?」

口元に何処か悪戯めいた笑みを乗せたまま、リベラルはユリアに質問した。
ユリアは目を見張って、頷いた。
すると女王は、扇子越しにくすくす笑いを漏らした。
何か面白いことでも言ったろうか。
そう少女が考え込んでいるとリベラルが口を開いた。

「貴女、騙されましたのよ」
「……騙された?」
「そう…わたくしのリヒャルトは、此処にいる彼ひとりですわ」

リベラルの傍に立つ彼は、やや困ったように微かに笑った。
暫くユリアは唖然として、穴が開くほど彼を見ていた。
やがて、その意味を十分に咀嚼したらしい少女は。

「……じゃあ、私が会った人は…」
「下品な赤い髪の男は、ミシェルといいますの。彼、決して貴女を騙したくてそうしたわけではないはずですわ……そう、貴女を此処まで、連れてきたのでしょう?」
「はい、そうです…けど」
「ならば許してやって下さらないこと?あれは気紛れにそうして名を偽るもので、わたくしも手を焼いておりますのよ」

そういった女王の美貌には陰が差していた。
何だかとてもいたたまれなくて、ユリアは色々と思ったこともあったが、それは胸の奥にしまうことにした。
その代わりに頷いてみせると、リベラルは再びその顔に微笑みを浮かべた。

「さぁ、せっかくのお茶が冷めてしまわないうちに、いただきましょう?」

すっと指輪のはまった指先が小箱を撫でると、軽快な音楽が辺りを包み込んだ。







……庭園は限りなく美しかった。
咲き乱れる花々が醸し出す甘やかな香りが立ち込め、だが決して嫌なものなどではなかった。
また、それに絡まるようにして、陶器の小箱から絶えず溢れだす音楽は、心地よい気分にしてくれる。
ユリアは暫くそれらに心を奪われ、ふわりと体が軽くなったような感覚になった。
が、不意にテーブルの向こうの紅の人から声をかけられ、抜け出していた体へ引き戻された。
その衝撃に、僅かに体が跳ね上がった。

「は、はい、何でしょうか」
「いいえ?ただ、あまりにも見惚れてらしたから…貴女、花はお好きなのかしら?」
「……好き、な方だと思います」

特に好きというほどでもないが、決して嫌いということはない。
ずっと観賞していても、苦にはならないくらいだ。

庭園の隅に咲くダリアに目を留めながら、ふとユリアは思ったことを口にした。

「……精神世界って、現実世界と似てますよね」

此処へ来るまでに見てきた建物も、此処に咲き乱れる花々も。
この庭園を照らす陽の光に、それを遮り地に影を落とす雲も。
どこまでも、現実世界を写した鏡の中のようだった。

「当然ですわ。精神世界は現実世界の鏡であり、廃棄処分の空間ですもの」

さらっと、リベラルの口から回答が返ってきた。
その言葉に、ユリアは慌ててダリアから目の前の美貌の持ち主へ視線を移した。
女王はその様子に気付いた風もなく、言葉を続けた。

「かつては表裏一体で鏡のようだったというのに……今では、現実世界のいらぬものを捨てるための場所……酷いものね、あれほど美しかったのも、何百年前かしら…」
「……あ、あの…?」
「どうかしましたの?…ああ、お茶がもうないんですのね?リヒャルト、ユリアに注いで差し上げて」

ユリアの困惑した声を、そう判断した女王は傍に立つ執事に声をかけた。
向日葵色の少女は彼女の勘違いに、違うんです、と否定の言葉を述べた。

「違う…?あら、では何かしら…?」
「……恐れながら陛下、ユリア様は陛下のおっしゃられたことに対して、何かあるのではないかと」

ユリアが答えるよりも早く、温かな琥珀の眼差しを持つ彼が、静かに彼女へ進言した。
そうですね?と視線だけで問われて、少女はひとつ頷いた。
リベラルはといえば、リヒャルトに言われて初めてその事実に気付いたかのような顔をした。
もしかしたら、本人は当然のことだからユリアも知っていると、思ったのかもしれない。

四章§15

束の間、庭園は優しいオルゴールの音だけが満たされていた。
体の底を揺り動かすようなものではなく、そっと心に寄り添うような音色。

…それが破られたのは、すぐのことだった。

「ああ……そうでしたわね。あの人、本当に気紛れなんだから…」

微かに言い方は皮肉めいているのに、彼女の表情は果てしなく柔らかなものだった。
それが何故なのかユリアには測りかねた。
が、次にこちらを見つめてきたアイスブルーの瞳は、少女の言わんとしていたことを理解していた。

「貴女、精神世界のこと、ご存知ないのでしたわね」
「え、…はい……」

何故か始めから知っていたかのような言い方に、些かユリアは首を捻った。
その疑問に、律儀にリベラルは答えてくれた。

「彼から聞いていましたの、貴女がご存知ないと。覚えていたのですけれど、実際貴女に会って浮かれていたら、忘れてしまったようですわ」

かちんと広げていた扇子を閉じれば、

「……このために、貴女を呼んだのですものね」

冷ややかな色を保つ瞳が、笑った。






「正直、僕は今回のはあんまり乗り気じゃなかったんだぁ」

唐突に、サンはそう呟いた。
時刻は昼間、だが決して光の届かないトンネルの中に、サンの声が響き渡る。
入口は黄色のテープが張り巡らされ、封鎖されている。
トンネル内の電灯は全て消灯しており、出入口付近であれば薄暗いながらも見える。
しかし中央などはとてもではないが視界は利かず、例え目の前に何かが迫っていても気が付かないだろう。
辛うじて、サンの銀髪や白のスーツが見えるか見えないくらいだ。
そんな中でも、サンは相変わらずの調子で話していた。

「ほぅ…?それはまた、何故かな?」

魔術師のすぐそばで、儀式屋の声がした。
本当に闇に紛れてしまっているために、居場所すら分からなかった。
サンには分かるのか、くるりとそちらを向いて。

「だってねぇ、過去に戻ってどうしようって話さ。過去を修正して、それで未来すらも変わると、本気で思ってるのかな?」
「……まぁもっともな正論だがね」
「でしょー?」

サンは儀式屋が賛同したことに気を良くして、更に話を弾ませる。

「そりゃあ僕だって、ちょっと過去に戻って…例えば可愛い子と縁を作るとか、遅刻を取り消すとかなら、それなりに許容もするよ。だけど、」

魔術師の声だけがこだまして、他には何の音ひとつ聞こえない。

「過去に戻って、人の死をなかったことにするなんて、とてもじゃないけど無理だよねぇ」
「……人の死だけは、どれほど変えようとも変わらないからね。もはやこの世にないものを、再構築など出来はしない」
「だから僕は、乗り気じゃなかったんだぁ」

かつん、足元にあった小石を蹴ると、飛んでいった方向が全く見えなくなった。
もう一度、同じ小石を見つけろと言うのは、不可能に近いことだ。
今回の願いも、それと同じ。
失ったものを、二度と取り返すことは出来ない。

「……だが、それをやってのけてしまうのが、サン、貴方じゃないか」

暗闇の中、見えはしないが儀式屋の口角が持ち上げられた雰囲気が伝わる。
それに対してサンは、やはりこちらも笑顔で返した。

「当たり前だよ、僕を誰だと思っているのさ?唯一の魔法使いだよ」

自信満々にそう断言すると、儀式屋の押し殺したような笑いが聞こえた。
だがサンはそれに怒ったりはしなかった、何故彼が笑ったのかが理解しているから。

「ふふ、そうだ…貴方は唯一の魔法使い…そう、その通りだ」
「ね?あー楽しみだなっ!」

くすくす笑いが辺りに飽和し、溢れ返ってあちこちからサンの笑い声が跳ね返ってきた。

もう間もなく、彼の獲物が現れる。

四章§16

彼女の話は、紅茶を一杯啜ったあと、静かに始まった。

「……精神世界は、先にも言ったように現実世界の鏡ですわ。…裏を返せば、現実世界は精神世界の鏡とも言えましょうね」

カップをソーサーへ戻し、一度その目に自身の庭を隅々まで映す。
彼女たちが会話している場所から、八方向に外界へと伸びる石畳の道。
その周囲を取り囲むようにして、様々な花々が咲き乱れている。
赤にピンク、黄色に白に…見ていて飽きないそれらが、我こそがと咲き誇る庭園は、溜息をつくほどだった。

だが、それらは全て──鏡に映されたもの。

「とても美しかった……例えようもないくらいに、この世界はただ美しかった。何故ならこの世界は、現実世界の美しさを凝縮したものだったのでしたから…」

アイスブルーの瞳が、此処でないどこかを見つめる。
冷淡な氷の輝きが溶かされて、柔らかな温かい眼差しに変化する。
それに伴い、表情も穏やかなものになる。
きっと、彼女の中の記憶に残る、この世界の美しさを思い返しているのだろう。

「わたくしは、その世界が愛しくて……誇りでしたの。そしてその世界で生きていくわたくしは、幸せそのものでしたわ」

でも、と。
温もりの宿っていた瞳が、一息に冷酷さを取り戻し、表情は鋼鉄のように硬くなる。

「何百年も前……この世界は、いま此処にあるわたくしの庭園を残して、美しさを失ってしまいましたの…」

ぎちっ、彼女の手に握られた扇子が、あまりの締め付けに悲鳴を上げた。
だがそれでも彼女の表情は変わらず、ただ淡々と当時のことを振り返り述べている。

「この世界には、人間でないもの達も住んでいますの…貴女もご存知のはずね?」
「………はい」

暗にそれが、『儀式屋』にいる吸血鬼をさしていると、ユリアは直感した。
同時に、急激に胃の辺りが鉛でも入ったのか、ずんと重たくなった。
何故なのか、理由は考えたくなかったから、目の前の麗人の話に耳を傾ける。

「でも彼以上に個体数が多い…いいえ、この世界の大半を占める最古の住人たちがいるのですわ。それは、悪魔と呼ばれる種族ですの」
「悪魔…?」
「……現実世界に描かれるような、異形の姿を想像したかしら?でも違いますのよ、この精神世界にいる彼らは人と変わらぬ姿…異様な能力と全員が淡い琥珀の瞳ということ以外ですけどね」

そして、すっと己の横に立つ男へ扇子の先を向けると。

「余談ですけれど、このリヒャルトも、その一人ですわ…ご覧なさい」

言われて、ユリアはリヒャルトの方を見つめた。
紳士的な執事は微笑して──琥珀の瞳が見返してきた。
少女は、あっと息を呑んだ。

「リヒャルトは今はわたくしに忠実ですけれど、昔はそれはそれは、粗暴な悪魔でしたのよ」
「陛下、そのような昔話は……」
「あら?恥じるような話でもないでしょう?今の貴方は、とても立派ですもの」

ふふっ、と艶やかな唇が弧を描くのを見ると、リヒャルトは閉口してしまった。
どうやら、やはり逆らえないようだ。
その様子を見ていると、ほんの少し、ユリアの中の気持ちが軽くなった。
リベラルはそれを見て取ったかのように、話を続けた。

「ああ…それで、言いましたように、彼ら悪魔がこの世界にたくさんいますの。ある時彼らは、精神世界から現実世界へと行こうとしましたわ…悪い言い方をすれば、侵略ね」
「しん……りゃく?」
「えぇ。わたくしはね、彼らが何をしても別に気にしませんでしたわ。だってこの世界は彼らのもの…わたくしが、口を挟むべきことなどではありませんでした」
「そんな……」
「あら、ユリアは100人中99人が戦争に賛成しているのを、一人で止められますの?」

口調は穏やかなのに、見つめてくる目は、恐ろしいほどに鋭利だった。
少女はそれに一言も言い返せず、俯いてしまった。

「そう…まさにその通りだったのですわ──当時のわたくしは」

ユリアが黙り込んだ後、その間を繋ぐようにリベラルは言葉を紡いだ。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2008年10月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
奇吏斗さんのプロフィール
系 統 普通系
職 業 教育・福祉
フリーページリスト