六章§20

廊下の突き当たりに古めかしい扉があり、そこを開けると奈落の底に続くような階段がある。
階段を深く下るに従って、灯りと灯りの間が乏しくなっていく。
地上は夏の陽気だというのに、この地下では肌寒ささえ感じた。
ぶるりと薄手の生地の上から、腕を撫でながらボニーは下りていく。
その後ろにはガジェットが付いてきており、先程からやたら彼女に話しかけてくる。
やや前傾姿勢になりつつ、ボニーの耳元近くで、

「にしても、あんたも大変だったな。あの目隠し野郎にあんなこてんぱんに言われちまってよぉ」
「……そういう貴方も、そうみたいね」
「俺は悪かねぇさ、あの野郎がなーんか隠し事してやがるのが、気に食わねぇってだけでな」
「貴方、諜報局に異動したら?」
「冗談!」

にやりと背後で笑ったような気配を感じ、ボニーはなんとなくこの男を殴りたくなった。
が、それを堪えられたのは、漸く底が見えたからだ。
やっと着いたと安堵したが、それはすぐさま警戒へと変わった。
尚も大きな声で話し掛けるガジェットを、彼女は肘鉄をお見舞いして黙らせた。

「ってぇ、なんなん……」
「ガジェット局長、あれは何?」

小声で口早に尋ねてきた彼女に、ガジェットは眉根を寄せた。
その理由を察したボニーが脇に退くと、彼女が尋ねた物の正体が見えた。
見た瞬間、ガジェットは鳩尾の痛みを忘れ去ってしまった。

「おいおい、マジかよ……」

階段の終わりに、血塗れの人間が倒れている。
服装から察するに、この地下の担当者だろう。
助かろうと必死に手を伸ばしたのだろうが、途中で力尽きたようにだらりと落ちている。
この世界に来てから何度も死人は見てきたガジェットにとっては、これは慣れっこのものだ。
だが、見た瞬間、久々になんともいえない怖気を感じた。
固唾を飲みながら、ガジェットはボニーを振り返った。

「……俺の考えじゃ、他の奴らも御陀仏してると思うんだが」
「私も同じですわ」

どうやら上に連絡を入れたらしいボニーが、ぱしんと携帯を閉じて同意した。
それから二人は一度だけ目配せすると、護身用の銃を取り出してから階段を下りた。
死体を乗り越えた先には道はなく、左右に広がっている。
右手は拷問室へ繋がっており、左手は独房に続いている。
先行して下りたガジェットが右方向へ走ったため、ボニーは反対側へ向かった。
本来なら、片方がどちらかの援護をするため二人一組が望ましいが、今回は人数が不足のため致し方ない。
上への通路は一つだが、二人が同じ場所を哨戒している間に、もう一方から逃亡されるのは御免なのである。

(……何て臭いですの)

息を殺しながら、ボニーは独房と廊下を仕切る扉を観察する。
扉は外側から閂を掛けるもので、今はそれが抜かれている。
そして、僅かに開いた扉から、埃臭さよりも鉄臭いものがより濃く鼻孔を貫いた。
この扉の開閉は、多分階段で倒れていた職員がしていたのだろう。
もしも異常を察したのなら、こんな開け放したままにはしない。
だとしたら開けたのは部外者であり、職員は部外者を止めることが出来ずに殺されたのだろう。

(いったい何者ですの……)

此処に勤務する者が、そんな簡単に殺されるはずもないのだ。
すぅっと息を吸うと、まだいるかもしれない敵に対し、己の警戒レベルを最大限に引き上げる。
ぴん、と空気が張り詰めた刹那──

「動くな!……!?」

鋭く叫び勢い良くボニーは入ったが、すぐさまその場に広がった光景に目を疑った。
室内の灯りはなく廊下から漏れる灯りのみが頼りだったが、床に折り重なる人間全てが一目で死んでいるとが分かった。
全員が首の断面をこちらに向けているのだ。
それらはボニーの不快感を誘うには十分なほどで、しかし彼女の注意はほんの一瞬だ。
インパクトのあるものを前にしたとき、人間はその一瞬に隙が出来る。
その時を狙われたら、手も足も出ない。
素早く左右に銃を向け警戒する。
物音一つしないことを確認してボニーは銃を下ろし、入口の松明を一つ手に取ると更に中へと踏み込んだ。
独房全ての扉が開かれており、ボニーは一つひとつそれらを確認したが、首なし死体と夥しい血液以外、何も異常がなかった。
あるとすれば、頭が何処へ消えたのかというくらいだ。
それは後から来た者に任せればいい、今はこの殺害現場を作り出した輩を見つけ出すだけだ。
一通り見渡して、もう此処に用がないとボニーは頷くと、その場を後にした。

六章§21

地獄から脱出すると、ちょうどガジェットがこちらへ走ってきたところであった。
何やら渋面を作ったその顔の真意は、話を聞くまでもない。
ボニーは彼に近付くと、どうしたのかと促した。

「そっち、まさかとは思うが頭のねぇ死体とかいるか?」
「あら、これで死体の身元が容易く分かるわね」
「マジか……」

あちゃー、とガジェットは手を顔で覆った。
ボニーはそんな彼を置いておき、自分が今し方見たものの説明をした。
聞き終わったころ、ガジェットはにやりと笑みを浮かべた。
ボニーは不愉快そうに見やった。

「何ですの、その顔は」
「いや?俺が見た部屋の方が、この殺戮を犯した奴の手掛かりに近付けそうだと思ってな」

首を軽く自分が来た方向へ傾げ、そのまま歩き出した。
ボニーも彼に従い着いていく。
拷問室の扉は開け放たれており、つまりそこに生存者はいないということが判明している。
入った途端、ボニーは再び不快感に見舞われた。
拷問室は円形の部屋で、中央から外側に向かって円が描かれている。
普段ならば、その周囲に様々な拷問器具が置かれているはずだ。
だが今周りにあるのは、ボニーが見た死体の欠けた部分が陳列されていた。
そして真ん中には、何者かが座していた。
いや、正しくは座らされている、である。
それが、自分たちが先程まで面会を切望していた人間なのは、言うまでもなかった。
椅子に縄でしっかりと縛り付けられ、だらりと伸ばされた左手の先に銃が落ちていた。

「頭を銃で撃ったんだな」
「彼が全員を殺したと思う?」
「さぁな。だが、俺たちにメッセージを残してくれてるぜ」

すっとガジェットの指が、死んで動かぬエドの足元を指差した。
目を細めて確認すると、それが血で書かれた字であると分かった。
ボニーは声に出してそれを読み上げた。

「“秘密を知りすぎた者に、罰を”」
「こいつが死ぬ前に書いたのか、それとも死んでから誰かが書いたのか」
「どちらにしろ、大きな損失に間違いないわ。彼がいなくなった今、最早秘密を知ることは出来ないのですもの」

口から出た言葉は酷く軽かったが、実際の中身を吟味すれば、これはそんな簡単なことではない。
報告書は何処へ行ったのか、エドに指示を出していた人間は誰なのか、彼は何処まで知っていたのか、そしてそれが、ミュステリオンを裏切るほどの価値あるものだったのか。
ばたばたと駆け込んできた調査局事故処理課(発掘課と事故処理課に分かれている、ボニーはその両方のトップだ)の足音に、ボニーの疑問は流されていった。



「貴重な証人は、殺されてしまったようね」
「思ったより早かったですね」
「あらあら、予想済み?」

ふわふわの栗色の髪を肩口まで伸ばした女性が、くすくす笑いをした。
全異端管理局長は自身の肩を彼女に揉んでもらいながら、回答を口にした。

「私が彼を泳がせたのは、そういう理由からもありましたからね」
「見せしめ?脅迫?」
「壊滅、でしょうかね」
「あら、怖い人。だけどそれが貴方の魅力でもあるのよ」
「有難う、ユーリ。もう結構ですよ」

緩く手をあげると、肩からユーリの手の感触がなくなった。
代わりに、ふわりとした温かみが、頬の側に移る。
何となく、彼女が微笑んでいるのが分かる。

「それからもう一つ。秘密を知りすぎた者に罰を、ですって」
「皆殺しということは、彼ら全員に罰が下ったのでしょうかね」
「調査局の結果待ちだわ。何処まで辿り着けるかしら?」
「私は貴女に期待してますよ、ユーリ」

すっと手をルイが伸ばすと、すぐにユーリの手が絡んできた。
細く滑らかな肌触りが、彼の大きく硬い手には心地よかった。
そのまま引き寄せて、ユーリの手に彼は口付けた。
あら、とユーリはくすくす笑いをこぼし、ルイの頭を自分の胸元に傾けさせた。
まるで恋人へ睦言を囁くように、彼女は口を開いた。

「任せて、ルイ。元諜報局員だもの、貴方を満足させられるだけの、情報をお約束するわ」
「ええ、貴女なら確実にでしょうから、安心ですよ」

全異端管理局長は、口端を引き上げた。

六章§22

せっかちな主に連れられたのは、一つ上の階にある部屋だった。
ミュステリオンの保管室同様、厳重に施錠がなされている。
だが、先程アンソニーが指示した通りにダイナが解錠してくれているため、彼は扉を引いて開けるだけで十分だった。
真っ暗闇の中へ、二人もアンソニーに続いて中へと入った。

(寒い……)

入った途端、まるで冷凍庫に入ったかのような寒さを感じた。
半分以上腕が出た服では、此処に長居するのは不可能だと思われた。
ユリアの手は、無意識のうちにヤスの温もりを求めて引っ付いた。
不意にくっついて来たユリアに、ヤスはぎょっとして見た。
小さく震え自分の温もりを求める少女を見ているうちに、ヤスはユリアを抱き締めたい衝動に駆られた。
が、それを上回るほどの理性が総動員され、回し掛けた手を下ろした。

(何考えてるっすか俺は!)

落ち着けと言い聞かせて、それから彼はユリアの名を呼んだ。
こちらを向いた少女に、ヤスは自らの上着を脱いで差し出した。

「俺のジャケット、羽織っとくといいっすよ」
「え、でも……」
「いいっすいいっす」

渋る少女を遮って、ヤスは肩に掛けてやった。
ユリアが羽織ると、ヤスのジャケットもハーフコートのような長さだ。
ヤスより小さな手が服の前を合わせると、笑顔と感謝の言葉が向けられた。
それだけで、ヤスは体温が数度上がった気がした。
と、今までほぼ視界が闇に覆われていた世界が急激に白く光ったため、二人は思わず目を閉じた。

「もう開けて構わんよ……見えるかね?」

アンソニーがそう言ったので、二人は目を開けた。

花、花、花。

どこもかしこも花で溢れていて、その様は女王の庭と重なって見えた。
ただし、香りは一切しなかった。
呆気にとられて眺めていると、アンソニーが語り出した。

「彼が十六区の件以降、これまで集めた花だ」
「こんなに……」
「恐ろしい量だ、この全てに魔力が一つ一つ宿っているのだからな。この部屋が寒いのは、その魔力の影響だ」

アンソニーの説明を聞く傍ら、ユリアはこの中にあるだろう自分の花を探していた。
探しながら、そのことがもう何年も前のことにユリアは思えた。
はっきりとした月日をユリアは数えていなかったが、まだ半年も経っていないはずだ。
なのに昔のことに思えるということは、それだけこちらに自分が染まってきたということだろう。
徐々にこうして、忘れていくのだろうか。
ヤスの上着を握り締め、ユリアは花の群から目を逸らした。

「当時に比べたら、遥かに少ない量だ。だが、儀式屋の力が加われば、互角だろう。一刻も争う時になれば、奴は必ずこれを使うはずだ」
「しかし旦那、よく預けたっすね」
「私の館はミュステリオン以上に安全性は確保されている」
「そうじゃなく、あんたがこの力を使うって思わなかったんすかねって」

やや疑惑の目を向けて、ヤスは尋ねた。
管理しているとはいえ、その間は自分だけのものなのだ。
これだけ魔力の塊があれば、使いたくなってもおかしくない。
が、アンソニーはにやりと笑いながら首を振った。

「私は力に興味はないのだよ。私の興味は唯一この世界に散らばる美術品だけにある。力は必要ない、あってもこんな恐ろしい量、御すことなどできない」

異質の花畑を、彼は薄気味悪そうに眺めた。
静かにそこにある、夥しい花。
色とりどりで、そこにまとまりはなく、綺麗とは言い難い配色だ。
だがそれは、言い換えれば花に秘められた本性を誤魔化しているにすぎない。

「……此処に長居は危険だ。そろそろ出よう」
「どうして危険なんですか?」

花の群れに背を向けて外に出るよう促した彼に、ユリアは問いかけた。
自然と見上げたライトグリーンの瞳には厳しい色が宿っており、ユリアは脈が僅かに早まったのを感じた。
だが彼が瞬きをした後、その色は消え失せて面白がるように細められた。

「気付かぬうちにあれの一部になりたくはあるまい?」

にやりと怪しく笑った男は、固まる二人の背を押しやり、扉の外へ向かった。

六章§23

アンソニーに促されながら、ユリアの中では多くの情報が交錯し、整理に追われていた。
儀式屋の目的は、いなくなった少年を探すこと。
ユリアがこの世界に留まる原因となった都市伝説は、少年を探すための魔力を蓄えるためだったこと。

(どうして何も教えてくれないのかしら……)

自分は永遠に儀式屋の所有物となったのだから、だとしたら全てを知る権利があるのではないだろうか。
自分には、教えるだけの理由も信頼もないのだろうか。
それともただ、自分から聞かなかったから言わなかったのか。
──此処に来て間もない者が、そんなことを聞くはずもないのに?

「そんじゃあ……そろそろ帰るっすかね、ユリアちゃん」

考え込んでいたユリアに、ヤスが尋ねた。
はっとして気付くと、最初にアンソニーと会った玄関ホールまで戻ってきていた。
ユリアは同意を示すように慌てて頷き、同時に、さっきまでの考え事も忘れるよう努めた。
ただの思い過ごしだ、だから気にすることはない。
ヤスは頷き返すと、後方にいたアンソニーを振り返った。

「ってことで、俺らはこれで帰るっすね」
「そうか……ああ、ちょっと待ちたまえ」

そう言って彼は腕時計を凝視する。
それから、天井を振り仰ぐ。

「ダイナ、外は?」
『……陽がもうすぐ落ちます』

館内アナウンスかのようにダイナが答えると、アンソニーはちっと舌打ちした。
ユリアにはそれがどういう意味なのか分からなかったが、隣にいたヤスがああっ!と大声をあげた。

「まさか……」
「ふん、どうやらそのくらいのことは覚えているみたいだな」
「む、むかつくっすけども……答えはイエス、っすね?」
「ああ。少々引き止めすぎたようだ」

ユリアが口を挟む間もないままに、話はどんどん進んで行く。
とりあえず分かるのは、本日何度目かのよろしくない展開が待ち受けているということだ。

「ま、今出ればまだマシであろう」
「……なんかあったら、あんたのせいにするっすからね」
「なんと、自分の下手くそな剣の腕を、私のせいにするのかね?なんという情けない男かね、君は」
「今のは聞き捨てならないっすね……なんなら此処で俺の剣の腕を」
「あ、のー……?」

か細い声ではあったが、声をあげたことで漸く頭上でのやり取りが止んだ。
そして、ヤスが再び先程よりも小さいがあっと呟いた。

「そっか、ユリアちゃん、知らないんすよね……」
「何っ?儀式屋はそんなことも教えていないのか?」

非難がましい声音でアンソニーが食いついたが、まぁまぁとヤスは宥めた。
そして、ユリアと視線が合うくらいに背を屈める。

「ユリアちゃん、夜の精神世界は知らないっすよね」
「……はい。でも、此処に来た時は夜でしたけど」
「それは旦那が罰を受けさせるために、だったっすよね。それ以外では、なかったっすね?」

こくんと頷いたユリアにヤスも頷き返すと、言葉を続けた。

「夜の精神世界は、昼間とは全く違うっす。危ない奴らがうじょうじょ出てきて、まぁ気持ち悪いのなんのって。それだけならいいんすけど、襲ってくるからたまったもんじゃないんすよ」
「え……」
「あ、や、でもっ!俺がばっちりユリアちゃん守って帰るっすから、大丈夫っすよ!」

一瞬にして嫌な顔をしたユリアに、ヤスは慌ててそう付け足した。
が、それでも微妙な表情になった程度だ。
それを見たアンソニーが、ヤスを押しのけるようにして割り込んできた。

「安心したまえ。そこの男は、お嬢さんの保護者らしいからな。ああ……それとも恋人だったかね?」
「恋っ……!?」

恋人という単語に、一気に真っ赤になり口を何度もぱくぱくさせた。
もしもJがいたら、確実にからかわれていたに違いない。
思考が停止した彼に、勝利したような笑みを浮かべると、館の主人はユリアに詰め寄った。

「まぁ、私としてもこんなところでお嬢さんはなくしたくないからな……これを」

すっとユリアの手を取ると、アンソニーは自らが填めていた指輪を少女の小指に付けた。
指輪はダリアか薔薇のような花があしらわれ、花芯に小さなサファイアが載せられていた。

「元は大きなサファイアだったのだがな……だいぶ小さくなってしまった。が、あと一度だけなら君を危険から守ってくれるだろう」
「……え、でもそれだとアンソニーさんが…」
「優しいお嬢さんだな。だが安心したまえ、私にはまだ他の守りがいくつもある。それに、ダイナがいるからな、問題ないのだよ」

糸のように細い目を弧に描き、アンソニーは微笑した。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2011年01月 >>
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
プロフィール
奇吏斗さんのプロフィール
系 統 普通系
職 業 教育・福祉
フリーページリスト