七章§48

「戻るって…何を、言って…」
「ねぇ、覚えてる?剣士クンが、“あの子”と引き換えに、この世界に残ることになったって知った時、速攻で僕を斬りに来たよね」

まるで幼い頃の我が子を思い出すかのような語り口に、ヤスの意識とは関係なく、かつての情景が思い起こされる。

“あの子は、帰してあげたよ。でも、君は帰さない。そういう約束だよ。”

魔術師がさらりと告げた宣告が、一瞬理解できなかった。
一拍おいて、自分は現実世界に帰れないのだと知って、そんな契約を突き付けたサンへ刃を向けた。
悔しくて、悲しくて、恨みがましくて。
そんな負の感情すべてがない交ぜになって、すべての根源たる魔術師を亡き者にして、現実世界に戻ろうとしたのだ。
…だが、実際に魔術師は未だ生きており、自分は不覚にもこの世界に留まっている。
見たくもない現実を直視させられた気がして、ヤスの心がざわつく。

「もう、あの剣士クンが僕ぁ面白くって!!とっても気に入ったから、側に置いてみたりもしたけど、君ってば意思を奪っても僕を殺そうとしてくるから、そこだけが欠点だったんだよねぇ」
「……だったら、戻る必要ないじゃないっすか」

ざわついた心を抑えるように、青年はゆっくりと言葉を紡いだ。
だが、白い魔法使いはそんな配慮にも気付かず、違うよと首を振った。

「欠点だったけど、今に比べたら桁違いに楽しかったなぁ、って思ってるのさ」
「…俺に、命を狙われるのが?」
「うん、そうだよ。言ったでしょ、いい暇潰しになったって」

ぶわっ、と一瞬にしてヤスは、体の芯から突き上げるような憤りを感じた。
この魔法使いは、人が命を賭けて戦ってきたことを、暇潰しになったのだという。
人の努力を、ただの遊びだ、と。

“元の世界に、帰せ!”

誰が好き好んで、こんな世界にいたいと思うのか。
“あの子”を現実世界に帰すために残れというのなら、きっと納得できた。
だけど、そんな約束、サンと結んだ覚えはない。
ただ、“あの子”を帰すために、一つ仕事を頼まれてほしいと、ただそれだけ言われたのだ。
それが、意思を剥奪され、魔法使いが思うままに操られるだなんて、夢にも思わない。

(……冷静に、なれ)

ぐらぐらとマグマのように煮えたぎる胸中を、深呼吸を繰り返して鎮める。
鯉口に掛けていた手を気付き、そっとそこから手を離す。
意識して、ヤスはサンを退けるための言葉を吐き出す。

「残念っすけど、サンさんが言ったように、今の俺は儀式屋の旦那と契約してるっすから」
「そんなもの、無視したらいいのさ。契約してても、物理的に“帰る場所”は自由なんだから」
「……は?」
「儀式屋クンの側にいればいるほど、キミの感覚はダメになるからさ。うん、それがいい!」

子どものように嬉しそうにサンは笑い、茫然としているヤスの手を取る。
だが、儀式屋への悪罵を認識すると、ヤスは目を吊り上げてサンの白い手を払い落とした。

「儀式屋の旦那が悪いなんて、あんた、いい加減にするっすよ」
「あれ?怒ってるの?」
「当たり前じゃないっすか!!」
「ふぅん?」

不思議そうにサンは首を傾げて、ヤスの言葉を吟味しているらしかった。
互いが黙り混んだことでしんと静まり返った室内には、奇妙な空気が占拠している。
歯車がずれて回っているような、そんな気持ちだ。
やがて、何か合点がいったのか、魔法使いが少し哀れんだような声を出した。

「可哀想に…君は、儀式屋クンを信じてるんだね」
「それこそ当たり前っす!!」
「だから、可哀想なんだ。儀式屋クンなんか信じたら、いけないんだよ」
「……、俺が喚んだのは悪かったっす。でも、あんた、本当にどうでもいい話しに来ただけなら、帰ってくださいっす」

でなくば、それこそ本当にサンを斬ってしまいそうだ。
言外にそう含めてみたが、魔術師はそんなことに気付いた様子もなく─あるいは気付いても無視して─言葉を続けた。

「僕なら、ユリアちゃんをあの女のとこになんか、送らないよ。雇い主である自分が守れないなんて言い訳だし」
「…違うっす、旦那がユリアちゃんをあの人のところに行かせたのは、危険から遠ざけるためで、」
「彼は自分の計画のためなら、邪魔者は排除するって考え方なんだよ。つまりは、あの子はいらないってことなのさ」
「違う、旦那はそんなこと思ってない」
「人のココロなんか、どうでもいいって考えてるんだよ」
「違う…違うっ」

どろどろとサンの言葉がまとわりつき、ヤスはそれを振り払うように頭を振って否定する。
これ以上サンの言葉を聞き続けてはいけないと、脳が強い警告を発する。
それなのに、耳を塞いでもつらつらと流れ込み、ヤスの心を揺さぶる。

「自分の願望さえ叶えば、それだけでいいんだよ」
「違う……」
「儀式屋クンにとって、君たちはみーんな、ただの駒、使い捨ての道具なのさ」

毒々しい紫の唇が紡ぐ呪文が、思考の自由を奪っていく。
駄目だ、冷静に考えなくては。
そう頭の片隅で思っていても、もうヤスの中で膨らんだ暗い感情は止められない。
あとほんの少し起爆剤を注がれたら、最悪の事態を迎える。
駄目だ、駄目だ、駄目だ!

「だからさ、儀式屋クンは、ユリアちゃんを捨てたんだよ」
「黙れ魔術師ぃいい!!!!」

鞘に収めたはずの剣を再び抜き去り、電光石火の早業でサンに斬りかかった。
心の器から溢れ出た感情が、大きなうねりとなって暴れる。
その感情に名を付けるならば、儀式屋への侮辱と胸の奥底に沈めていたサンへの憎悪が混ざりあった、どす黒い殺意だ。
冷静な判断が出来たなら、口端を歪め笑うサンに気付いたかもしれない。
しかし今のヤスの目には、その笑いがただの嘲笑として映るばかりで、意味を汲み取ることなど到底出来ない。
ただただ、白い魔法使いへの黒い感情だけがヤスを突き動かす。
その全てを白刃に込めて、サンへと叩き付けた。

「ヤス」

だが、渾身の想いを込めて振り降ろされた剣は、静かな声と共に妨害された。
誰か、と血走った眼で振り向き、茶髪の青年は目を見はった。

七章§49

青年の茶色の瞳に映ったのは、鮮やかな薔薇色の髪の人だ。
それが誰かと理解した時、ヤスは現実へと引き戻された。

「アキ、さん…」

同僚の姿を目に入れ、青年は全身の毛が逆立った。
サンへと降り下ろされた刀剣は、アキが咄嗟に差し出したアサルトライフルに突き刺さっており、サンの顔面寸前で止まっている。
もしアキのクッションがなく、サンを真っ二つにしていたら──

「やれやれ、不死身クンってば、せっかくのチャンスを潰してくれるんだから」

大袈裟にサンは溜め息を吐き、ヤスの凶刃を止めたアキを詰る。
命を救われたことへの感謝どころか、邪魔をされたことへの不満が大きいようだ。
アキは暫く黙していたが、やがて何を思ったか、左手でホルスターからもう一丁銃を取り出し、サンの眉間へ押し付けた。

「死にたい、なら、俺が、殺してやる」
「ちょ…アキさん!?」

真顔でそんなことを宣ったアキに、青年は先刻の衝撃から立ち直るのもそこそこに、アキの強硬へ待ったをかけようとする。
アキの場合、洒落にならないのだ。
いつ引き金を引いても、おかしくない。
更にアキを止めるために言葉をかけようとしたが、それより早く、サンが両手を上に挙げた。
そして、不満たっぷりな声音で、降参の意思を告げる。

「君みたいに、初めっからココロがぶっ壊れてる子なんかに、僕ぁ殺されたくないさ。剣士クンみたいに、壊しがいのある子じゃないと」
「なら、立ち去れ」
「言われなくても、そうさせてもらうよ」

押し付けた銃口は狙いこそ外さないが、魔術師の身から少し離した。
サンもその意味を理解して、そのポーズのまま後ずさる。
十分離れたところで、彼は呆けたようなヤスに微笑んだ。
そして、毒まみれの紫の唇で、宣言する。

「君は、確実に僕のところに帰ってくる。いいね、ヤス」

そう言ってサンがかき消えたと同時に、銃弾が三発、撃ち込まれた。
アキが本気で魔術師へ撃ったのだ。
硝煙が立ち上る銃口をおろし、最前までいた場所を見つめる。
もういない、ということを認識すると、彼は漸く左腕を下ろした。
そして、棒立ちのヤスを振り返った。

「ヤス、それ」
「………」
「ヤス」
「……、あっ、ごめんなさいっす!すぐ抜くっす!」

反応が遅れたヤスは、慌ててアキのアサルトライフルに突き刺さった剣を抜こうとする。
刺さったといっても装置の繋ぎ目で、銃器自体に損害はなさそうだ。
ほっと胸を撫で下ろしながら、ヤスはサンの言葉が頭から離れなかった。
名を呼んだのだ、あの彼が。
背筋に怖気が走り、心臓を掴まれた感覚。
彼が誰かをきちんと名前で呼ぶことは、ほとんどない。
名前を呼ぶということは、よほど気に入った人物だということ。
そしてもう一つは、自らが支配するために呼ぶという理由だ。
前者は、儀式屋やユリアが該当する。
後者は、サンの屋敷に住むあの子たちと──自分だ。
それは即ち、彼は本気で、ヤスを側に来させようとしている。
──なんのために?

「ヤス」

はっとして意識を向けると、剣を抜いた形のまま固まっていた自分を怪しんで、アキがこちらを見ていた。
すみませんと謝ってから剣を鞘へ──、その手をアキに掴まれた。
え、と思わず声に出して驚くと、アメジストの瞳が珍しくはっきりと正面から見つめていた。
その視線を、ヤスはかわせない。

「剣は、裏切らない」
「は、はい…?」
「だが、心は、裏切る」
「………」
「何を、お前は、斬る?」
「俺、は…」

魔術師の言葉を真に受けて、斬ることがお前の本心なのか。
普段物静かな同僚は、普段と同じようにヤスにそう問いかけている。
剣は一度振りかざせば、容易く斬り殺せる。
あのときの自分は、サンの甘言に唆され、一時の感情で斬ろうとした。
あれは本心なのかと聞かれたら、違うと自分は主張するだろう。

「……わかんないっす、アキさん」

なのに、ヤスの口からこぼれ落ちた言葉は、迷いを生じて答えが見つけられなかった末の言葉だった。
アキは首を傾げて、のっぽの青年の話を促す。

「アキさん、知ってるじゃないっすか…俺と、サンさんの関係」

ヤスはサンを拒否できない。
何かの呪いのように、ヤスの魂にまで絡み付く、それ。
繋がりを持ってしまった他者を拒否できないのは、昔から己の性分だ。
敵ならば拒否できるのに、この世界に来た時からサンは敵なのに、深い繋がりを持ってしまったせいで、拒否できなくなってしまった。

「……せっかく、儀式屋の旦那に拾われて、この二十年、少しずつこんな気持ち、忘れて来たのに」

自分の心の中に、まだ引っ掛かっている感情。
あれは紛れもなく、過去にサンへ抱いた憎悪だ。
本当に、あの瞬間まで、ヤスはサンへの負の感情は忘れていた。
それもこれも、ヤスがこの店で平穏無事に過ごしてきたからだ。
何の気まぐれか、サンが飽きた玩具のごとく、突如ヤスを儀式屋へ渡した。
その日から徐々に消えていって、サンと直接話しても、もう沸き起こらないと自分でも確信していた。
なのに、こんな簡単に、かつての感情というのは、甦るものなのか。

「マジだなんて思わないのに…思わないのに、あの人への憎しみを掘り起こされて平気でいられるほど、俺は大人じゃないんすよ!」

アキに八つ当たりをしてはいけないと、頭ではわかっている。
だけど、この訳のわからぬ荒れ狂う気持ちを、誰かにぶつけずにはいられなかった。
サンにより引きずり出されたそれは、ヤスの今を蝕んでいく。
ぐちゃぐちゃだ、表に出したくないのに、汚い感情が溢れ出す。
何もかも、魔術師が狂わせた。
奪われた時間が、悔しい、恨めしい。
返せ、帰せ、還せ!

「ヤス」

再度。
静寂を揺るがさないような声音で、アキがヤスを呼び戻す。
指先が真っ白になるくらい剣の柄を握り締めて、息を詰めていたのか、若干頭がくらりとした。
ゆっくり呼吸を繰返し、こちらを見つめるアキを見る。
全く表情に出さないまま、アキは言う。

「迷うなら、抜くな」
「でも、」
「迷い刃は、お前を、貫く。憎めば、憎むほど、お前を、傷付ける」
「!」

“その憎悪は、必ず君自身を焼き尽くす”

儀式屋はヤスの中に巣食う憎悪を見て、そう評した。
ヤスはサンを殺せば戻れると信じているが、どこにもそんな保証はないのだ。
なのに、必死になってサンへの復讐に燃え、何度も何度も刃を向けたところで、ヤス本人が受けるダメージが多くなるだけだ。
途方もない時間を費やした末に、何もかも無意味だったとなれば、どれほどの惨めな気持ちに襲われるだろうか。
儀式屋には、ヤスの憎悪がそう見えたのだ。
そして、アキにもそう見えたということ。
ヤスは力なく同僚に笑いかけた。

「……俺、ダメっすね」
「…………」
「こんなままじゃ…、こんなままだから、サンさんにも漬け込まれる」
「…………」
「俺は……、」

どうしたいんだろう。
後半に続いた言葉は、口には出せなかった。
自分でも答えが見えないのに、それを言葉に出したら、自分が追い詰められてしまう。
何より、まだあの頃から変われていない自分を直視してしまったことが、重石としてのし掛かる。
これでは、サンに首輪を繋がれたまま、彼の掌で転がされているようなものだ。
不思議そうにするアキに、何でもないと首を左右に振った。
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