六章§15

──アンソニー邸

ユリアとヤスは、再びあのチェス盤模様の部屋に通され、そこで二人はもてなしを受けていた。
もてなしといっても、豪勢な食事などではなく、アンソニーが言った通り本当にささやかなものだった。
それでも、普段の食事に比べると断絶贅沢だと、ヤスは心底思った。
満月の色を呈するスープは湯気とともに食欲を誘う薫りを立ち上らせていたし、ダイナ特製だという海の幸がたっぷりのスパゲティは見た目からして美味しそうだった。
小さな器に盛られたサラダも、この料理の色彩を鮮やかに引き立てている。

「すごいっすね、この料理!」
「当たり前だ。ダイナが作るものが駄目なわけなかろう……ダイナ、君も座りなさい」

目を爛々とさせ料理を端から端まで舐めるように見るヤスに、ダイナに座るよう指示しながら、やや自慢気にアンソニーが答えた。
その様子を見て、ユリアは微笑ましくアンソニーを見やった。
先刻前に見た、アンソニーとダイナの深い信頼関係は、心が穏やかさに包み込まれるようだった。
同じように主とその吸血鬼の関係であっても、儀式屋とJにはそうした関係性が見られないのだ。
上手く言えないのだが、信用していても信頼はしていない、というのがしっくりくるのである。
それでも何とか関係は保たれているからいいのだが。
ダイナが席に着いたところで、アンソニーはどうぞ、とユリアたちに食べるよう促した。
ヤスがやたらと威勢良くいただきますと言ったのに、ユリアは少し吹き出した。
それから、自分も同様の言葉を口にして、目の前に並ぶ料理を口に運んだ。
途端に、ユリアの黒曜石の瞳がまん丸になった。

「美味しい……!」
「お口に合いましたか?」
「はいっ。ダイナさんは、とてもお料理がお上手なんですね」

にぱっと効果音でも付きそうな笑顔を浮かべて、ユリアはダイナへそう答えた。
色白の吸血鬼は、ほんの少し口角を緩めてそれほどでも、と首を横に振った。
初見こそ、クールで感情の欠片すら見えなかったが、きちんと彼女にも心があるのだ。
それだけで、この白と黒に支配された世界も、ただの味気ないものではなくなる。

「しかしあれだな……まさか君のような輩とこうして食事をすることになるとは思わなかったよ」

不意に、アンソニーがそう口を開いた。
君のような、とはヤスのことで、スパゲティにがっついていた彼は、アンソニーからの視線を感じて顔を上げた。
口の周りがべたべたとしているのに多少アンソニーは眉を顰めたが、咳払いを一つしてから。

「君は、私を嫌っているからな。大人しく席に着くとは予想外だったよ」
「ちょ……な、何を言い出すんすか!俺はいつも通りっしょ!?」
「ほぅ……では、何かな。君はいつもいつも、そのお嬢さんの騎士か何かを気取っているということかな?」

糸のように細いエメラルドグリーンの目が、ヤスをからかうようにして弧を描いた。
そのお嬢さん、と指されたユリアはへっ?というように小首を傾げた。
そして、隣のヤスを見て少女は思わず持っていたスプーンを落としそうだった。
自分よりも年上でのっぽの男が、自分と変わらぬ程の年齢の男子のように見えたのだ。
頬を真っ赤に染め、ぷるぷると震えている。
それを見て館の主は、ふんっと勝ち誇ったかのように笑った。

「お嬢さん、そこの男はだね、本来はこの私に剣を向けるほど、私を嫌っているのだよ」
「えっ」
「だぁあああ!!違う違う違うっす!ユリアちゃん、真に受けないで下さいっすよ!?」
「はぁ…」
「何を言う、現にこないだ君は私に向けたではないか」
「あれは!あんたがいつも旦那の物を勝手に物色するもんっすから、警告の意を込めてっ」
「物色?ヤス、貴方はアンソニー様を侮辱するつもり?」
「えっ、や、ちがっ……ダイナさん!そんな目で俺を見ないで下さいっすよぉ」

双方から攻撃(もはや口撃と言った方が近いだろう)を受け、ヤスは泣きそうな顔である。
それを見てユリアは、我慢出来ずに声を上げて笑い出した。
そんなユリアに、ヤスはショックを受けたように眉を下げて少女を見やった。

「ユリアちゃんまで…ひどいっす……」
「ごめんなさいっ、だってヤスさん、可笑しくって」
「……まぁ、そんな笑ったユリアちゃん、初めて見れたからいいっすけど」

若干、困ったような笑ったような表情で、ヤスはそう呟いた。
その呟きを、またアンソニーが揚げ足を取るような形でからかい、ヤスが過剰に反応する。
そうして和やかに団欒の時は過ぎていった。

六章§16

食事が一段落し、暫くしてからダイナが食器を下げた。
そして奥の部屋へ引っ込んで、次に出て来た時には盆にカップを載せてやってきた。
言われなくても分かる、アンソニーが絶賛している彼女特製の珈琲だ。

「どうぞ」

微かな笑みと共にユリアの前に珈琲とデザートとしてロールケーキが置かれた。
珈琲から香り立つそれは、ほっとするような香りだ。
アンソニーがカップを持ち上げて、実に恍惚とした面持ちで香りを楽しみ、それからカップの中身を味わった。
そして、満面の笑顔を浮かべて見せた。

「ふむ、やはり君が淹れた物は、最高だな」
「これで、許していただけますか?」
「ふっ、許すも何も、最初から私は君に怒ってなどいないさ」
「アンソニー様……」
「……なんすか、このカップルみたいな空気は……」

目の前で繰り広げられるそれに、辟易したかのようにヤスがユリアに同意を求めるよう呟いた。
何とも言えずに困ったユリアは、とりあえず曖昧な笑いをしてから珈琲を啜った。
一口目で、口内に広がるその味と香りは、確かにアンソニーの言う通りであると、ユリアは深く心の中で頷いた。
と、そうユリアが思った時だった。
一瞬、部屋の片隅にある闇の塊が、濃度を高めたように見えたのだ。
ぞわりと、ユリアは全身の鳥肌が立ったのを感じた。
ついさっき、喉を通り過ぎた熱すら忘れてしまうほどに、感覚が麻痺してしまった。
それに気付いたアンソニーが、ちらりとユリアを見やってから呟いた。

「……儀式屋が来たな」
「え、えぇ!?な、なんで旦那が!?」
「調べに来たんだ。先程、アキを連れ去った時に手記のことを聞き、きっとこれからミュステリオンに出向かうのだろうな」
「は、なんでミュステリオンに?」

ぽかんと口を開けて尋ねるヤスに、アンソニーはやれやれといったように答えた。

「あの手記には何が書かれていた?あれにはこの世界を壊す方法が載っている。流石の儀式屋も見過ごせまい?まだあれも片付いていない今、荒れるのはあの男としてはまずいのだからな」
「……あれ、って何ですか?」

アンソニーの話の中に普通に出て来た“あれ”という指示語に、ユリアは疑問符を投げかけた。
男の割には細い眉が、僅かに眉間に寄せられる。

「20年前、あの男がやらかしたことを、知らないとは……ふむ、ならば私が教え」
「ま、待って下さいっす!」
「ヤス、君はまた私の言葉を……!」
「ご、ごめんなさいっす…いやでも、そのことを話すのは待ってほしくって」

ますます深まる眉間の皺に、あわあわとなりながらヤスは続きを語った。

「その、やっぱりそれは旦那自身から言ってもらった方がいいんじゃないかと思って……」
「ふんっ、あの男が己の口から言うのを待つとなると、あと五年は待たねばならんぞ」
「で、でも……」
「大体、あの男は秘密が多すぎるのだ。そのうちの一つくらい、どうってことなかろう、ダイナ、君もそう思うだろう?」
「はい、アンソニー様」

ダイナが同意したことで、どうだと言わんばかりにアンソニーはヤスを見てきた。
ダイナが反対しないのは当たり前じゃないかとか、自分の意見は正論のはずなのにとか、色々ととりとめない思いがふつふつと浮かんできた。
激しく胃の辺りが締め付けられ、今にも吐き出してしまいそうだ。
だが、こうなっては最早自分に勝ち目がないのを、流石にヤスも分かっていた。
なんと返したものかと考えていると、隣にいたユリアが声を発した。

「あの、いいですか?」
「どうぞ」
「それって、知らなきゃ駄目なことですか?」
「あれが知りたくないのかね?」
「でも、そんな無理にまでは……」
「これは君が今後、儀式屋の傍で生きて行くには、必要となるものだ。あの男が、何を考えているのかということの、助けになるのだよ」
「……………」

何か思うところでもあったのか、そこでユリアは何も言わなくなった。
ちらりとヤスはユリアを盗み見たが、やや俯き加減の顔からは何も見受けられなかった。
一度、しんと静まり返ったところで、アンソニーは口を開いた。

「では、遠慮なく話すとしよう。まず始めに断っておくが、このことは儀式屋のみが正しい真実を知っている。私が語るのは、それに限りなく近い御伽噺や噂話とでも思うと良い……」

そうして彼は、真実に近い御伽噺を始めた。
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