七章§50

「それより、アキさん」

無理矢理話題を変えようと、ヤスは先刻から気になっていたことを口にした。

「その格好…どうかしたんすか」

戦闘服といって差し支えないような、漆黒のエナメルの上下に、膝丈のブーツ。
背には身長以上のバズーカを背負い、肩には先ほどのアサルトライフル、ベルトには彼愛用のリボルバーと思われるものがある。
そして太ももの辺りには、オートマチックが備え付けられており、つまり彼の全身を銃器で固めている状態である。
明らかに接客用ではない。
一応警備員という役職を賜っているヤスですら、そんな武装していない。
ただでさえアキの持つ雰囲気は、危なっかしい部分があるのだが、今回の出で立ちはさらにそれに拍車がかかっている。
が、肝心のアキは全くそれに気付いていないようだ。

「変?」
「…いや、変というか、アキさんは何と戦うのかなと…」
「?無論、敵だが」
「うん、あの、それは分かるっす」

駄目だ、全く意図が通じていない。
彼は本当に敵と対峙しようというつもりで、正装しているのだ。
その考え方は間違っていないのだろう。

(じゃなくて、時と場合ってのがあるじゃないっすか!)

喉元まで出掛けた言葉を、寸でのところで飲み込む。
アキに言ったところで、また見当違いな回答が返るだろう。
そうこうしてヤスが一人葛藤していると、渦中の人物が答えた。

「招かれざる、客が、来る」
「えー…まぁ敵は招かれざる客っすけども」
「違う」
「は?違う?」
「儀式屋が、言った。厄介な奴が、来る」
「……厄介な奴?」

アキの言葉に、ヤスは片眉を上げた。
それは、3日前にヤスが儀式屋から命令された時に言われた内容と同じだ。
アキにも同じ命令をしたということは、裏返せば一人では太刀打ち出来ないということだ。
儀式屋は、余程その“厄介な奴”とやらを警戒しているのだろうか。
いったい何が、来るというのか。

「で、そんだけ武装した、と」
「うん」
「……アキさん、とりあえず背中のは置きましょう」
「……ん」

答えが出そうにない問いを頭の中で反芻しながら、ヤスは同僚の武装を一つ解除することにした。
大人しくヤスの指示に従い、アキは背中の武器を床へ下ろす。
ごとん、と重たい音が妙にリアルだ。
下ろしたアキはそのまま立ち尽くし、じっとヤスを見ている。
多分、次はどうするのか、ということだろう。

「……お客さん来るまで暇なんで、座ってていいっすよ」
「わかった」

いつもならJが座す位置に彼は腰掛けた。
腕組みをして入口を一心不乱に、あるいは意味もなく、焦点の合わぬ目で見つめる。
あまりにも重々しい武装でそこに居座られると、そこだけ死刑執行人が刑の執行を待ち構えているように見える。
通常、この店に訪れるような客など、大概まともな輩ではない。
“儀式屋”とは、本来儀式を執り行いたい者に、場所から道具一式まで貸与するところなのだ。
まともな輩など、ヤスはこの二十年、見たことがない。
だが、そんな奴等ですら、きっとアキを見たら驚かずにはいられまい。
それほどまでに、今の出で立ちは、ない。

「……厄介な奴って…どんな奴なんすかね」
「さぁ」
「でも、アキさん、そんな格好するなら、何らかの心当たりはあるんすよね?」
「ない」
「……そうっすか」

期待はしてなかったので、そこまで大きく落ち込みはしなかったが、それでも多少落ち込みはする。
何ともいえない気持ちで、ヤスは窓から見える世界をぼんやり目に映した。
昼間の精神世界は、いまや夏真っ盛りだ。
太陽は南中を指す程に高度を上げ、外気温はバカ高いだろう。
陽炎とまでは言わないが、それが見えそうな雰囲気ではある。
このまま行けば例年通り、まもなく精神世界は、あり得ないくらいの猛暑に突入するはずだ。
うだるような暑さは、実はヤスはあまり得意ではない。
基本的に屋内勤務だが、まれに外出することもある。
この季節を思うと、外出するのを躊躇う気持ちが芽生えてしまう。
意外と取られることが多いが、武闘派であってもアウトドア好きというわけではないのだ。
窓から見渡す限り、晴れ晴れとした空が、この上なく妬ましい。
現実世界と精神世界の境界にある『儀式屋』の周囲には建物がないため、余計に空が開けているのだ。
春なら、喜んで大歓迎なのに、夏はただ暑いだけでかなわない。
そんなことをいうと、大抵Jは見た目にそぐわないとからかうのだけれど。

(…Jは、巧く潜入できたっすかね)

もう一人の同僚に課せられた任務は、二区で──否、悪魔街で起きている異変を、突き止めることだ。
儀式屋は二区と限定したが、事態はその範疇だけで収拾するなどとは思えない。
全体を見なければ、その一点の違いは分からないし、その逆もまた然りだ。
ただの聞き込みなら、それも容易かろう。
しかし、本来的に悪魔街に入ることは禁止されている。
加えて、今の情勢から鑑みるに、緊張感が高まる悪魔街を、ミュステリオンが放置するはずもない。
だからこその潜入調査となるわけだ。
真っ向から突っ込むヤスには、土台無理な任務である。
真っ直ぐ過ぎるヤスは、騙るための演技が出来ないのだ。
正面からの戦いには自信があるが、駆け引きやらややこしいものは、自分の担当外だと決めている。
Jも気質はヤスと同じはずなのだが、彼の場合、言い方は悪いが、人を騙すことにはヤスより長けている。
それゆえ、Jが選ばれたということだ。
その任務を負った彼は、恐らくかなり意気込んでいる。
一日でも早くこの事態を終息させ、ユリアを此処へ戻って来させるために。

『私だけが、邪魔者みたい』

腕の中で泣いた少女の言葉が、リフレインする。
儀式屋の行動には意味があるのだと、説き伏せることは簡単なことだ。
賢いあの子は、こちらが意図することを読み取り、納得しようとするのだから。
だけど、それはいつしかユリアの心を、壊してしまうことになる。
儀式屋は残酷にも、すべてを奪いながら、感情だけは奪わなかった。
彼は、所有物たる自分たちに感情を許したのだ。
いっそサンのようにすべてを奪ったなら、思い悩まなくて済んだのに。

『儀式屋は、決して優しくない』

もう何度、此処で先達から聞いた台詞だろう。
彼は優しくない。
優しいと勘違いしてしまうのは、儀式屋の利益と自分の願いが重なった時だけ、彼がその力を貸すからだ。
逆に利害が一致なければ、彼は力を貸さないのだ。
本当に優しいのならば、そんなことは関係ないはずだと、ヤスは結論付けている。
だから、優しくない彼は所有物に感情を許す一方で、彼自身はその感情の機微を理解しない。
理論上「こうなるだろう」ということは、きっと理解している。
だが、それはあくまで教科書の内容をそのまま理解しただけで、感覚的な部分での理解はない。
傷付ければ傷付くことは分かっていても、何故傷付いたのかまでは分からないのだ。
それは優しさなどでは決してない。
むしろ、無責任もいいところだ。
でも、それでも──ほんの少しだけ、期待してしまう。
儀式屋は、自分たちが思っている程、酷くはないはずだと。
あの決断は覆らないが、その先までも非情なものだとは思わない。
…だから、人を信じて拒否できなくなってしまうのだけれど。

「──!」

長らく思考を沈めていたが、視界に捉えたものを認識して、突如ぞわっと全身の毛が逆立ち急激に意識が覚醒する。

七章§51

空は晴天。
太陽が地面を照り付けている。
なのに、どうしてあの“できそこない”が、真っ昼間からいるのだ!?

「ヤス」

急激に緊張感が高まったためか、アキが不可解そうに名を呼ぶ。
ヤスは、声には出さずそっと窓の外を指差した。
その指示に従って窓へと近付き、眼鏡の奥の目を凝らす。
ヤスは小声でアキへ囁く。

「おかしくないっすか、こんな昼間からなんて」
「………」
「きっと、これが旦那の言ってたやつなんすよ」
「………」
「俺、様子を見てくるっす」
「……ヤス」

今にも出て行こうとした彼を、アキは彼の腕を掴んで阻止した。
ヤスが振り向くと、アキは外へ目を向けたまま、派手な頭を左右へ傾けながら尋ねた。

「何が、見えた?」
「え…何がって…ほら、アキさんの真正面に、白いあれが…」
「いない」
「は?」
「いない」

意味の分からない回答に、ヤスは一瞬理解できなかった。
それから再度窓の外を見直す。
白いあれは、やはりいくつか集団になって、『儀式屋』から100メートルもないところにいる。
どれだけ目が悪くても、見えるはずだ。

「いや、アキさん…ちゃんと、いるっすよ」
「いない」
「でも、本当にそこにっ」
「……俺には、見えない」

耳を疑うとは、こういうことをいうのだ。
のっぽの青年は一重の目をぱちくりさせた。
アキは、珍しく焦点を合わせて外を凝視しており、微動だにしない。
確かに窓の外を見つめており、決して見えていない訳ではない。

「何で…だってあんなに…」

ヤスには相変わらず、白いできそこないが蠢く様しか見えない。
あんなに、あんなに気持ち悪い白い、あれが。

「俺には……、俺しか、見えない」
「え?」

本日何度目か、ヤスは思考が停止しかけた。
アキには違う何か─彼の言葉を信じるなら彼自身─が見えているらしい。
唖然としてアキと窓を交互にヤスは見遣る。
生気のない目は瞬きすることなく、それきり無言で観察している。
やがて、アキは合点がいったのか、突如ヤスを振り返った。

「術者が、いる」
「は、術者?」
「お前には、できそこない。俺には、俺自身」
「……えーと、つまり?」
「見たくない、ものが、見えている」
「見たくない、もの…」

同僚の発言を、ヤスは繰り返した。
途切れ途切れなアキの言葉から類推するに、何者かが自分たちに見たくないものを見せているらしい。
だとしたら、相当な性根の腐った悪趣味な輩ということだろう。
と、考えている間に、アキはバズーカを背負い直し、いち早く表へ出て行ってしまった。
ヤスを止めたのは何処の誰かと思わず突っ込みたくなるが、そんなことをしている場合ではない。
慌ててアキを追い掛ける。

「アキさ…!?」

玄関から一歩踏み出した瞬間、世界は逆転して暗転する。
瞬きする前まで、確かにそこは真昼だった。
なのに、今や真っ暗闇の中で、“できそこない”に、長身の剣士は囲まれていた。
振り返れば出てきたはずの扉は闇の中に沈み、同僚は気配ごと消え去っている。
ゆっくりと呼吸すれば、夜の空気が肺腑の奥まで染み込む。
今度こそ完全に、あれらが存在する世界だ。
どうやら、扉を境に異空間へ飛ばされたらしい。
そこまで分析して、この異様な状況から導き出される答えは、ひとつ。

(こいつらを、消すしかないってことっすか)

アキは言った、自分自身が一番見たくないものが見えていると。
ヤスに見えているのは、“できそこない”だ。
思い出したくもない記憶が甦りそうで、彼は柄を強く握り締める。
今日はなんて最悪なんだろう。
サンには心を掻き乱されるし、白いあれらを昼間から見せつけられるし。

「ほんと、犯人は覚悟するっすよ…!」

躍りかかってきた一匹目を、抜刀と共に斬り裂く。
ついでに、その返し刀で二匹目を叩き斬る。
休む間もなく近付く次の刺客は、剣を持ち直してその後ろにまでいる奴ごと貫く。
柄から伝わる感触は、ゼリーのように柔らかく、正直気色悪いとしか言えない。
“できそこない”と対峙したくない理由としては、それもある。
だが、それ以上に見たくない理由のが、上回っている。
だってこの“できそこない”は──

「うらぁあ…!」

べしゃりと地面に叩き伏せながら、意識しそうになる記憶を意図的に封じる。
代わりに、足元に絡み付きそうになるそれへ、殺気と共に刃でその身を切り裂く。
まだ残る白いあれらは、減らしても減らしても、何処からかわらわらと増えてくるようだ。
埒が明かない、とヤスは思った。
何か方法はないかと考えるが、次から次へ襲い掛かるそれらを対処するため、突破口をなかなか見出だせない。

(くそっ…早く抜け出さないと…)

自分の体力が尽き果てるまで、“できそこない”と戯れるつもりはない。
だが、何処からかぞろぞろと沸き出る“できそこない”のせいで、この戦いの終わりが全く見えない。
これでは、いつまでも店に戻ることができない。

(そうだ…店が…)

ふぅ、っと上がり始めた息を整えようとして、ふと脳裏に『儀式屋』が過る。
自分たちが出てきた今、店内は誰もいない。
侵入するなら、好都合だ。

『助けて…』
「!?」

その懇願は、何処から聴こえたのか。
はっとして見れば、“できそこない”が足に絡み付いているではないか。
それを見咎め、ヤスは光の速さで薙ぎ払った。
一瞬にして、白いそれは弾き消された。
対するヤスは、高々一太刀薙いだ動作だけなのに、肩を上下させている。
彼が“できそこない”と出会いたくない理由は、これだ。
“できそこない”に触れると、それが人だった頃の感情が意識に流れ込み、動けなくなるのだ。
畳み掛けるように溢れ出す感情が流れ込むと、憑依された相手は自身の思考を乗っ取られれ、自我が崩壊する。
そうして、やがてはできそこないの一部になってしまう。
ヤスは、そんな人間を何人も見てきたし、そんな人間を作り出した側でもある。

(嗚呼、そうだ…だから、俺はこいつらが死ぬほど嫌なんだ…)

見るたびに、自分の罪を思い出してしまう。
否、決してヤスは自分の意思でそうした訳じゃない。
サンに意思を奪われていたといえば、それまでのことだ。
だが、真面目なヤスには、そう簡単に割りきれないのだけれど。
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