「──ユリア、何ぼーっとしてんのよっ」

つん、と頬を指でつつかれて、はっとユリアは意識を戻した。
意識が戻った途端に、それまで遮断していた外部情報が一気に五官へ流れ込んだ。
いつの間にか授業は終わっていて、クラスメートの明るい笑い声が鼓膜を刺激する。
当番が黒板を消し始め、窓が開いていたために夏の涼しい風と共に、チョークの粉をほんの少し吸い込んでしまって、ユリアは顔をしかめた。

「ほら、次の授業、移動するよっ」
「え、次って移動だっけ」
「何寝ぼけてんのよ、もう」

くすくすとアイカが笑い、彼女の隣にいたリサは半分呆れたように腰に手を当てている。
ユリアは二人を見ながら、少し照れ臭そうに笑った。
机の中に手を入れながら、次の授業に必要な教科書を探り出す。
アイカはユリアの机の上に座り、しばらくその様子を眺めていたが、思い出したように声を上げた。

「それでユリア、どうなったの?」
「……え?何が?」
「決まってんでしょ、笹川君とのことよ」
「っ、マサト!?」

思わず大きな声を出してしまったが、辺りを見回せば教室にはもうほとんど人がおらず、少しほっとした。
それから、ユリアはアイカを睨む。

「何もないしっ」
「嘘つきー見たんだからこないだ、ね、リサ」
「そうよ。二人でデートしてたじゃん」
「なっ……あれはデートじゃなくって、たまたま会っただけで…」
「あ、噂をしたら、笹川君だー」

ユリアがやや顔を赤らめつつ弁明をしていたが、それを華麗にリサは無視して廊下を指さした。
え、と思って見ると、本当にマサトが廊下を歩いている。
いつもつるんでいる友達と楽しそうに話していて、こちらには気付いていないようだ。

「でも意外だよね」
「……何が?」
「だから、ユリアと笹川君が仲良しってこと」

そのまま去っていく彼らを眺めつつ、アイカがしみじみと呟いた。
ユリアは溜息を一つ吐く。
この二人以外からもよくそう言われるので、慣れっこといえば慣れっこなのだが、あまり珍しがられるのも居心地が悪い。
いつものように、ユリアは決まりきった言葉を返す。

「……まぁ幼なじみだし、家も隣だし。そんなもんじゃないの」
「それを抜いても、よ。だいたい、見た目からして逆じゃん?」

準備をし終えてユリアは立ち上がりながら、友人二人の言葉に不満そうな眼差しを送る。
だってさ、とリサが答える。

「ユリアは髪普通の黒だし、化粧もしてないし見た目普通だし…何より、いい子ちゃんだし」
「笹川君は格好いいっちゃ格好いいけどさぁ……金髪だし、なんかピアスもしてるし…なんかたまに喧嘩してるじゃん。ほら、正反対!」

廊下を歩きながら得意げに言ってくるアイカとリサに、ユリアは少しむっとした。
二人とも、彼のことを何も分かっていない。
彼は、あんな見た目でも悪い奴なんかではないのだ。

「……マサトは…見た目は確かにああだけど…とっても不器用だし、人一倍お節介で…でも、そこがマサトらしいっていうか…」

言葉を選びながら、ユリアはそう語った。
見た目だけが、彼の全てではない。
あんな風な恰好をしていても、ふとした時に彼の内面は隠せなくて、滲み出てくる。
あんなだからなかなか気付かれないが、でも長い時間付き合えば分かるのだ。

「あーやだやだ、誰もそんなノロケなんか聞きたくないっての!」
「てかさぁ、それだけ笹川君のこと分かってながら、彼氏じゃないなんてよくいうわ」
「ってちょっと!二人がそういう話題を振ったんでしょ!?」

急にわざとらしく煙たがる友人二人に、ユリアはむっとして言い返した。
だが彼女たちはわびれた風もなく、したり顔で見てくるだけだ。
更に何か言ってやろうとしたところで、軽やかなチャイムの音が聞こえてきた。

「うわ、やばっ!」
「早く行かなきゃマジ怒られる!」
「ほらユリア、いつまでもそんな顔してないで走るよ!」

いまだに怒った顔をしていたユリアの肩をぽんと軽く叩くと、アイカとリサは走り出した。
もう、というようにユリアは吐息を一つ。
だが、その後には浮かんだのは微笑だった。
時にはふざけても、やはりこの二人は自分にはなくてはならない存在なのだ。
この二人がいるから、こうして日々を楽しく過ごせているようなものだ。
この二人をなくしてしまったら、きっと目の前は真っ暗だ。
だからユリアは、この二人が再び仲良くなってくれたのが嬉しかったし、この先もこのままの関係を守っていけたらいいな、とあの日を境に思い続けている。
……少女は微笑を深めると、先に進んだ大切な友人を追い掛けた。