七章§32

二階に上がり扉を開けると、細い廊下が二人を出迎えた。
窓が突き当たりに一つあるだけで、光はほとんど届かず暗く、照明もついていない廊下。
それだけでも十分無気味である。
跳ね上がる心臓に落ち着けと命令して、歩みを進める。

みしり。

相当年数が経っているのか、板張りの廊下は、一歩踏み出すだけでみしりと音を立てる。
マルコスは慎重に歩こうと試みたが、Jが気にせずたったか歩いてしまうので、諦めて右倣えをした。

「さて、手間だけど一部屋ずつ見て確かめなきゃだね」

扉を見ただけでは、それが主の部屋だとは分からない。
どの道、一つずつ確認していく以外にないのだ。
とりあえず一番手近な扉に歩み寄り、Jがその把手に手をかける。
一度だけマルコスに目配せをすると、素早く押し開き身を滑り込ませた。

「此処は……外れ、ですね」

Jに続いて入ったマルコスは、さっと辺りを見回してそう判断した。
およそ人が生活するための調度品は全くなく、代わりに辺り一面が図書で埋め尽くされていた。
どうやら此処は、書斎らしい。
窓はあるが書物を守るために分厚いカーテンが引かれているため、やや陰鬱な空気が部屋を覆っている。

「……なんか変だね」

既に室内をぐるっと一周をしたJは、そう感想を述べた。
変ですか、とマルコスは彼に尋ねる。

「だって、この部屋までこんな荒らされてるなんて…変じゃない?」

眉根を寄せて尋ねるJに、マルコスは確かにそうかもしれない、と再度部屋を見やる。
入室時は蔵書の多さに圧倒されてしまったのだが、よく見ると本棚からは大半の図書が抜け落ちている。
木目の床を覆い尽くすようにして、あちこちに本が散らばっているのだ。
これを見て変じゃないと断定するのは、おかしい気がする。

「それに……この辺とかに傷があるけど、どう見ても何かで斬った後だよ」
「あ……」

壁際にJは近寄り、斜めの傷跡に指を這わせた。
マルコスも近寄って、その部分を見つめる。
明らかに、この場にそぐわない傷だ。

「……ま、今出来たものかは分からないけど、だとしてもこんな状況で平時を過ごしてたとは考えにくい」
「そうですね」
「多分……何かがあったんだ。ミュステリオンが乗り込む前に」
「どうしてそう思うんですか」
「あいつらを擁護するつもりはないけど、いくら何でも無駄な動きが多すぎる。あいつら、悪魔に出会ってないんだろ?出会って交戦したのならともかく、そうじゃないなら玄関のとこであんな派手に物をぶちまけたりはしない」

Jのその考えに、マルコスは頷きを返した。
だが、だとしたら一体此処で何があったというのだろう?
顎に手を当てて考え込んでいたマルコスだったが、Jの呼び掛けにはっと意識を戻した。
見れば、いつの間にか入口に彼は移動しており、金の瞳がマルコスを見つめている。

「坊ちゃん、答えを出すのは後でもできるからさ、次に行くよ」
「あ、はいっ」

頭を少し振るってからマルコスは追い掛けた。
今は謎解きよりも、当主の部屋を探すのが先決なのだ。
うっかりと謎解きにはまった自分を叱咤して、次の部屋に向かう。
Jは先ほどと同じように少年悪魔に目配せをしてから、次の扉を開けた。
新たに現れた部屋は、主のコレクションルームだったのだろう。
“だった”というのは、そのコレクションを飾るための棚、ケースなどはあるのに、肝心のコレクションが全くないのだ。

「またこれは変わった部屋だねぇ……」

物が置かれていた部分だけ、滑らかな表面を晒す棚。
そこに確かにあったことを影として残された壁。
この部屋はまるで亡霊みたいだ、とマルコスは感じた。
存在しているのに、気配が限りなく希薄すぎて、誰にも気付いてもらえない。
忘れ去られてしまったような、そんな印象をマルコスは受けたのだ。

「持ち出された、んでしょうか」
「だろうね。でもやっぱり意味不明。もう少し跡が鮮明なら分かるけど」

壁の日焼けのあとを懸命にJは調べていたようだが、どうにも分からないらしかった。
他のケースや棚にしたって、簡単には分かりそうもない。
此処にあった物は何か、いつ持って行かれたのか、いったい何がこの場所で起きたのか、何一つ検討がつかなかった。

七章§33

ただ一つ判明しているのは、新たな部屋への扉があることだけだ。
がらんどうの部屋に見切りをつけたJは、その扉に近づいた。
把手を握ると、背後の少年を彼は振り返った。

「多分この部屋だけど、あの部屋だよ」

あの部屋とは、Jがマルコスを助け出した部屋のことだろう。
それでも見るのか、と彼は尋ねたのだ。
Jが見つめていると、小さな金の頭が縦に振られた。

「了解、坊ちゃん」

にぃっと犬歯を零してJは笑うと、握ったままの把手を捻ろうとした。
だが、あとは押し開くだけの段階で、Jのほぼないに等しい眉が、ぴくりと動いた。
その動作を敏感に感じ取ったマルコスは彼に尋ねようとしたが、しっと人差し指を唇に彼はあてがった。
そして、ゆっくりと把手を元に戻すと同時に、派手な吸血鬼は扉を蹴破ったのである。
唖然として、マルコスは最初言葉が出なかったが、何とか彼の名前だけは口に出来た。

「じ、Jさ……ん」
「ご覧、坊ちゃん。漸くお出迎えだよ」

Jの強靭な脚力により、見事破壊された扉の向こう、ドレッドヘアーの男が身構えるようにして立っていた。
こちらを呪殺でも出来そうな迫力で睨む瞳は──琥珀色だ。
それだけで、その男が同族だと分かる。
マルコスがそうして相手を観察している間に、扉を粉砕した本人は中へ踏み込みながら、その悪魔に声をかけた。

「殺気ってのは、そんなむやみやたらに向けるもんじゃないよ」
「……………」
「あんた、何で此処にいるわけ?こんな場所で、俺たちをお出迎えするため?」
「……………」

何も答えずに、ただ警戒するようにこちらを監視する男に、Jは肩を竦めた。
こういう黙りを決め込む相手は、苦手なのだ。
ストレートに拳を交わすことの方が得意である彼は、これ以上悠長に話をする気はなかった。

「……、または、此処に触れられては困るものが実はあるとか?」

例えば、と言いながら近くにあった書物をJは手に取る。
もしこれでも反応がなければ、手にした物体を投げつけてやろうとしたのだ。
が、どうやらその読みは外れたらしく、男は勢いよくこちらに向かって突っ込んできたのである。
一瞬Jは目を見開いたが、すぐに笑みを浮かべた。
そして、その男に向かって、思い切り本を投擲したのである。
すると男は、それを受け止めながらJへ勢いに乗せて蹴りを放った。
甘んじてそれを受ける訳もなく、Jは積み上げられた本の山を崩し、置かれていた台の上にひょいと飛び乗った。
迷いのない蹴りは、そのまま凪払われ、両足が地面に着いた時点で、再度琥珀色の瞳がこちらを見た。
おどろおどろしい色に染め上がった瞳には、威圧感があると射竦められたマルコスは思った。

「吸血鬼に悪魔の小童、今すぐ立ち去れ」
「残念だけど、君のとこのご主人様に会わなきゃ、俺ら帰れないんだよね」
「貴様のいうご主人様が、当屋敷の主を指しているのなら此処にはいない。今すぐ立ち去れ」
「そんじゃあ何処にいるか教えてくれる?」
「……俺は二回忠告した。吸血鬼、人の話は聞くものだ」
「!」

低く地の底から響いてくるかのような声音で呟いたかと思うと、悪魔は一瞬でJとの間合いを詰め、台の上でしゃがんでいた彼の顔面を殴り飛ばした。
咄嗟のことに防御しきれなかったJは、そのまま素直に飛ばされて、小物が散らばる床に叩き付けられる。
痛みを感じつつ起き上がろうとして、空を切るスピードで迫る拳を認識した。
寸でのところで、Jは横へと素早く転がり直撃を避けた。
判断があと少し遅ければ、顔の真ん中から陥没していたかもしれない。
そのくらい、男の腕力が凄まじいものだと、Jは直感的に察知した。
この悪魔は、そんじょそこらの悪魔とは訳が違いそうだ。
間合いを取って起き上がり、口端から垂れる血を拳で拭い取ると、Jはにやりと笑いかけた。

「分かったよ、じゃあまずはあんたから話を聞こうか?」
「もう遅い」

短く、それだけ呟くと、悪魔はJとの距離を詰めようと地を蹴りつけた。
だが、今度はJも同じ徹を踏むわけがない。
すぐ側の台に無造作に置かれた布を手に取り、さっと相手の視界に向けて開いて放った。
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