アキは、ようやく此処で理解した──これは、追体験だ。
やはり思った通り、自分がミュステリオンで神父をしていた頃で、一番狂っていた時期だ。
倒すべき自分は、厄介なことに今、一体化してしまったらしい。
とすれば、今は流れに身を任せるしかない。
一旦結論付けて、次はこの場面を考える。
アンリが現れた理由──それは、自分が犯した罪を裁くためだ。
そして、思い出したアキは、次に自分が何をして、何を言うのかを知っている。
駄目だ、と思うが止めるこが出来ない。
自分の今の意識とは別に、腕がハルバードを掴み、体内から抜き出す。
瀕死でもおかしくない量の血が、腹から滴り落ちる。
感覚の何処か遠いところで、痛いと知覚する。
でもそれすらが──己の強さに変わる。

「覚えておきな…アンリ」

ハルバードは、まだ、離さない。
ニヤリと笑みを浮かべて、何処にそんな力があったのかと思わせるように、ハルバードごとアンリを引き寄せる。
そして、アンリが警戒して離れるより早く、アキは彼に向かって銃弾を腹に数発撃ち込んだ。
衝撃で崩れ落ちそうなアンリを、無理矢理引き上げる。

「っ……!」
「犠牲の上にしか、我らの平穏は成り立たぬ…それが我が全異端管理局が誇る、信条だ」
「がはっ…!」

更にもう一発。
弾丸は、心臓は外して肺を貫通しただろう。
呼吸困難に陥ったアンリは、話すことさえ出来ず、ただアキを睨み上げた。
はっ、とアキは鼻で笑ってアンリを地面へ突き飛ばした。
彼はなされるがままに地を転がり、じわじわと血が地面を汚していく。
死なないことは分かっている、というより、死なない程度の負傷だ。
このあと、自分はアンリを放置して、ミュステリオン史上最悪の事件を──

「待て」

背を向けたところで、鋭い声がアキを引き留めた。
誰だ、と振り返った彼は、珍しくそのアメジストの瞳を見開いた。

「…なんで、」

その先にいたのは、死にかけのアンリと──そのアンリを庇うように立つベンジャミンだ。
真っ直ぐに、自分へ銃口を向ける彼は、紛れもなくベンジャミンだった。
だが、彼は此処に居てはいけないはずだ。
何故なら、時系列が正しければ、彼はアンリよりも先に、この自分が“重傷”を負わせたのだから。
なのに、此処にいる彼は、傷ひとつなく立っている。
そして、己自身の変化にも気付く。

(…感覚が、俺に、戻ってる…?)

あの超人的な状態の自分から、いつのまにか、いつもの自分に戻っているのだ。
腹の痛みもなくなっており、何なら傷口さえない。
追体験は、どうやらここまでのようだ。
ならば、ここからは現実なのだろうか。
じゃあ、目の前にいるベンジャミンは?

「なんで、いる…?」
「暴走したお前を止めるためだ、アキ…!」
「!」

おかしい。
アキはその台詞を知っている、だが、それはこんな時に聞いたものではない。
それこそ、ベンジャミンに傷を負わせた時に聞いた台詞だ。
何が起きていると言うのだ。
アキが混乱していると、先にベンジャミンが苦悶の表情で口を開いた。

「アキ…頼む、俺にお前を殺させるな」
「!」
「俺は、お前の心のうちに棲む魔物のことも、十分承知している。だが、もう、これ以上暴走したら、上層部の連中を押さえられん」
「………」
「だから…頼む」

ベンジャミンは、アキに向けていた銃口を下ろし、旧友を引き留めようとする。
苦しいまでの懇願に、アキの鉛のように冷たい心が僅かに動いた。
これがあの時と同じだと言うのなら、このあと自分はベンジャミンを裏切る。
彼の言うところの“魔物”が押さえきれず、最悪の事態を引き起こし、今に至っている。
それが、悪いことだったとは、未だに思ってはいない。

(──もしも、)

でももしも、自分があの時、ベンジャミンを裏切らなかったなら、どうなっていたのだろう。
そんな疑問が、不意に鎌首をもたげた。
唯一ミュステリオン時代のアキを最後まで信じ、今なお信じているのは、ベンジャミンだけだ。
どれだけ狂っていても、居場所があったのは彼のおかげだと思っている。
そして、本来なら抹殺命令を出せる立場にあった、“局長”であるベンジャミンは、その責務を放棄した。
旧友であり、“副局長”であった裏切り者を、ベンジャミンは許したのだ。
そのことは、流石のアキも思うところがあった。

「……ベンジャミン」

もしも、もう一度選択ができたなら。
そんなチャンスがあるというのなら。

「──ごめん」

銃声が三発、空しく響き渡る。
そのうち一発は、ベンジャミンの太股を穿った。
ベンジャミンは、驚いたような顔をして、そして、悲しそうな色も浮かべて、さらさらと崩れて消えた。

(さよなら、ベンジャミン)

アキは、あの時と同じ選択をした。
同じように投降するよう促したベンジャミンを、同じように太股を撃ち抜いた。
“もしも”を思い描きはしたが、それを今違えても結果が変わることはない。
そもそもこれは、アキの“追憶”であり、自分は己の偽物を追って来たのだ。
更に元を糺せば、これは、何者かの術者がかけた幻覚なのだ。
だから、アキは、残りの二発を、消えたベンジャミンの後ろで立ち上がったアンリに、撃ち込んだ。

「貴様が、術者か」

ぼそりと、アキがオートマチックからアサルトライフルに持ち替えながら呟いた。
アンリは──普通なら、額のど真ん中を命中させられたら、二度と起き上がれないはずである。
だが、あり得ないことに、アンリは撃たれた衝撃でのけ反ったものの、地に堕ちることはなかった。
ゆらりと、震えながら起き上がり、あまつさえ、アキに笑ってみせた。
そして、口端から血を滴らせながら、言葉を発した。

「何故?」
「俺の妄想、だとしても、ベンジャミンを、殺させない」
「…嗚呼、そうでしたか。成る程、少々設定を間違えたようですねぇ」

声はアンリのままなのに、そこに慇懃さが加わるだけで、アンリではなくなる。
アキは、凶銃をアンリに向ける。

「名乗れ、でなければ、殺す」
「怖いじゃないですか、殺すだなんて。これでも可愛い“愛弟子”だったのでしょう?」
「……、」

アキは無言のうちに、引き金を弾いた。
弾丸は、アンリの胸──心臓を穿った。
短銃で放つよりも、衝撃はかなり大きいはずなのに、アンリはやはり死なない。

「……もしや、図星というやつですか」
「次は、黙らせる」
「何度やっても、同じこと…っ!?」

右胸を弾丸が貫いた刹那、アンリは先程とは全く違う感覚に陥った。
貫いた患部からじりじりと焦がすような感覚が、熱を帯びて急速に全身へと広がっていく。
思わず、傷口を押さえて片膝を着くと、更に弾丸が鎖骨辺りを抉った。
今度は貫通しなかったからか、残った弾丸自体が業火の如く彼の体を焼く。

「ぐぁあ…っ!?」
「貴様、悪魔か…しかも、」
「あああああ…!」
「…実体じゃ、ない」

アキの目の前で、アンリが全身をのけ反らせ、聞くに耐えない叫び声を上げる。
みるみるうちに、縦にアンリの体が裂けていく。
そして、そのまま破裂して霧散した──かのように、思われた。