五章§01

「許せなーい!!」

銀髪の魔術師の悲痛な叫びが、『儀式屋』中に響き渡った。
その叫びは窓硝子を戦慄かせ、棚に乗せられた花のない花瓶を揺らし、金髪の美女がいない鏡を震えさせた。

「……サン、此処で叫んだところで、埒が明くとは全く思えないのだがね?」

それにさして興味もない風な漆黒を纏う男は、優雅な手つきで紙に何事かを書き込んでいた。
紙面に次々と生まれる流麗な文字を最後まで綴り終え、そこで改めて不機嫌面のサンを見つめた。
その長い銀糸こそ逆立ちはしていないが、身体中から発されるオーラは、今にも爆発寸前の風船のように張り詰めている。

「これは埒が明くか明かないかの問題じゃないんだよ、儀式屋クン!あの女、僕が困るのを見て楽しむつもりなんだ……許せなーい!!」
「サン、彼女はそんなこと」
「するとも儀式屋クン!いーい?あの女は、キミの前ではさもしおらしく振る舞ってみせるけどね、僕の前じゃあそんな様子を見せたことなんか一度もないね!」

そう啖呵を切れば、机を挟んだ向こう側、相変わらずの薄ら笑いしか浮かべない男を睨む。
細い髪の隙間から覗く翡翠の瞳へ、儀式屋は静かな声で諭すように。

「まぁ彼女もそうしたところはあるが……だが私は今回、大いに楽しませてもらった」
「……そりゃキミは自分の計画通りに運んだから楽しかったに決まってるさ……僕だって、その点は別に気にしていないし」

やや不服そうにしながら、それでも先程よりかは落ち着いた雰囲気になる。
だがそれは、気紛れな猫が一瞬爪を引っ込めたようなもの。
直ぐさま爪を剥き出して、闇色の男に鋭利な爪痕をつける勢いでまくしたてる。

「けど、やり方が汚いんだよ!お陰で僕は、ユリアちゃんに近付けなくなったじゃないか!!」

艶やかな色の机を叩きつける銀の魔法使いにばれぬように、儀式屋は小さく口角を持ち上げた。

「……別に貴方は、彼女の匂いが駄目だという訳ではないだろう?」
「それが何だって言うの!?僕は、そういうこと言ってるんじゃないんだよ!」
「サン、」
「卑怯なんだよ、ルールだからってやっていいこと悪いことはあるはずだよ!」
「……ああ、そうか。貴方が何に不満なのか、やっと分かったよ」

わぁわぁと喚きたてるサンとは正反対に、落ち着き払った声音でそう述べた。
その儀式屋の言葉に、魔術師は口を閉じると腕を組んで不機嫌そうな視線を飛ばす。
そんな彼に、儀式屋は唇に乗せた笑みを深めた。

「ユリアがこれから、彼女の匂いを保つために定期的に行かなくてはならないのが、貴方は不満なんだ」

……Jとユリアの不自然だった距離が、リベラルと会った日を境にぐんと縮まった理由。
それは、Jがユリアと儀式屋の血の臭いを、しっかりと区別出来るようになったためだ。
区別出来るようになったのも、ユリアの中にあの彼女の匂いが染み付いたから。
そのお陰でJが誤ってユリアを食す危険も回避されたのだが、代わりに定期的に、リベラルの屋敷を訪ねなければならない。
女王の香りは長期間保てども、恒久的ではないのだ。
当然のような理由だが、それがサンは気に食わない。

「ああそうだよ、そうだよ!あの女、そのままユリアちゃんを手込めにしようって魂胆だよ!!あの臭いを嗅ぐだけで、あの女の顔を思い出してしまうと思うと……!」
「……サン、前々から思っていたことなのだけれどね」
「何っ!?」

心の底から沸き上がる怒りにわなわなと震え、その勢いのまま問い返したものだから、声に凄味が掛かっている。
らしくないよ、と言い置いてから儀式屋は死者のような顔にかかる黒髪を跳ね上げて。

「……リベラルの何がそんなに嫌なのかね」
「愚問も愚問だね儀式屋クン!そんなの、言うまでもない!」

これ以上ないほどに声を珍しく張り上げると、吸い込んだ息の全てを怒声に変換させて答えてみせた。

「あの女の全てが、この上なく愛しさと同じくらい憎いのさ!」

銀髪の魔術師は、旧友にリベラルへの歪んだ愛を吐き出した。

五章§02

びりり、と肌に細かな振動を感じて、『儀式屋』一背の高い男は顔を上げた。
一瞬、蛍光灯が虚しく光る天井を見つめてから、彼は腰掛けたカウンターの上にある鏡へ。

「すげぇっすね、姐さん」
「分からないこともないわ。まぁ、私としては、あの人が近付かないから嬉しいけども」
「あぁ……そういうメリットもあるんすねー」

小さな鏡から覗く金髪の美女の言葉に、ヤスは納得して数回頷いた。
だが、その声はどうにも納得しきれていない色が含まれている。
それを巧みに汲み取ったアリアは、艶やかな唇を笑みの形にする。

「なぁに、楽しくなさそうね」
「楽しいとか楽しくないとか、そういうんじゃないっす」
「あら、本当にそうかしら?」
「……姐さん、分かっててそんなこと聞いてるんじゃないっすか…?」
「さぁ、どうかしら?」

ふふっ、と柔らかな声で笑ってみせれば、ヤスはその眉を八の字に描いた。
なんと返すべきかと困惑した好青年に追い打ちをかけるように、何とも言えない会話がその耳に飛び込んできた。

「ユリアちゃん、お菓子何がいい?」
「え、えっと……そのー」
「あ、これ美味しいんだよねー、俺のオススメなんだけど。食べない?」
「けど今、お仕事中ですし……」
「大丈夫大丈夫、儀式屋はこのくらい何も言わないし。お客さん来たら、ちゃんとすりゃ文句ないし。はい、あーん」
「──J!!何してるっすか!」

いよいよ耐えきれなくなって、ヤスは背を向けていた二人に向き直った。
黒い瞳に映り込んだ風景──それは、彼にとっては直視に堪えないものだった。
背を見せていたその反対側、椅子に腰掛けたJ。
彼は堂々とカウンターに「J専用」と書かれた菓子箱の蓋を開け、絶えずその手には何かしら菓子が握られている。
そして今、膝の上に座らせた少女─ちなみに今日は、赤いチェック柄のワンピースだ─を、巻き添えにしようとしていたところである。
ヤスが声を掛けた途端に、ユリアはそのまま今の心情を表した顔を彼に向けた。
その表情にヤスの良心は思いっきり同情して、心の中で激しく頷いた。

「何ってヤス君……お菓子タイムに決まってるじゃん?もう今年で21年目突入なのに、今更何を……」

よしよしとユリアの頭を撫でてやりたい衝動を抑えながら、詫びれもせずにそんなことを言う男を、ヤスは凄まじい眼力で睨み付けた。

「そういうこと言ってるんじゃないっすよ!!」
「じゃあどういうこと?ヤス君はお菓子嫌いだから、いらないだろ?」
「だからそれも違うっす!」
「……じゃあ何?」

本当に分からない、というように片側の金瞳を不思議な色に染める。
その様子に、ヤスの両頬は思い切り引き吊った。
一瞬、胸の内にどす黒い何かが生まれたが、それを心の内へしまい込む。
そして思い切り息を吸い込み、

「こないだから、ユリアちゃんとくっつき過ぎっす!!」

靄のように渦巻いていたそれを、怒声と共に吐き出した。
びりびりと室内の空気が震える。
ついでに、カウンターに置かれている鏡も多少影響を受けたらしかった。

「ヤスくん……注意は構わないけれど、もっと静かに注意してくれないかしら?」
「あ、す、すんません、姐さん」
「そうだぞ、ヤス君。アリアを困らすなんて、サイッテーだ」
「はい……って、J!!」
「分かってるったら、俺のせいだって言いたいんだろ?」

此処ぞとばかりに便乗して言ってみたが、直ぐ様ヤスが反応してまた声を張り上げる。
更に噛み付いて来そうな彼を宥めながら、Jは腕の中の少女の頭の上に顎を乗せる。
茶髪の彼の眼光がまた鋭くなって、吸血鬼は面倒そうに溜息を吐いた。
だからといって、ユリアから離れるつもりはないが。

「……こないだ言ったじゃん、ユリアちゃんに対する罪滅ぼしってか、穴埋めなんだって」

むっと口を尖らせて彼は呟くと、殊更その膝に乗る少女を強く抱き締めた。


──ユリアとJの距離が再び元に戻ってからの数日。
Jはずっとこの調子で、朝から晩までユリアにべったりなのである。
あの事件の前からJはユリアに甘かったが、今やそれに拍車をかけて甘くとろとろになってしまった。
普段であれば即刻引き離しに掛かるところだが、それをしなかったのはJが言った通りのことがあるためだ。
本人なりに大変反省しているらしく、彼にしては見たことないほどの態度だとは長年見てきたアリアの言葉だ。

……ただし、その方法はいかにも彼らしいとしかいいようのないものではあるが。

五章§03

方法に問題はあれど、その考え方についてはヤスも否定するつもりはなかった。

「……その心意気は俺も賛成するところっすけどね」
「じゃあ文句ないじゃん」
「でも、やり方がおかしいっす」
「……純情ボーイ、精一杯の嫌味だね」

やれやれと、それこそ大袈裟なまでに呆れてみせれば、ひょろ長い彼は面白いくらいに憤慨してみせた。
純情ボーイじゃないだの、とにかくユリアから離れろだのと喚くが、それはJには何処吹く風状態だ。
ただただ、ツートーンカラーの男の興味は、困った顔をしながらも拒絶は示さない少女にだけ注がれている。
その暖かな色を宿した瞳と目が合うと、ユリアは寄せていた眉をほんの少し開いた。

ユリアとしても、少々強引であると言えるこのやり方には閉口したが、その思いの根底を知れば、嬉しくないはずがない。
そう思えば、こうして密着してくるのも、彼なりの表現の仕方だと納得出来る。
だから少女は、泣き顔のような笑みを浮かべるだけで、Jから無理に離れようとはしないのだ。

「あーもう…!サンさんがこっちに顔出さなくなったと思えば、今度はJがこんなだし……姐さんっ、何とか言ってやって下さいっすよ!」
「ヤスくん、諦めも時には大切なものよ?」
「あ……姐さんまでそんな…」

最後の頼みの綱だったアリアにまでそんな言い方をされて、ヤスは長い体を器用に二つ折りにした。
彼をそんな状態にさせた鏡の中の女神は、吸血鬼の膝に座る少女に一つウィンクを投げて寄越した。
どうやらアリアは、ユリアの心情を見抜いていたらしい。
ユリアはそれに微笑を返すと、いい加減ヤスが可哀想になってきたので、何と声を掛けて励まそうかと思案する。

──ちりん。

不意にその思考を遮ったのは、軽快な音を立てた扉に備え付けられた鈴だ。
一斉にしてそちらに顔を向けて、ユリアはそこに立つ人物を凝視した。
……ぼさぼさの、薔薇より淡い頭をこちらに向けて、半ば扉にもたれかかるようにして、室内へ一歩。
扉に付いた手も頭同様汚らしくて、どうやら何日も風呂に入っていないように見受けられる。
着ている服はあちこち破れていたり穴が開いていたりで、どうも危ない雰囲気がその人物を覆っていた。

さて、ユリアが思うにその危険人物は、店内の床へ足を一歩踏み出したきり、全く動かなかった。
微かに前後、または左右に揺れているようではあるものの、その場所からは移動しないのである。
その場にいた全員が固唾を飲み見守る中、とうとうJが行動を起こした。
膝に乗せていたユリアを下ろすと、カウンターを飛び越えて、危険人物に近付く。
派手な吸血鬼が目と鼻の先へ立つが、それでも不審人物は反応を示さなかった。
ただ俯き、棒立ちになっているだけである。
あまりに無反応な人物を、Jは下から覗き込むようにして顔を見つめた。

「………アキちゃん…?」
(……アキ、ちゃん?)

Jのその呼び掛けに、ユリアは首を傾げた。
知らない者を呼ぶ言葉でもなく、忠告の言葉でもない。
きちんとした名前を、彼は呼んだのだ。
ということは、この人物はJの知り合いということになる。
その憶測は当たっていたらしく、名を呼ばれると微かに頭が持ち上がった。
そして、虫の鳴くような声が、囁いた。

「……J……お腹、空いた…」

本当に小さな小さな音量で、それだけ告げるとアキと呼ばれたその人は、力尽きたようにJの前へ倒れこんだ。
反射的に、Jはアキが床へ激突する前に腕を伸ばして捕らえた。
それから大きな溜息を吐けば、事の成り行きをじっと見ていた同僚を呼ぶ。

「儀式屋呼んできて」
「あ、了解っす」

一つ頷くと、ヤスは長躯を反転させて儀式屋がいる部屋へと走っていった。
後にはユリアとアリア、Jに倒れて動かないアキだけだ。
妙に張り詰めた空気がじわじわと辺りを蝕んできて、ユリアは何だか体がむず痒くなった。

「やれやれ……相変わらず、無茶する子だわ」

ぽつりと、鏡からそんな言葉が聞こえた。
見れば、何処かその瞳は親が子を見守るような、優しいものを宿していた。

「アリアさん……あの人、は?」
「……ああ、ユリアちゃんは知らないわね。あの子はね、この『儀式屋』一忙しい男、アキ君よ」

尋ねれば、母親の眼差しのままアリアは少女の疑問にそう答えてみせた。

五章§04

──数十分後。

とっくに帰ってしまったサンを除く『儀式屋』の面々は、スタッフルームに集っていた。
いつものように、儀式屋は彼の所定位置におり、そのすぐ傍の鏡には絶世の美女。
儀式屋に背を向けるようにして、赤革のソファにはヤスとユリア。
その二人の対面になるようにしてJと、入って来て早々に倒れた問題の男──アキがいた。
しかし彼は、初めて見た時よりも随分容貌が変化していた。
ぼさぼさで薄汚かった髪は、艶やかな淡い桜貝の色を取り戻していたし、露出している部位は全て綺麗になっている。
服装もポロシャツにジーパンとラフな恰好ではあるが、先程よりも幾分もマシである。
それでも、危ない雰囲気が全て消えている訳ではなかった。
赤の太いフレームの奥にある猫科を思わせる紫の瞳は、どうも焦点があっていないように見える。
その下には、例え何でも消せる消しゴムがあったとしても消えないだろう濃い隈が、くっきりと描かれている。
無表情とは言えないが、何処か心此処にあらずといった表情。
そして何よりも彼を、危ない存在へと昇格させているのは──

「こいつは、アキ。ヤス君よりも前から居るんだけど、この店に居るよりか儀式屋の命令で色んなとこに行ってることが多いね」
「……………」
「ちょっと無口だけど、喋る時は喋るよ。人見知りだから、アキちゃんから喋ったりはなっかなかないんだけどね」
「……………」
「……あと、これは俺が記憶を失したのと同じようなもんだから、気にしないで?」
「………あ、はい」

同じようなもの、と言われて漸くユリアは返事をした。
“これ”とは、一心不乱にアキが繰り返している作業だ。
カラフルな縞模様の深皿に山のように盛られた、ラムネのように小さな食物。
それを一つずつ摘んでは口内へ放り込み、ばりばりと噛み砕いて嚥下。
その一連の動作に、ユリアは目を釘づけにされていた。
その物体が本当にラムネだったのならば、ユリアも深くは気にしなかっただろう。
アキが食べ続けているのはお菓子ではない、タブレットなのだ。

「アキはそれで栄養を摂っているようなものでね……見慣れれば、普通になるさ」

ぼりぼりという咀嚼音をバックミュージックに、儀式屋がそう付け足した。
遠くを見つめたまま、スナック菓子を食べる勢いで次々と口の中へしまうそれ。
この光景が見慣れるように果たしてなるのかなど、今のユリアには全く予想が付かなかった。
そんな少女を余所に、彼らは話を続ける。

「アキ、君の前にいるのが新入りのユリアだ。名前と姿を、きちんと覚えておくように」

タブレットを運び続けていた指が、儀式屋の言葉により深皿に突っ込まれた形で固まった。
そのまま焦点の合っていなかった瞳が、ゆっくりとユリアの姿を捉える。
暗い光を称えるアメジストが、長身の男の横で縮こまっている少女を、下から順に眺めていく。
顔の位置まで視線が上がった時、眼鏡の奥の目が見開かれた。

「…………覚えた」

小さく開かれた口から、擦れた声が一言紡いだ。
短い動詞の一つだが、やけに静かなこの部屋には響き渡った。

「ふむ、宜しい」

薄ら笑いを浮かべる唇がそう告げると、アキは何事もなかったように再び“食事”を始めた。
ユリアの顔を見ていた目も違う方へ注がれ、地道な作業を繰り返す。
そんな彼に、儀式屋は執務机から話し掛ける。

「さて、アキ。そのままでいいから、聞いていたまえ」
「……………」
「君の報告を聞きたいとこだが、その前にもう一つ仕事をしてもらいたい」
「………仕事?」
「そうだ。アンソニーを覚えているね、彼が君を指名している」
「……捜し物?」
「いや、違う。何者かが、彼の屋敷というか美術館近くを徘徊しているようでね……詳しくは彼から聞きたまえ」
「……………」

こくり、とアキは一つ頷いてみせた。
どうやら仕事内容に関して同意したらしい。
それに対して儀式屋も、常より口角を持ち上げた。
だが、その笑みは直ぐ様打ち消された。
地道な作業によりタブレットが半分程に減ったところで、アキは手を止めた。
そのままその手を人差し指だけ立て、彼の正面を指し示した。

「連れて、いく」

指差された相手──ユリアはおろか、他のメンバーさえもが、言葉を一瞬無くした。

五章§05

「……、アキちゃん、自分が言ったこと、分かってる?」

あの儀式屋さえもが絶句した中、隣に腰掛けていたJが、恐る恐るそう尋ねた。
それに対しての返事は、首を縦に振るだけ。
あまりに簡単な返事に、Jは頭を抱えて俯いてしまった。
その彼の対面に座すヤスが、実に同情的な表情で見ていた。

「君が時折面白いことをいうのは重々承知していたつもりだったが、」
「時折ではないと思うわ」
「……、今回はどういった了見があるのか、是非聞きたいね」

鏡に住まう美女すら投げ遣りな声を掛ける中、思考が戻った闇色の彼が真意を問う。
ベビーピンクの頭をやや傾け、少しの間をおいて彼は答えた。

「あいつ、煩い……」
「……ああ、成程な…」
「どういうことかしら?」

納得したらしい儀式屋に、アリアが説明を求む。
そうだね、と一言置いてから、アキの抜け落ちた説明を補いつつ口を開く。
他の三人も、儀式屋の方に顔を向けて、一言足りとも聞き漏らさないよう集中する。

「彼の美術品に対する入れ込みはさることながら、その知識は私すらも凌駕するほどで、聞けば成程と感心するのだが……ただ一つだけ、他者へもそれを強要するという難点があってね…」

切れ長の眼にはめ込まれたルビーが、呆れたように細くなる。
それは、体験した本人にだけが成し得る表情だ。

「この通り、アキは基本的に無口な上口下手だ。それがアンソニーには大変都合が良くてね。何せ自分が話したいだけ話せる相手……アンソニーがアキを毎回指名する理由はそこにある。だが、自分の美術品に対する話が長すぎるせいで、なかなか仕事の話に入ろうとしない。それがアキには苦痛で仕方がない──顔には出ないがね」
「あー……それで、今回はユリアちゃんを連れていくってわけか…って、それなら今までだって俺たちでも良かったんじゃないの?」
「……珍しいの、好き」
「…………見慣れてる俺たちはいらないってか。あーつまんない!」

ふんだ!と不貞腐れた吸血鬼には何も興味を示さず、真っ直ぐに少女へ視線は向けられている。
初め、ユリアはそれを何とも気にしていなかったが、あまりにもアキが見つめてくるものだから、何か意味があるのかと思考を巡らせた。
暫く黙考して、もしや彼はユリアからの返事を待っているのでは、ということに思い至った。
彼はユリアを連れていくとは言ったものの、誰もそれについての許可を出していない。
寧ろそれは、ユリアが肯定しなければならない事項なのである。

(どうしよう……)

何となく、雰囲気的には断りがたい。
だが此処で頷くのも、躊躇われた。
何せユリアは、話の半分も理解しきれていないのだ。
アンソニーが美術品を愛でていて、最近その彼の周囲に怪しい人物がうろついているというのは分かる。
だが、そんな人物に会ったこともなければ、名前すら聞いたこともない。
見ず知らずの人物に会うのは、どうにもユリアは苦手である。
では前回のリベラルの件はどうなのかと言えば、あれは儀式屋に行けと命令を受けたから行ったまでのことだ。
それにアキと二人だけで行くのも、不安といえば不安だった。

「あの、旦那ー」

ユリアが悩むその横で、長い腕がひらりと上に伸びた。

「何かね、ヤス」
「俺もユリアちゃんと同伴しても、いいっすか?」

え、と驚いて少女がそちらへ意識を向けると、雇い主の方を向く彼の顔は、何故か笑っていた。

「理由は?」
「アキさんが仕事に突っ走ってった場合、誰がユリアちゃんを守るんすか?」
「……ふむ」

ヤスの弁に、儀式屋はその病的に白い手を顎へあてがった。
儀式屋が沈黙している間に、ちらりとヤスの黒い瞳がユリアを盗み見た。
視線が絡み合った刹那、青年はその目を柔らかくする。

「好きにしたまえ、アキもいいね?」
「………ん」
「有難うございます、旦那、アキさん!」
「えー!それなら俺も……」
「おや、先刻詰まらないと言ったのは誰かね?」

儀式屋の冷たい一言に、Jはうっと詰まってしまう。
それから席を立ち儀式屋のデスクに寄れば、しつこく粘って言い募りだした。
その様をユリアが見ていると、ヤスの顔が少女の耳元へ近付いて、

「俺も一緒っすから、大丈夫っすよ」

優しいその声に、黒髪の少女は大きく頷いた。
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