六章§17

「……16区の反乱が起こる少し前、儀式屋は一人の少年を捕まえた……何、それはあの男の、いつもの悪趣味な“お遊び”のつもりだったわけだ。心が死にそうな人間をこちらへ堕ちるよう仕向け、いたぶり、己の暗い欲求を満たすためだけのな」

やや儀式屋のことを馬鹿にしたような口調に、ヤスは両眉を中央へ寄せた。
だが、儀式屋のそうした所業は、確かに知っているため、何も言い返せなかった。
ふんっと、アンソニーは鼻を鳴らして先を語る。

「だが、何が起こったのか、お遊びには使わず、自分が今まで集めた花の管理者として側に置いた。花は、その頃は魔術師ではなく、あの男を呼び出すためのものだったからな」
「…………」
「人の強力な願いが込められた花は、恐ろしい程の魔力を持った。儀式屋は、それらが悪用されぬように、何処かへ隠すことにした……そこで彼は、拾ってきた少年の中へその花を隠したのだ」
「?どうやって隠したんですか?」
「簡単なことだ。少年に食べさせたのだよ」

にやりとして答えたアンソニーに、ユリアは口をぽかんと開けた。
本当に文字通り食べさせたのだ、と彼は繰り返した。

「願いが込められた花を、少年は食べさせられ続けた。そうして、いつの間にか魔力が少年の体を蝕みだし、少年は生ける魔法の源となった。その力は、儀式屋と互角なほどだったと言われていたな」
「そんなに……」
「恐ろしいことだ。あんな男、二人もいては困るというものだからな」

そういう意味で言ったつもりではなかったのだが、とユリアは思ったが反論するのは控えた。
珈琲を一口啜り、乾いた口内を潤してからアンソニーは続けた。

「やがて、何処から漏れたのか、その力を嗅ぎ付けた者たちが、忍び寄ってきた。ミュステリオン、悪魔、精神世界に潜む人間……だが、決して少年は力を貸そうとしなかった。また、その力を自分のためにも扱おうとはしなかった」
「…………」
「少年は確かに魔力に体は蝕まれた。だが精神まではいつまでも少年自身だった。だから少年は、『儀式屋』で生きることに満足していたし、それ以上を望まなかった。ただ、『儀式屋』で平穏に過ごすことが出来れば良かったらしいな」
「……でも、その少年は今、うちにはいないっす」
「そうだ」

ヤスの言葉に頷き、そして少しの間を置いた後、アンソニーはユリアに向けて呟いた。

「ある日突然、その少年はいなくなってしまった。16区の反乱が起きている最中にな」
「え、何でですか?」
「さて、そこまでは分からん。ただ分かっているのは、少年がこの時に初めて魔法を使い、儀式屋がいかなる方法を用いても、見つけられなくなるという魔法をかけた、ということくらいだ」
「……………」
「それ以来、あの男の目的はただ一つ。その少年を再び探し出すこと……理由は知らんがね。だが今、ことが荒れれば、それどころじゃなくなる。だからミュステリオンに出向いたのだろう、というわけだ」

長々と話し終え、アンソニーは再度珈琲に口付けた。
たった今語り聞かせた話は、自分があの男自身から探り出せる限り探り出した答えだ。
アンソニーの瞳を用いれば、もっとその真実を探り出せたはずだったが、彼はそれ以上の探索を途中で止めた。
真実が求める以上に次々と溢れ出し、とてもではないが受け止めきれないと感じたのだ。
あの男の中は、いわば底なし沼だ。
探れば探るほど、どんどん深みにはまり抜け出せなくなってしまう。
そうして永遠に堕ちるとこまで堕ち、そして気まぐれに自分を蝕まれて、気付かぬ間に終わるのだ。
薄ら笑いを浮かべたあの顔の裏には、そんな狂気が潜んでいる。
この執着心の塊ともいえる自分を、いとも簡単に黙らせた男──儀式屋。
深淵を覗き込めばたちまち突き落とされ、二度とは日の目が見られぬ、そんな要素を持った男が、一癖も二癖もある奴らすらも巧みに操ってみせる男が、ただ静かに世界に潜んでいる。
だからこそ──

(あの男は、恐ろしい)

ぞわり。

滅多に感じない怖気が、背筋を這い上がった。

六章§18

「儀式屋さんは、どうやって探すつもりなんでしょうか」

暫くしてからユリアが口を開いた。
ふっと下方に流していた視線を上げて、少女をアンソニーは見やった。
やや真剣な面持ちで問うそれは、価値を問う己の姿と重なった。
些か口角を持ち上げ笑う。

「どうやって、とは?」
「だって儀式屋さんの力じゃ見つけられないんですよね?だったらいくら探しても意味ないんじゃないかなって」
「あの男は自分に利がないことはしない奴だ。自分が探さなくても、他人に探させればいい。アキはその役を担っているのだ」

それにだな、と彼は付け足す。
ぐいっと体を前のめりにさせ、意地悪な笑みをこちらに向ける。

「とっておきの秘策があるのだ、しかもこの館の中にな。見せてやろう。ダイナ、例の部屋の解除を」
「はい」

そう告げて立ち上がると、彼はとっとと歩いて行ってしまう。
ダイナはダイナで指示された内容を遂行するため、アンソニーとは別方向へ向かった。
取り残された二人は数秒間顔を見合わせ──

「ま、待って下さいっすよー!!」

そう叫ぶと、ヤスはユリアの手を掴んで、とっくに扉の向こうへ行ってしまったせっかちな主を追い掛けた。





ミュステリオンの中には、ミュステリオンの地獄と呼ばれる場所であり、拷問部屋のようなところである。
普段そこは、悪魔街でも貴族であったり指導者であったりする悪魔を捕らえ、拷問にかける部屋なのであるが、その昔は、ミュステリオンを裏切った者たちが拷問にかけられ、最後には死刑に処されていたという。
そして今、まさにその通りの役割をこの部屋は果たしていた。

(くそっ!こんなとこで俺は終わりだってのかよ!?)

冷気が独房を徘徊し、エドの体から体温を奪っていく。
四方を石造りの頑丈な塀に囲われ、扉も冷たい色を呈し、沈黙を守り続けている。
低い天井と人一人がやっと入れる程度の狭い空間には、かなりの圧迫感がある。
その中で、エドは恐怖と怒りに心を支配されていた。
こんなところで、こんな終わり方をするなど、誰が予想出来たろう?
自分にはこんな痛ましい終わりなどではなく、もっと相応しい終わりが与えられたはずだった。
だのに今、こんなところで全てが終わろうとしている。

(嫌だ……俺はあんな下衆野郎どもと同じになりたくない!)

嫌だ嫌だという思いが頭の中を満たし、ちらちらと何度も扉へ目が向う。
今頃、悪魔たちが拷問を受けており、自分の番が来るまではこの独房の中だ。
あの扉が開き外に連れ出されたら、酷たらしい懲罰がこの身を痛めつける。
想像するだけでも嫌で、逃げ出したくてたまらなかった。
一生この扉など開かなければいいのに、とエドが心底思った、その時だった。

ぎぃ……

とうとう、来た。
開いた隙間から微かな光源とその中に揺れる人影が漏れ出し、ぞわりと鳥肌が立った。
いよいよ以て、エドは焦燥に駆られる。
脈も呼吸も狂ってしまったのではないかと疑うほど速く浅く、今にもわっと叫びたかった。
だが、叫ぼうにも喉の粘膜がぴたりとくっ付き、最早声なき叫びしか出せなかった。
エドは覚束ない手足で奥へ逃げようとする。

「いやだ、いやだ……いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ……!」

掠れた声でそれだけをただ繰り返す、脳裏に浮かぶのはアンソニーの館で目にした恐ろしい拷問器具。
あんな目に、遭いたくない!
逃げられるわけもないのに、必死になってエドは地獄の入口から少しでも遠ざかろうとしていた。

「──やぁ、エド。随分狭苦しい場所にいるな」

その声が聞こえた時、エドは驚いて全ての動きを止めた。
そして、入口に立つ人物を見上げた。
目の前に現れた人物は、自らを悲惨な目に遭わせに来た者ではない、むしろその逆だ。
一瞬にして、エドは体中が歓喜に満たされるのを感じた。
四つん這いでその者の足元に近寄り、口早に言葉を発した。

「やばいことになった、アンソニーの手記を奪えなかったどころか、俺、このまま行くと明日明後日にも処刑されちまうんだ!」
「エド、それはそれは残念な報告だな」
「あ、や……でも、此処さえ出られれば、何とでも出来るんだよ!あ、あんた、そのために俺を助けに来てくれたんだろ!?」

必死の形相でそう訴えてくる囚われの神父に、そっと首を横に振った。

六章§19

それが死刑宣告か何かのように、エドは呆けた表情を浮かべた。
そして、ははっ、と笑い出すと嫌々をする子供のように頭を振ると、震える声で呟いた。

「な、なんでだよ……嘘だ……俺、今まであんたのために、こうなるまで働いてきたじゃねぇかっ!」

叫び、エドは足へと絡み付いた。
己の足に絡み付くエドの手を解き、微笑を浮かべ両手で握り込んだ。
そして、優しくこう告げたのだ。

「分かっているよ、エド。だがその前にもう一つだけ、仕事をしてもらいたい。それが成功したなら、お前はここから出られる」
「本当か!?」
「ああ、してくれるか?」
「もちろんだ!」

先程とは打って変わって、満面の笑みでエドは頷いた。
そういうことならば、最初から言ってくれたら良かったのだ。
この地獄から出られるならば、どんなことも厭わなかった。
最早自分は裏切り者、恐れることなど何もないのだ。
そうかと頷くと、指示を今か今かと待ち受けるエドを見ながら、冷たい鉄製のそれをそっと取り出した。





(くそっ、何と腹立たしい男なのっ)

ボニーは苛立たしげに廊下を歩いていた。
会議中の出来事が、あまりにも頭に来ているのだ。
アンソニーにあの手記を渡したことを、ボニーはきちんと覚えていた。
今は亡き局員クレアが解析した結果、それが恐ろしい真実を語っていることについて分かった上で、アンソニーに手渡したのである。
では何故、先刻前に嘘を吐いたのかといえば、内部の人間に知られてはならないことがあったからだ。
一つは、手記の内容が今ここで公になってしまうこと。
もう一つは、アンソニーと調査局との関係だった。
彼は部外者のくせに、あまりにもミュステリオンを深く知り、その上でこちらに揺さぶりをかけてくるため、はっきり言って嫌われている。
ボニーも例に違わず彼を嫌っていたが、その異常なまでの専門性だけは買っていたし、隠し場所ならばこのミュステリオン内以上に最適だとも思っていた。
だから時々、ボニーは真に重要なものはアンソニーに送っており、アンソニー自身も密かにそれを知った上で保管している。
このことを隠し通せるのであれば、ボニーはどれほど罵倒されようが構わなかった。
だが、ルイの言葉を聞いた時、ボニーは誤魔化す言葉が出なかった。
ボニー自身がその内容を知っているということに関しては気付かれなかったが、自分たちの行動を彼らが把握しているのは明らかだった。
だから腹立たしいのだ、と彼女は心の中で憤慨する。
情報の詳細を記した書類は結局見つからず仕舞で、さぞ愚かな局だと思われたに違いない。
それが堪らなくボニーを苛立たせ、そして今、あのミュステリオンの地獄へと続く道を足早に歩いている。
早急にエドに会わねばならないと、ボニーは思っていた。
彼から洗いざらい全て聞き出し、その背後にいるだろう人物を突き止めたいのだ。
ボニーの勘では、エド一人がこんなことを思い付くはずがないと確信していた。
諜報活動中に、何かしら彼を変えてしまうことがあったはずだ。
それこそが、一番に危険なことだとボニーは思っていた。
そんなことは尋問官に任せれば良かったのだが、こうなったのは自分がアンソニーの元へ送ると決めたせいでもある。
その責任をボニーは僅かに感じており、故にそこへ向かっているのである。

「おやおや、ボニー局長、お急ぎですかな」
「……、ガジェット局長」

角を曲がろうとしたところで、前方からガジェットが現れ、足を止めた。
正直こんなところを人に見られたくなかったボニーは、狐のような目を鋭利な角度に吊り上げた。
が、ふと頬にある真新しい傷に目がいき、憤りから疑問へ、その眼差しは変わった。

「怪我人は、さっさとかの有名なドクターのところに行くのを勧めますわ」
「ひでぇな、あんたも。残念だが、俺の行き先はあんたと同じさ」
「……貴方はあの裏切り者と関係ないのでは?」
「それがよ、行かなきゃならねぇ理由が出来たもんでな」

やれやれと肩を竦め、男は理由を述べることなくボニーが行こうとしていた方向へ歩き出した。
ガジェットを追い掛け、横に並び、追い抜かすと、ボニーは前に回り込み告げた。

「私が先ですからね」
「……ははっ、ああどうぞお姫様?」

にやにやと粘着質そうな笑顔を向ける男に一瞥をくれてやり、ボニーは大股で歩いていった。
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