──ルールに、なった。
その言葉の意味するところが、ユリアには測りかねた。
暫く考えてみたが、やはり理解出来なかった。
「要するに、わたくしの想い一つで、この世界は左右される、ということですわ……酷い、エゴイズムでしょう?だけれど、それしか世界を救える道はなかったの…」
小箱から絶えず流れるメロディは、いつしか静かなピアノ伴奏に変わっていた。
ゆったりとした切ない音色が、庭園の雰囲気を変えていく。
「わたくしがルールになった時、もう、この場所しか残っていなかった…だからわたくしは、とにかく何が何でもこの場所だけは、護り抜くことにしましたわ…かわりに、永遠にわたくしは自らの名を無くしましたが」
「……え…ど、どうして…?」
「…わたくしは、何か一つルールを決める度に、自由が失われていく運命なのですわ」
不安げに揺らぐユリアの目に、リベラルは静かな笑みを向けた。
その笑みは、あまり明るいものではなかった。
「…この場を護り抜くと決めたとき、わたくしの呼ばれるべき名前は無くなった…ミュステリオンの権力を抑圧したとき、この屋敷内でしか動けなくなった。他にも色々ありますけど…その度にわたくしは、自由がなくなっていった」
「そんな……何でそんなの、受け入れたんですか!?」
淡々として語る麗人に、ユリアは声を荒げた。
ルールとなる代わりに、失われゆく自由。
ユリアでさえ、儀式屋の所有物とはいえ、自由が許されている。
リベラルには、それすらないのだ。
何故そこまでして、ルールになろうとしたのか。
「……いつかわたくし、全ての自由がなくなって、本当の意味でルールとなってしまうかもしれないわ」
「っ、それが分かっててどうして…!」
「この世界を、愛しているから」
きんっ、と音が途切れて、リベラルの声が庭園にこだました。
同時に、辺りを包んでいた香りが薄れていき、まるで慣れない空間に放り出された気持ちになる。
「わたくしはこの世界のためなら、わたくし自身を捧げることを厭わない。だってわたくしが愛した世界だもの…本当に大切なものならば、護り抜くために何だって出来るのですわ」
ただ静かに、密やかに女王はその心境を語った。
愛しているから──たったそれだけの感情で、彼女は自らを殺すことも厭わないというのか。
そしてそれを支える、凄まじいまでの庇護欲。
(この人は…本当に世界を誰よりも大切にしてるんだ…)
赤を身に纏う麗人、その存在感は測り知れぬ程に大きなものがある。
けれどその下には、目には見えない辛さや苦しみが、此処へ辿り着くまでにあったはずだ。
それを微塵も感じさせず、リベラルはただ微笑を浮かべている。
そんな女王を直接見ることが出来なくて、ユリアの視界は膜を張った。
「……あら、泣いているの?」
「え……?あ、あれ…なんでっ?」
女王に指摘され、ユリアは瞬きをして膜を割った。
途端に視界は晴れ、代わりに頬を水滴が転がり落ちていった。
どうして涙が出たのだろうか、何も悲しいわけでもないのに。
理由が全く分からず、必死に雫を手の甲で拭おうとするが、止まらずに溢れてくる。
そんな少女を、リベラルはまるで愛しいものでも見るような眼差しを向けた。
「貴女、きっと感じやすいのね」
「感じ、やすい…?」
「そう…ねぇ、今どんな気持ち?悲しいのかしら?」
(私は、悲しい?)
問われ、自分は悲しいのだろうかと熟考する。
(ううん…悲しく、ない)
閉じた目から手の甲へ落ちた雫は、悲哀を含んだものなどではなかった。
胸の奥深く広がる、呼ぶべき名称が見当たらないそれ。
冷たい茨にがんじがらめにされ血の滲むような痛みではなく、柔らかな泡に包み込まれて守られている感覚、これは──
「……変かもしれない、ですけど…私…すごく、心が今、あったかいです」
ユリアは温かなそこに手を当てると、静かに泣きながら笑ってみせた。