かつての仲間の姿がなくなったかと思えば、アキはやや不可解そうに、その首を傾げた。
そこには、黄色い瞳を驚愕に見開く悪魔が座していた。
どうやら、己の真の姿が晒されたことに、動揺しているようだ。
アキはその姿を認識すると、銃口を額にロックオンする。

「貴様は、誰だ」
「……名乗るほどの、悪魔ではありませんよ?」

状況を素早く理解した悪魔は、そんな調子でアキに答えた。
その返答に、彼は容赦なく引き金を弾いた。
だが、悪魔は寸前でそれを避けた。

「流石は、元全異端管理局副局長…容赦ありませんね」
「名乗れ」
「我が名乗ったところで、何、がっ!」
「次は、消す」

口上を述べかけたところで、アキが無視して発砲した。
アサルトライフルから吐き出された弾丸は、悪魔の下腹部を穿った。
みるみるうちに、傷口から血が滴り落ちる。
だが、聖水の弾丸ではなかったため、先刻ほどの衝撃はない。
どうやら、ランダムに弾が込められているようだが、アキにはその順番がわかっているらしい。
流石の悪魔も此処で消されるのは不味いと判断したのか、両手を上げ降参の意思を示した。
アキは、銃口を退けないまま、悪魔の答えを促した。

「我が名は、フェイ」
「…知らない、名だ」
「そうでしょうね。貴殿が神父だった頃には、まだ我は人間だったでしょう」
「……俺を、何故、知っている?」

ふと、アキは、先程から気になっていたことを問うた。
このフェイという悪魔は、どうも自分の過去の一部を把握しているらしい。
それに関しては、古巣が徹底的に“何もかも”抹消した筈だし、脱退してから百年程は表舞台から姿を消してきた。
そう考えると、実に可笑しいのだ。
自分が立ち去ったあとに来たのなら、自分を知るはずがない。
ならば何故、この悪魔は知っているのか?
アメジストの瞳を珍しく焦点を合わせ、黄色の瞳を睨み付ける。
フェイは、口元だけで笑った。

「貴殿の痕跡は、確かに抹消されていますよ?ただ、そう…我が、そうした情報を得るのが、人より少し優れているというだけでね」
「貴様は……何者だ」
「さて、それを答えるのは構いませんが、それより、此処から戻りたくはありませんか?」

下腹部からは血が流れ出て、追い詰められているはずなのに、未だに余裕そうにフェイはアキに交渉を持ち掛けた。
焦点の合っていたアキの目は、その一言で再び散った。

「……誘惑には、乗らない」
「ははっ、誘惑じゃありません。元副局長殿相手に通用するなど、我も思っておりませんよ?ただ、事実を申し上げたまでです」
「貴様を消せば、片付く」

言い終わる前に、アキは凶弾を放っている。
今放った弾は、聖水入りの弾丸で、当たれば今度こそフェイの体は木っ端微塵である。
だが彼は、その重症の体からは想像できない速さで弾丸を避けた。
刹那、アキは己の見誤りを悔いた。
神経を研ぎ澄ませて、敵対生命の行方を探る。
くるりと振り返り、アサルトライフルを撃ちかける。
が、視線の先にも、敵はいない。

(……何処に)
「ひとつ、教えて差し上げます」
「!」

すぐ耳元で囁いた声に、アキは瞬時に反応して、銃身で殴りかかる。
当たった、だがアキは無表情のまま、一瞬だけ思考を停止した。
銃身で確かに捉えたそれは、いつのまにか人形の紙切れとなっている。

「……!」
「貴殿は、この世界に踏み込んだ時から、我の世界に“閉じ込められて”いるのですよ。確かに、我を消せば脱出出来ます…でもそれは、此処に本物の“我”がいれば、ですよ」
「貴様は……!」

後ろからアキを覗き込むようにして現れたフェイに、今度は発砲する。
だがそれも、見る間に紙切れに変化する。
思考回路がすっきりしないまでも分かる──このままでは、埒が明かない。

「さぁ、今度は我の番です」

どんっ、と背中に衝撃を受けたと思えば、なんとフェイの手が心臓の辺りから生えている。
あ、とアキが思う間もなく、腕はずるりと抜かれる。
抜かれた時、アキは自分の半身が引きちぎられるような感覚に陥った。
べりべりと、内側から何かを剥がされるこの感覚は、何なのだろう。
目の裏がちかちかして、思考はショートする。
脳が許容できないほどの痛みが、全身を貫いていく。
このままでは、本当に内側から何かを奪われてしまう。
抵抗しようと腕を振るが、その感覚は全くない。
そうこうしているうちに、突如、ぶつりと体の奥から音がして、アキは自分が真っ二つにされたのでは、と思った。

「……!?」

意識がフェードアウトしたが、それも一瞬で、すぐに視界は戻った。
周囲にさっと目を配るが、周りに変化はない。
だが、アキは自分の異変に気付いた。
思考がクリアになっていて、体の動きも軽いのだ。
これは、強制的に自分を解放した時の形態だ。
だが、その場合、自分は“アキ”ではなく、“アキ”でなくてはならない。
なのに──

「おいおい…マジか」
「……?」

目の前には、見慣れた桜貝の頭に、何処か焦点の合わない目をした、自分のそっくりさんがいる。
ゆっくりと、状況把握したあと、彼はアキに尋ねる。

「……なんで、」
「……自問自答はよせよ」

そっくりさん、ではない。
紛れもない、己自身だ。
自分は──どういうわけか、分裂してしまったらしい。
しかも、どちらも本物の状態で。
お互いの姿に戸惑っていると、この状況を引き起こした張本人が声をかけてきた。

「我はね、興味があったのですよ、貴殿の精神構造がどうなっているのか」
「てめっ…どういうつもりだっ」

二人から離れたところにいたフェイに、アキは食って掛かる。
フェイはただ、薄気味悪い笑みを深めるだけだ。

「同じなのに、魂を二分した貴殿は、いったい何なのです?」
「はぁ?」
「多重人格者なのか?いや、そうではない……貴殿は、どちらであっても、確かに貴殿に変わりがない。貴殿は、まさしくどちらも本物だ」
「……俺様の“罪の証”に難癖つけるのは結構だが、気色悪ぃから戻せ」

イライラした口調で要求するが、フェイは首を横に振った。
その応対に、二人のアキはそれぞれの銃器を悪魔に向けた。
おや、と悪魔は黄色の瞳を瞬かせた。

「それは、我には効きませんよ?」
「だろうな、でも」
「だから──どうした?」

同一人物であるがゆえに、同時に行動を起こすことが出来る。
双子以上のシンクロ率で、躊躇うことも戸惑いもない。
アサルトライフルとオートマチックから掃き出される弾丸の雨に、フェイはなす術もない。
だが、それでも悪魔は、せせら笑うように、またしても紙切れに戻ってしまう。

「──無駄か」
「無駄だな」

二人同時に撃つのを止めて、フェイの行方を探す。
首を巡らせた後、見付けた相手にアキは不機嫌そうに顔を歪めた。
いつのまにか静まり返った悪魔街で、悪魔は厚かましくも塔の上から二人を見下ろしていた。

「仕方ない御仁ですねぇ。無駄撃ちでは申し訳ないので、もう少し、申し上げておきましょうか。貴殿は、少し此処で待っていてくださればよいのです」
「無理だな、此処に居座る意味がない」
「貴殿にはなくとも、我には…いえ、我の主にはあるのですよ」
「!」

初めて出た単語に、アメジストの瞳は驚嘆の色を見せた。
だが、すぐにその色も消え去り、一人は不愉快そうに、もう片方は楽しそうに瞬かせた。