四章§46

黒衣の男の登場に、あれ程酷く耳を刺激していた喧騒が、一瞬にして沈黙させられる。
屋内に差し込む光の量は少ないが、それでもぼんやりと物の輪郭を捉えることは出来る。
だが、今エリシアのメイスを受け止めたのが人だとは、誰も気付けなかった。
あたかもそこには、ただの闇しか存在していないかのように見えたのだから。
そう、この場所はまさに──闇を具現化したような、儀式屋の独壇場だ。

「J、聞いているかね?」

その彼が、片手に持った短剣でエリシアを止めたまま、Jに問い掛けた。
未だにぎちぎちと嫌な音が耳をつんざくが、儀式屋の声から察するに、彼はさほど力は入れていないらしい。
代わりに、シスターの額からはじわりと汗が滲みだしている。

「……悪かったね。だけど、こうしたら来るだろ、儀式屋は?」

その様を見ながら、Jは己の主に答えた。
口では自分の非を認めているが、どうにも反省しているような様子は窺えない。
やれやれ、といったように儀式屋は首を左右に振ると、そこで初めてエリシアの方に目を向けた。
真紅の瞳が、シスターの姿を頭の上から下まで映すと、不意に嗤った。

「……これはこれは、ミュステリオン全異端管理局のシスター・エリシア…そちらに居るのは、神父サキヤマだね」

すっと目だけが動いて、サキヤマを確認するように見つめた。
正視された神父は、言葉を発する代わりに首を縦に振った。
宜しいと小さく呟くと、依然短剣で受け止めたままだったメイスを、大きく腕で円を描くようにして下へ向けさせた。

「すまないが、これを退けてもらえるかな?……ああ、有難う」

無言でエリシアが身を引くと、儀式屋も同じく手に持つ短剣を下ろした。
それからぐるりと周囲を見渡して、じっとこちらを見ているユリアの上で視線が止まる。
一瞬、彼はその目の力を弱めてみせた。
その些細な変化に、ユリアは数度瞬きを繰り返した。

「推測だが、これはJが君たちに無礼を働いたか、それとも……」

ユリアから視線を目の前の尼僧に戻すと、この状況を推理してみせる。
空いた片手を顎に添え、もう一つの可能性を口にする。

「ユリアが…ああ、あそこにいる子なのだがね、何かしたかな?まぁ何せユリアはうちに来たばかりで、今日初めて店から出したもの──」
「うちに来たばかりだと!?」

滑らかに舌を動かしていた彼の弁を、エリシアが驚愕の声で遮った。
微かに儀式屋の眉が中央に寄るが、それでも彼は丁寧に答えてみせた。

「そうだが?」
「しかし、我々はそのような娘を貴方が所有しているなどという話、一言も──」
「当然だ、私はユリアの所有許可を、人間の少女として申請していない」
「……は…?」
「おやおや、神父サキヤマともあろう者も、そんな声を出すのだね」

くくっと喉を震わせると、儀式屋は一際はっきりとした声で告げた。

「ユリアは精神体なのだよ、分かったかね?」
「精神、体……!?」
「そうとも。どうやら私がややこしく申請したものだから、少してこずったらしくてね……先程、漸く許可が下りたところだ」

これがそうだ、とスーツの内ポケットから儀式屋は一通の封筒を取り出した。
その封蝋は、エリシアたちが一番よく知るシンボル。
遠くにいるサキヤマは見えなかったが、相棒が微動だにしない様子を見て納得する。

「……、やれやれ…これでは手が出せないではないか」

長く沈黙していたシスターは、そう言葉を吐き出した。
それからメイスを肩に担ぐと、踵を返した。
おや、と儀式屋は目を見開いた。

「もう帰るのかね?」
「……余らは聖裁の途中だ、このような場で遊んではおられぬのだ」

ふんっと鼻を鳴らすと、くいっと手で相方を呼ぶ。
それに彼は一つ頷くと、赤髪の男を一瞥してからシスターの背に付き従った。
そのまま出ていきかけて、ぴたりとエリシアの足が止まる。
振り向きはしないで、背筋をぴんと張る。

「余らはその小娘を悪魔から救ってやったのだ……覚えておくがよい!」

それだけ言い放つと、颯爽とサキヤマを引きつれて廃屋から出ていった。

四章§47

ミュステリオンの二人組の気配が完全に消えたところで、儀式屋はふっといつもの薄ら笑いを浮かべた。

「どうやら君は……彼らの追及を退けるために、私をこの場へ連れ出したようだね?」
「それ以外に、俺がわざわざあの神父を挑発し、あんたのコレクションを使って、呼び出そうなんてするわけないだろ」
「ふむ……まぁ今回は、ユリアを助けようとしてとの理由で、忘れておくとしようか」
「そりゃどうも」

切れ長の赤い瞳はやや非難するようにJを見るが、それもユリアの名を呼んだ頃には色を消していた。

「こちらへ来たまえ……それからミシェルもだよ」
「あ、はい!」
「えー……俺もー?」

威勢よく返事したユリアとは対照的に、ミシェルは少し面倒臭そうな声を出した。
しかし逆らうことはせずに、だらだらと儀式屋たちの方へと歩き出す。
二人が辿り着いたところで、再度Jへ向き直る。

「とりあえず、幾つか確認しておきたいのだがね……どうして君は此処にいるのかね?私は今回、ユリアに付いていくのを禁じたはずだが?」

その問い掛けに、ユリアははっとした。
そうだ、今朝Jは儀式屋からユリアに付いていってはならないと言われたのだ。
それはユリアも気になっていたことで、一体どうした理由がJの口から飛び出すのか、内心どきどきしながら待つ。
問われた本人は口角を不機嫌な形にしたが、ユリアと目が合うと僅かばかり軽減する。

「勿論、分かってるさ。俺はただ、ユリアちゃんを迎えに来たんだから」
「……では、アリアたちから聞いたが、ユリアが彼女の所へ出掛けた後、すぐに君も出て行ったそうだね……これはどういうことかな?」
「儀式屋はこうも言ったよ、今更何を俺がしようと勝手だって」
「そう言ったとも」

同意の意味で頷くと、Jは金瞳を楽しげな色にする。
横に立っていたミシェルの肩を叩くと、それは自信たっぷりに。

「だから勝手をして、こいつにユリアちゃんの同行を頼んだのさ」
「え……じゃあ、ミシェルさんが命令を受けたのって…」
「そ。女王様じゃなくてーJなんさー」
「……成る程、どうやら君は私との約束を守ったようだね」

へらりと笑うミシェルに笑い返そうとしたが、儀式屋の冷めた声にそれは中途半端に止まってしまった。
見上げれば、いつもの薄ら笑いは剥がれていて、彼の顔は無表情に近い。
それが何だか見慣れないためか、ユリアは緊張した。
怒っているのだろうか、それとも呆れているのか。
どちらにしろ、再び彼が何かJを傷付けることを言うようなら、今度こそ自分は儀式屋を止めるのだ。

「約束?何言っちゃってんの?」

ユリアがそう心の中で決心していると、Jがそう口を開いた。
目を細め、儀式屋に食って掛かるようなその言い草。
おや、というように儀式屋の表情が崩れる。

「儀式屋は、最初からこうなることを見抜いて、わざとそうしただけだろ?そうだな……あんたや魔術師の、お楽しみでも盛り上げるために」
「…………くっ」

鋭く突き刺すようにJを見ていた瞳が、急に弧を描いた。
それから小さく押さえ込むような笑い声が、儀式屋の口から零れた。
呆気に取られてユリアが見つめると、彼はそれは満足そうにいつもよりも深い笑みを作った。

「ああ面白い……!そうとも、君の言う通りだ、J。私がわざと分かりやすく作った穴に填まったおかげで、君は私を引き摺りだすことまでした。最高のお楽しみだったよ」
「やっぱりそうだったんじゃん……」
「え……ど、どういうこと…?」

一人は満ち足りたように、一人は不満そうにしている中、ユリアは目が合ったミシェルへ尋ねた。
彼はちょっとだけ困った風に唸ってから、ユリアの耳元へ近付いて。

「まとめると……Jとユリアちゃんは、儀式屋さんのお遊びに運悪く巻き込まれちゃったってわけさー」
「巻き込ま、れ……」

後半、言葉が続かなくて絶句してしまったユリアを、ミシェルは頭を撫でてやった。

四章§48

「巻き込まれるとは、あんまりな言い方ではないかな、ミシェル?」
「あ、いやー……別に俺、他意はなくってー…」

小声で耳打ちされた内容だったが、どうやら漆黒を纏う彼には聞こえていたらしい。
儀式屋は意地悪な言い方をしてみせたが、それ以上糾弾するつもりはないのか、慌てて弁解しようとするミシェルを片手で制すると、腕組みをして不愉快そうな吸血鬼に声を掛ける。

「それに、君にとっては巻き込まれた割りには、おまけもついていたろう?」
「……おまけ?」
「そう……ユリア、」

固まったままのユリアを呼び、こちらを向いた少女の手を取る。
そのまま手の甲に彼は、鼻を近付けた。

「これだけ彼女の香りが強ければ、何も問題なかろう?」
「え?香り??」
「詳しくは、本人に教えてもらうといい。私は先に帰るとするよ」

闇に埋まるルビーを不気味に煌めかせると、見る間に儀式屋は闇へ溶け込んでしまった。
彼が居たはずの空間にはもう何もなくて、手を伸ばしてみても掴むのは、空気だけだった。
本当に帰ったのだと理解すると共に、ユリアはJへと顔を向けた。
それを待っていたかのように、彼は不満そうだった表情を打ち消した。

「……どうしてあのミュステリオンの奴らが、ユリアちゃんを捕まえようとしたか、覚えてる?」
「……匂いがどうとかって、言ってましたけど」
「そう。ユリアちゃんは今、あの女王様と似た香りがしてるんだ。彼女の庭は、すっごく独特の香りがあるだろ?あれ、身体中に染み込んじゃうんだってさ。で、儀式屋みたいな奴ならその匂いもすぐ消せるんだけど、それは特別。普通は暫く消えないんだ」

一歩Jがユリアに近付き、無造作に伸ばされた少女の髪を一房掬うと、そのまま本人へと差し出してきた。
試してみろ、という意味だろう。
素直にユリアはそれに従ってみたが、すぐに怪訝な顔になる。

「……何の香りもしませんけど」
「だけど俺のような吸血鬼や悪魔からすれば、この距離だとかなりしてるよ」

している、と自らの鼻を指先で押さえてみせた。
人間よりも鼻のいい彼らには、あの女王の庭の甘やかな香りがしているのだろう。
と、そこまで考えてユリアは、小首を傾げた。

「それで……えっと、つまり…?」
「Jが本当に近付いて大丈夫って意味さー」

ユリアの疑問に、軍服姿の彼が答えた。
その言葉の意味をゆっくりと理解して、もう一度ユリアはJを見た。

「ごめん、もう大丈夫だから」

犬歯が覗く口から出たのは、彼が助けに来た時に聞かされたのと、同じ言葉。
あの時は何とも考えていなかったけれど、この言葉の意味を今ならば確かに理解出来る。
あ、と言う間にユリアの大きな瞳からは、ぽろぽろと涙が溢れ出した。

「あーあー……また泣いちゃって」
「だっ、て……う、Jさぁん…」
「ん、よしよし」

泣きながらも必死に笑う少女を、Jは優しく抱き締めた。
彼自身も少女の言葉に照れ臭そうにはにかみ、ぽんぽんとユリアの背を叩いた。
そんな二人を近くで見ているミシェルは、見てるこっちが恥ずかしいだの何だのと喚いていた。

「だったらお前が帰ればいいじゃないか」
「うわー……全部終わったら俺は用済みってかー?人使い荒いなー」
「感謝してるってば。お前がいなきゃ、計画崩れするとこだったし」
「……分かってるよー。それじゃ、お邪魔虫は退散するよー」

じゃあまたねー、と相変わらずの調子で彼は言うと、手をひらりと振って文字通り退散した。
二人きりとなった廃墟は酷く静かで、だが決して気まずいものではない。
心地よい静寂に二人して身を任せていたが、漸く泣き止んだユリアが顔を上げた。

「目、真っ赤だよ」
「……、Jさんのせいですからね」
「そうだね、うんうん、俺が全部悪かったよ」
「……もう、本当に大丈夫なんですよね?」
「本当だよ」
「良かった……」

ぱっと花が開いたように笑った少女に、Jも心なしか安堵の表情を見せる。
それからユリアの手を取り小さく引くと、帰ろうか、と声を掛けた。
それに対してユリアは、元気に頷いた。
もう何の隔たりもない笑顔を、二人は向け合い、出口へ向かう。
薄暗い空間から抜け出した二人を、茜色に染まりかけた光が、優しく煌煌と照らしていた。



To be continued...
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