(Jさんだ……)

あんな派手な頭の人物、ユリアの知っている中ではJしかいない。
そのJが、真っ白な生き物を叩き伏せた場面に丁度二人は出くわしたのだ。
Jの足下に広がる白いそれは、少し前に見たヤスが叩ききったそれよりも多い。
いったい彼は、何人と対峙したのだろう。

「J」

ユリアの頭上からした声が、Jを呼んだ。
奇抜な二色の頭がこちらを向いた。
だが、反応はそれだけで、何をするでもなく、彼は瞬く間にいなくなってしまった。
一瞬、間が空いて、ユリアとヤスは顔を見合わせた。
お互いの顔に、お互いの気持ちが書かれていた。

「Jさん、でしたよね?」
「俺、今まで精神世界であんな髪の奴にはJしか会ったことないっすよ」
「ですよね……ならなんで、行っちゃったんでしょう?というか、そもそもなんでこんなところに……?」
「んー……」

ユリアに問われ、ヤスは唸って考え込んだ。
それは、自分も思ったことだ。
何故こんなところで戦っているのか。
儀式屋と思しき人物がアンソニーの館に現れたのは、つい一時間前。
となれば、『儀式屋』は彼が仕切っているはずだが、一体どうしたのか。
いや、そもそもアキがあの状態で帰ったのだから、いくらなんでもそのまま置いていくとは考えられない。
そうしたことを纏めて、ない頭を絞ってヤスは結論を出した。

「とにかく、店に早く戻るほかないっすね…ってことでユリアちゃん」
「はい?」
「ちょっと失礼するっすよ」
「……えっ!?」

ふわり、ユリアの体はヤスの肩の上まで持ち上げられた。
あまりにいきなりの展開に、ユリアは一瞬思考停止する。
少女を肩に担ぎ上げた彼は声を張り上げ、

「しっかり、掴まってるっすよ!」

その一言だけ注意を促すと、彼はフリーズして声も出ないユリアをそのままに、闇の中を『儀式屋』目掛けて一目散に走り出した。





「全く……遅いんだから」

はぁ、と溜息が一つ、鏡に住まう女神の口唇から零れ落ちた。
あの吸血鬼と約束した時間は、とっくに過ぎていた。
彼が律儀に時間を守ったことなんて、まずないからこうなることは分かっていた。

「早くしなきゃ、儀式屋が先に帰って来ちゃうのに……ね、アキくん」

アリアはそう唯一このスタッフルームにいる人間に声をかけた。
だが、返事はない。
未だに彼はソファの上で横になり、その昏いアメジストの瞳を閉ざしたままだ。
目覚めるのは、まだ数時間はかかるだろう。
眠り続けるアキに、アリアは深海の蒼さを詰め込んだ瞳を曇らせた。
彼もJ同様、基本的に無茶をするタイプだ。
儀式屋に来る以前からその悪名は轟き、今なお彼を知る者は彼を殺そうと躍起になる。
だが、誰一人としてアキに重傷を負わせる者はいない。
アキが、強すぎるのだ。
戦闘能力は非常に高く、回復力は異常ともいえる。
そして同時にそれが最大の弱点だと、アキは自覚している。
強さを求めるあまり、自身を見失ってしまうのだと、アキは言っていた。
だから彼は、その自分を平時は封じている。
自分をなくしてしまわないために。

(可哀想な子……とても脆い存在だわ…)

アキにせよJにせよ、彼らは自らの強さが存在意義となっている。
厳密にいえば、アキはその強さゆえに自分を見失いかけ、Jは強さなくしては存在を確立できないのだが。

「─────」

ふっ、とアリアは顔をあげた。
そして、部屋の中へ青瞳を巡らせる。
今、微かにではあるが、物音が聞こえたのだ。
だがもう一度見ても、部屋の中は相変わらずアキが寝ているだけで変かはない。
ならば、他の場所からだろうか?
スタッフルームから一番近い廊下の鏡へアリアは写り込む。
ぼんやりとしたルームライトに照らし出された廊下に、異常は見当たらない。
ただ、店内へ通じる扉が待ち構えるだけだ。
そうこうするうちに、再度、同じ音が鼓膜を叩く。
なんとなく、それが店の方からアリアは聞こえた気がした。
何だろうか、扉の蝶番が軋むような音だ。

(……扉ですって?)

扉といえば、半刻前、依代の悪魔が叩いていたのではなかったか。
その連想に、アリアは一瞬息を止めた。
まさか、再度悪魔が訪ねてきたとでもいうのか。

「………………」

アリアは不必要に早くなりだした鼓動を無視して、店内の鏡へ移った。