どうやらこの男の発言は、自分に向けられたらしい。
そうユリアが感じたのは、男との距離が縮まったからだ。

「素晴らしい……素晴らしいじゃないか!」

線で描かれた口が、微笑と共にそう語った。
最前までの几帳面そうな表情と、今の笑顔との落差に、ユリアは一歩引きそうになる。
その隣で、ヤスが大きな咳払いを一つ。

「……旦那のっすから、分かってるっすね?」
「ああ分かっているとも。いやしかし……素晴らしい…こんな若い精神体なんて、初めてだ」

明らかに苛立ったような彼の声に、男は生返事を返す。
その男が語った中に出てきた単語に、ユリアはヤスから事前に説明されていたことを思い出した。
こちらから何も言っていないのに、髪をオールバックにしている男は、少女を精神体であると見抜いた。
そして、感嘆の声に混じるそれが、彼の執着心の片鱗を見せる。
間違いなく、この男がアンソニーなのだと、ユリアは確信した。
そうしている間にも彼は、上から下まで少女を見回し、何やら思うところがあったらしく深く頷いてみせた。
その表情は、実に満足気である。
あの程度の忠告では効き目がないらしいと判断したヤスは、じろじろユリアを見つめる男へ、再度警告のため口を開きかける。
すると、薄く開かれたライトグリーンの瞳が、ちらりとヤスを捉えた。
何を思ったのか、急に彼は一歩下がり胸に手を当て頭を垂れた。

「初対面の方に対して、少々無礼を働きすぎたな……申し訳ない。私がアンソニー・ラトゥールだ、宜しく頼むよ、お嬢さん」
「あ……は、はい。私はユリアです…こちらこそ、宜しくお願いします」

差し出された指輪だらけの白い布地の手を、そっとユリアは握った。
アンソニーも軽く握り返すと、刹那、その笑みを消してヤスの方を見る。

「全く……何をそうぴりぴりとしているんだ、君は。私がそこまで分別のない人間だとでも思っているのか」
「……念のためってやつっすよ」
「ふん……それで?こいつが来た理由は分かったが、何故君たちまで?」
「え……っと、それは」
「……此処、見たい、って」

ぽそっと、ハスキーボイスが答えた。
この空間はよく響くようで、やや聞き取りにくいアキの声も、大きく反響した。
彼の答えは全く違うわけだったが、ややこしい経緯を話すのも気が引けた。
それにアンソニーも納得したらしかったので、訂正を入れないことにした。

「そうか、それならば私が案内させて頂こう……ああアキ、君の仕事のこともついでに──」
「あ、ちょっと待って下さいっす」

くるりと背を向けて行こうとした男を、のっぽの彼が呼び止める。
180度向きを変えれば、怪訝そうな表情がそこにあった。

「君、人の話の腰を折るとはいったいどういうつもりだ」
「これ、忘れないうちに渡しておこうと思っただけっす」

はい、と細長い箱をヤスは手渡す。
アンソニーの細い眉が、ぴんと跳ね上がった。
これは何だ、と言いたげな目だ。

「旦那が渡すようにって。中に手紙が入ってるそうっすから」
「手紙……?」

受け取った箱の蓋を開け、それと同色の封筒を手に取る。
乱雑に封を破ると、流麗な文字が紙面の上に並んでいた。
素早くそれに目を通し、アンソニーはもう一度箱の中身を見遣った。
低い位置で彼が見ているため、ユリアからもそれが目に入った。
白い箱の中には、黒い柔らかそうな生地で包まれた何かがあった。
アンソニーがその布を取り払ってくれたら何かまで分かるのだが、生憎彼はその状態で睨めっこを続けた。
やがて静かに蓋をすると、全く……と小さな呟きを彼は零した。

「あの吸血鬼め、コレクションを何だと……ダイナ!」

一声、大きく彼はその名を叫んでみせた。
少しの間を置いて、階上からはい、と硬いソプラノの声が飛んできた。
それから間髪置かずに、階段の踊り場へその姿が現れた。
すらりとした手足を、体のラインに添うようなデザインの服が覆っている。
しかしそれは全く艶めかしさを感じさせず、逆に彼女の人間離れした冷酷な美貌を引き立てていた。

「何でしょうか、アンソニー様」

そしてその印象は間違っていなかったようで──その唇から零れる八重歯が、彼女が人間ではないことを裏付けた。