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最近の心の癒しはYoutube。

…もう、疲れたよおう。なんだか毎日毎日忙しいんだよう。
なんだか毎日追われている気分よ。
じっくり腰を据えてダラダラする時間も気分もなく、ずーっとPCひらいてなかった。ついでに買ったライブDVDをまだ見られていない。
はぁ〜ダラダラしてぇ〜(今している気もするが)


神社によっては狛犬もこま狐?こま猿?いるよ

ゴールデンウィーク、世間様はいかがお過ごしでしょうかね。
今年は感染症予防の移動規制もなく、最近ではマスクを外してオッケー☆みたいなお話しになってきて嬉しい限りです。
早く会社でもお店でもどこに行ってもマスクを外して生活できるようになりたいなぁ。

さて近場を散策してきた。
五十嵐さんのルーツと言われている三条市の「五十嵐神社」とその付近にある「八木神社」であーる。
私の名は五十嵐ではないんだけど、五十嵐川の名前とかルーツとか、そんな場所が近くにあるなんて興味深い。

行ってみたところ、神社の世話役の方か宮司さんか女性二人がお掃除していた。5月3日にお祭りがあるそうで、そのための準備だそう。境内にはお神楽のための舞台もあり、きっとお祭り賑やかだろうなー。
さて五十嵐一族の謎(勝手に謎にする)、であるが、その説明が書かれた冊子が置かれていたので紹介する。

抜粋「垂仁天皇の御代は皇族による地方への皇位の伸長が盛んに行われた。天皇の第八皇子である五十日帯日子王(イカタラシヒコノキミ)も北陸道を下り越の国に土着し、頚城地方から上田を廻り下田の地に永住され、ここで薨去されたと伝えられる。」
この文から始まるんだけど、垂仁天皇っていつの時代よ!?調べたら古墳時代…およよ。昔すぎだろ。
つまり「地方への皇族による地方への皇位の伸長」って大和政権が支配を強めるために北陸・東北に血族を配置したってことよね。大和政権は近畿方面から地方へ広がっていって、なかなか大和に与しない東北地方の豪族を「土蜘蛛」と呼んでたとかいうよね。
それについては書いてないけど、その子孫である五十嵐一族は中央から導入された当時としては抜群に高度な生産技術や井溝施設の整備をしたとのことで、その土地の土豪となったと。

それから12世紀(いきなり年飛びすぎじゃない)、この頃には五十嵐一族は国の地方官になっていたと思われる。
ここから鎌倉幕府の旗下に加わっていたことであろうとか、ふわっとした説明が続き、上杉謙信公もしくは父為景公の時代には五十嵐一族は滅亡してしまったと思われる、とのこと。

……結局、なんかよくわからんけど分かったのはイカタラシヒコノキミの名を苗字として許され、現在まで残っているというのは過去の五十嵐一族の勲功によるものなのだなというくらいだろうか。

ちなみに五十嵐小文治さんという方が五十嵐家伝説の方であり、この人が投げた石が杉の木にめり込んだという伝説があり、その杉の幹が境内に保存されて見ることができた。
ちなみに狛犬がまるっとしていて可愛らしい神社であった。
さらに八木神社の狛犬は「遊ぼうぜ!」って言ってるときの犬ポーズっぽいポーズがカワイイ狛犬だったわ。
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