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プールで泳いでいるときも好きな音楽が聴けるようになればいいのになー

腰痛があまりにもひどい。
のっけから情けない言葉。
前々から左股関節に違和感はあったけど、2日前の昼休みに机の下にしまっていた弁当取り出して食べましょメシメシ〜

腰「ピキッ」
お?

…の後、おやおや?と昼休みを過ごし、午後の仕事の最中、腰が痛くて椅子に座っていることが苦痛で立ってできる仕事を探して事なきを得た(事なけておらんがな)。
姿勢良くしてなければ痛く、前屈で靴を履き替えることができず、やけにいい姿勢でしゃがみまくる人になりながらやむおえず近場のマッサージ屋さんを予約して行ってきた。

ちょっと押してもらっただけで超きもちいい。最初の15分位でかなり効いてる気がしたので、60分の予約をとってしまってちょっと欲張りすぎたかなぁ(60分がネット予約画面のデフォだった)と思っていたけど、次背中…マジか効くなぁオイ、更に脚。冷え切っていた足の先まで暖かくなり、最後に肩がもうおおおおぅ気持ちい。今までの肩モミのなかでベストの気持ちよさです。
今まで相方が肩もんでくれたことがあったけど、イチ「グイッ」であまりにも痛くて「ぎゃおう!」と叫びながら四足歩行で離れるという有様だった。
それがリラクゼーションのプロの手はメチャメチャ気持ちいい。

いやいやいや、気持ちよかった。腰もかなり楽になった…と思っていたら、よくマッサージの最後の仕上げに手の甲で背中をポンポンポンと叩いてくれることが多いんだけどこれが「ぎゃおう!」と逃げたくなるほど痛かった。
「施術、痛くありませんでした?なんというか、こんなに凝っている人あまりいないくらい硬かったので…」とプロ師、施術はよい強さでしたが、今やっているポンポンが痛くて息ができねぇ…!
「…はっ…はぁ…はあ、き、気持ちよかったで…す」←痛くて息も絶え絶え(こういう時に痛いと言えない小心者)

…ということがあり、「あまりいないくらい硬い身体」を持つ自分はそろそろきちんと運動とかして体を思いやった方がいいのではないかと思いましてプールに通うための水着をとりに実家に行ってきた。
なんで水泳やねんというのは、自分が唯一できる運動って水泳ぐらいだからなのだ。あと泳ぐときって体に余計な力が入らないからいいよなぁと。ついでに「腰痛探検家」を書かれていた高野先生も水泳で腰痛を克服したと言うし。
自分、一応かつて水泳部だったので。
そのせいで肩幅アメフト選手みたいというか常にバブリーな肩してるっていうか。

そういえば20代のころプールでプカプカ泳いでいたら、隣のコースの男の人に
「ある程度休まないで泳がないと体力がつきませんよ」
と真面目に言われてたじろいだ。
いや、別に体力つけるために泳いでるわけじゃなくて、リラックスしに遊びに来ているのに。
別に泳ぎが早いわけでもないが水泳教室に通っていたおかげでフォームだけはきれいなもんだから言われるのだろう。
余計なお世話だなぁと思いながら早々にプールをあがった(あがってんなよ)
私は真面目系クズなので本当にまじめな人が苦手だ。(クズの発言)

寝ても、寝ても、寝ても眠い

書きかけだったブログ内容が消えた…。
キーボードの上にのってきた犬の毛をこう…ふわっ…と手ではらったら全部消えた!!てかブラウザ閉じた!ぐぬぬぬぬ。
こうなると途端にやる気が失せて眠たくなってくる。ひさびさにまったり出来ているのでブログの更新すっかなーと思ったのに。

先週、母上様のスマホの買い替えに行ってきた。
前々からスマホの調子が悪いと言っていたけどひとりで買い替えに行きたくない(説明がわけわからんから)というが、兄にはついてきてほしいと頼みづらいとのことで、ワシの出番じゃ!

今、ドコモショップは予約制で、予約しても2人で行っていいものかわからなかったので電器屋さんで買い替えることにした。
いやぁ、ケー●デンキ素晴らしいねー。親切丁寧にデータの移し替えまで全部やってくれましたわい。まあ完璧なデータ移行はできていなかったけど、それはデータの移行準備をしていかなかったこちらの落ち度なのでケ●ズ悪くない。

新しいスマホはうらやましいけど、データの移行やら再設定やらメチャクチャめんどくさい。そしてデータ移行のためだけにいつ設定したからすら覚えていないパスワードを思い出さないといけないとか無理。
…と、かーちゃんのスマホの設定をしながらゲッソリした。

キラ星を見つけた(書籍:晴れた日は巨大仏を見に)

「晴れた日は巨大仏を見に」を読み終わった。
この本は作者の宮田さんが日本中の「巨大な仏像」を見に行くルポタージュだ。…そのまんまやんけ!

宮田さんはその辺のビルやマンションよりもデカい仏像が唐突に立っている光景の「異様さ」が大好きで、とりわけそれらに近づいている際に「ぬっ」と現れる瞬間の奇妙な感覚を味わいたいがため巨大仏をめぐる。

わかる!その表しがたい奇妙な感覚!!なんかもうウルトラマンの世界というか恐怖感というか「唐突になんだよ!」っていう愉快さとか快感とか、私の場合ひとことで言うと「ぞわぞわする」だろうか。
私が記憶にある初めての巨大仏遭遇は福島県会津の慈母大観音だろうか。いきなり山の上に白いヤツおる…みたいな光景になり、どんなに離れてもまるで観音像が追いかけてくるかのように視界から消えないから、不気味っつうかなんやアレ(笑)!!みたいな笑いと恐怖の両方のスイッチが入った感じだったわ。ちなみにこの本にも載っている。

宮田さんは各所の仏像を巡り、ばかばかしいレポートをしつつ真面目な分析もしてくる。でもだいたいがばかばかしいレポートなのでとにかく面白い。淡路島の大観音を見たときは
「海辺から見ると、途中さえぎるものもなく、突然そこに立っている大観音の唐突さがよくわかる。なんでこんな場所にこんなものが立っているのか、その必然性がまったく理解不能なところが、この風景の魅力である。」とか言っているのに、「巨大仏の”ぬっ”とした感じのさらに奥に殺伐とした手触りが隠れている気がする。」と坂口安吾のエッセイを引用しながら真面目に分析しだすのだ。
巨大仏の感覚は「深い山の中で一夜を明かすときや、宇宙の果てを想像するとき、あるいは自分が死んだ後の世の中について思うときなどに、強く心の中に湧き上がる人間の力ではどうしようもない圧倒的な孤独のようなものであり、言い換えれば、この世界があること自体の怖さ、理由もわからないままにこの世界が厳然と存在し、そこにどこから来たのかもわからない自分がいる、という怖さ、それを人工的に少しだけ感じさせるのが巨大仏なのではないか。」と分析している。
すげえ!なんとなく、わかる。その感じ。もや〜っと感じている私の「ぞわぞわする」気持ちの根源をわかりやすく言語化して説明してくださった…!宮田さんすごい…!!と思って次のページをめくると
「のんきな旅の話をしていたつもりが、なんだか面妖な話になった。きっと本当に人を惹きつけるものには、そういった不気味さや気持ち悪さが混じってたりするものなのだろう。香水にウンコ成分が混じっているというのもよく聞く話である。
…宮田さん!!……(笑)!!
宝石のようなおもしろ作家さんを見つけた!

他にも久留米大観音に行った際、観音の胎内にある《孝養洞窟(こうようどうくつ)》を見たとき、
「親孝行を啓蒙するための壁画!なんと面倒くさそうなどうでもいい壁画であろうか。」と言いつつその啓蒙話がおもしろいと披露している。まずは
「就寝中の父母が蚊に食われるのを見た少年が、どうにかしてこれを防ぎたいと、自分が裸になって父母の枕元で蚊に血を吸わせました。あっぱれあっぱれ。
蚊取り線香買えよ!とツッこみそうになった。
親孝行というには話がとてもせこい。だいたい息子に枕元で裸で座られている親も、おちおち寝ていられないのではないか。」
つぎに
「老母と妻と三歳の子供と四人暮らしだった男がいた。貧しくて老母が自分の食べ物を子供に与えているのを見て、「子供はまた生まれてくることもあろうが、母は再び得ることができない」と考え、この子を埋めようと夫婦で話し合って、穴を掘った。すると黄金が出てきたので、子供も埋めなくて済み、ますます親孝行に励んだのでした、めでたしめでたし。
って、いいのか!
「子供はまた生まれてくることもあろうが、母は再び得ることはできない」からって、子供埋めるか、ふつう。親孝行というより、殺人ではないか。
《孝養洞窟》おそるべし。」
大笑い!!!これは中国の孝行談「二十四孝」をモチーフにしたものらしい。なるほどー!!このエピソードを聞いて昔の中国での考え方に納得いくわー。
三国志の長坂坡での劉備と趙雲のエピソードまんまやんけ!!劉備の嫡子阿斗を救い、敵中突破した趙雲に、劉備は阿斗をぶん投げて「子どもなんかよりお前のような家臣は二度と得られぬ!!」と趙雲の手を取りむせび泣いたというエピソードまんまやん(笑)!!

しかし、いい本を見つけた。いい作家に出会えたなぁ。ちなみに新潟県の国道沿いにある巨大親鸞像も載っている。あれこそホントに唐突に”ぬっ”っと現れておののく(笑)。

こんなにじっくり見ていいのかなぁという後ろめたさも申し訳なさもある

こないだ自宅の工事立ち合いのために有給をとったとき、最近ハマっているネットラジオを聞きながら編み物をして時間をつぶしていた。
そのときのラジオのトークテーマが「ミイラ」!なんでも最近奈良で、昭和に亡くなった人のミイラが見つかったとのこと。詳しくは省くけど死者自らミイラになるために色々してから亡くなったらしく、事件性はないらしい。発見当時、墓地から石室が出てきて、その中に金属の棺桶(?)さらに中には木の棺桶、それを開けるとまた木の棺桶。さらに開けるとご遺体があるらしい。

これって…これって…エジプトのファラオと一緒じゃん!!!
(ファラオも3重の棺桶に収められていた)

その後ラジオでの会話は山形の出羽三山にいらっしゃる(?)即身仏の話しになる。
このタイミングでこのトークテーマに当たるというのは「行くなら今でしょ!」ということで特別展ミイラに行ってきました。到着時刻は夕方5時…だが、ふっふっふ…ちゃんとネットで調べてきたよ。金曜日は7時までやってるんだよHuuuuuu!(妙なテンション)
そのころには観覧者はほとんどおらず、エリア内にいるのが私と展示されているミイラの方々のみ…こ、こわい。ときどき学芸員さんが歩いてるんだけど驚かさないでっ!

展示されているミイラは肌の質感や爪、髪の毛がきれいに残っていて、不思議だなぁすごいなぁというのが正直で率直な感想。
で、やっぱり一番インパクトが強かったのが日本の江戸時代の兄弟ミイラ。死蝋化していた遺体が乾燥してこの状態になったとの説明だけど、2人とも生前の人相が窺えるくらい生々しい。で、本当に時代劇みたいな髪型してる…!

次にインパクトが強かったのが、ヨーロッパで見つかった2人の男性のミイラ。これが本当に不思議で、沼の底の泥のなか(?)から見つかり、筋肉や骨が一部ないけれど皮だけがほぼ全身残っている、という。うむむむ不思議。
このミイラ、大きい方のミイラが小さい方のミイラを抱くような姿勢なので男女の遺体だと思われていたけど、解析の結果、どちらも男性だったそう。
そもそもその発見された沼がミイラになった人が生きていた時にも沼だったのかわからないし、誰かがそういう姿勢になるように埋葬したのかとか、全然わからないところが想像を膨らませる。
そういえば最近古墳の番組を見ていて、どこの古墳だっけな…?けっこう大きくて有名な古墳の石室の中に、身分の高い「〇〇のおおきみ」みたいな人のご遺体と、そのおおきみの側近が一緒の棺桶(石室)に埋葬されていたという珍しい古墳が紹介されていた。側近というのは持ち物からわかったらしく、二人は外傷があり殺されたかそれらの傷がもとで亡くなった可能性が高いらしい。詳しくはわからんけども。
戦やクーデターが起きて亡くなったのかなぁと思いつつ、亡くなったおおきみをお守りするつもりで側近も棺に入ったのかもしれないし、二人は身分関係なく親友だったので周りの人たちがともに埋葬してくれたのかも…などど想像が膨らむ。
ここで思うのは死んだ後に「こういう関係だったと仄めかしたいのでこう死ぬわ」というのが死んだ人にはできないじゃん?意味がつたわるかな…。たとえばヨーロッパの男2人のミイラも、1人の遺体をポイっと投げたら腕を広げたような体勢になった。続けて2人目の遺体を隣に投げたら1人目の遺体の腕の上に乗っちゃった。…っていうのがこのミイラの格好の真相で、2人は抱き合っているわけでもなんでもなく他人同士かもしれないし、古墳のおおきみだって自分が死にそうだから大好きな側近も連れていきたいな…ということで側近は先に殺されていたのかもしれないし…。後から他人が体勢を変えて棺に入れてるかもしれないし。想像が膨らんで楽しいよね(不謹慎…)。

しかしミイラ…。インパクトがものすごくて夢にまで出てきたけど、展示を見ている時も、見終わった後も、今も怖い。なんで怖いのだろうか考えてると、展示されていたパプアニューギニアのミイラ作りの映像を見ていて何となく気づいた。
ちょっと前のパプアニューギニアでは、遺族が死者を燻製にして先祖の墓所へと運ぶ。そこには代々の先祖のミイラ(ほぼ白骨化してるけど)があって、そこで先祖に囲まれて男性が座って佇んでいる様子を見たとき、遺体は怖いものではなく自分たちを見守ってくれている家族なんだなぁ。ここで亡くなった家族に会えると思えば慰みになるのかなぁなど考えた。

つまるところ、やがて必ず訪れる死が怖い。死がいつどのように訪れるかわからないのが怖い。自分の大切な人に訪れる死が怖い。ミイラを作りながら、その一時悲しみは忘れているかもしれないけど、消えないさみしさや喪失感が怖い。それらに抗いようがないことも。

ミイラ展で「あなたの死生観が変わる」という広告が書かれている。私は相変わらずだが「何が怖いのか」を改めて考えるきっかけになった。どの国のどの時代の人も死者への悲しみを乗り越えてきたんだなぁと。

自分の好みや理想を理解した誰かに全身コーディネート頼んでみたい(書籍:着せる女)

犬の散歩で坂(山)を上ると冷たい風がぶわわわーと吹いてきて耳が痛ーい!
私は冷たい風をあびるとすぐ耳がメチャクチャ痛くなり、頭痛へと発展していってしまうので、多少見かけが怪しくなろうとフードをかぶる(多少?)。
これって大人になって超超超インドアな生活をしているせいなのかなぁ。体質なのかなぁ。対策として耳までかぶれるフワフワな帽子を買ってある!!多少見かけが(以下略)でも帽子かぶるわー。
犬は「散歩がんばったからごほうびくれ!」って顔で見てくる…。いやいや、耳を痛めながらお散歩に連れて行ってあげたご主人をたたえよ犬。

先日、内澤旬子さん著「着せる女」を読み終わった。
これは作家兼イラストレーターの内澤さんが男性のスーツフェチを滾らせ、身近にいるトホホな服を着ている作家仲間(高野先生もいる!)、編集者にスーツを見立てて大変身させる工程を書かれた本だ。
内澤さんは特に服飾関係の仕事の経験があるわけでもなく、ただただスーツ・服に対する愛だけで、オシャレ服屋にドギマギしている男性たちを引き連れて紳士服売り場の奥(大体アパレルのスーツ売り場やフィッティングルームはフロアの最奥)へ露払いしながら進んでいく。
明らかに店員さんのターゲットではないから、紳士服売り場の中って引け目なく佇んでいられたりするんだよね。わーかーるー。
この世に数えきれないくらいの型のスーツがあり、組み合わせがあり、同じスーツでもネクタイ、シャツ、チーフで印象を華やかにしたり謝罪用に控えめにしたり、というのをショップのフィッターさんが魔法のように組み合わせを作ってくれる。
いろんな方を大変身させるわけだが、どんな体系、どんな顔つきの人でも、必ずカチッとハマるスーツがある。
作者の内澤さんも言っていたが、うらやましい…!私も男になってスーツ着たいよ。

色々な会で「男性はスーツ、女性はそれに順ずる服装で」と書かれているとき、その場で女性は就活スーツみたいなスーツを着ている人は皆無なのよ。女はスカート、ワンピースとか、そこそこキレイめな格好で、とか言われてるけど、それって自由ではあるけどものすごく大変だよ!どんな服装が多いか予測していかないといけないし、予測が外れたときなんて居たたまれなさハンパないよ。

特に最近メチャクチャ困ったのって 結 婚 式 !
「おば」の立場で参加だったので(これが友人の立場ならまた変わる気がするけど)華やかなワンピースで参加するのも年甲斐がない気もするし、というか「年甲斐もなく」というのも馬鹿言ってんじゃないよ好きな服着せろ!という気もあるけどやはり周りの目も気になってしまうし、かといって和服で行くにしても和服持ってないしそもそも親戚のおばの立場で他の親戚以上に気合の入った和装(普段来ていないからこそ和装は気合を入れないと着られないものなので)で参加するのもはばかられ、ついでにいかり肩の私は泣くほど和服が似合わんし、結局20代後半に買った気軽に着られる安いスーツにブラウス、つまみ細工の自作ブローチを付けて参加。下手すりゃスタッフのごとき姿よ。まだヒールをはいているからスタッフと間違われないけどさ。

これも「女性用の華やかなスーツ」を買うと、どう見ても授業参観のオカンになってしまうんだよ。そりゃハイブランドの何十万もするスーツなら別だけど、年に1回あるかないか、この先何回着る?ってモノに金かけられないって。
女性の年相応の貫禄と女性らしさを兼ね備えたスーツって、ないんだよな。
内澤さんも蓮●議員や小●都知事、メイ首相やロイヤルファミリーなどのスーツをチェックしながら、どれも参考にできないとため息をついていた。わかるわかる、そういうのじゃなくてー、もっと落ち着いていてさー…。
これも男性ならスーツを仕立てればいいし、面倒なら礼服でいいじゃん。女って、選択肢が多くて楽しいかもしれないけど難易度高すぎるよ。あと髪のセットもあるし(ゲッソリ)。

この本の最終章では魔法使いのごときメンズフィッターの方に、集大成のように作者の内澤さん用のレディース服のセレクトをお願いして終わる。年相応の貫禄と女性らしさ、職業婦人に見える服装でオーダー。いいなぁ。わたしもオーダーしたい…。でも予算は靴を入れて(バックは除く)10万で。(シビア)

別に男装したいわけではないんだけど、スーツってカッコよくてうらやましい。
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