四章§01

その、溢れ返った音の洪水は、荘厳な庭園から流れてきた。
垣根の高さは均等に整えられ、色鮮やかな花たちはそこここで咲き乱れている。
その花から発される、むせ返るほどに甘すぎた香が辺りを包み込み、それに絡まる、音色。

何という曲だろうか、激しく心を駆り立てられる曲調。
それは、この庭園の雰囲気からは程遠いもので、速さはアレグロ。

煉瓦で舗装された道は、その音の方へと連なっていた。
辿って行くと、深紅の薔薇のアーチが出迎えて円形の広場に出る。
だだっ広いそこには、この庭園に似合う淡い桃色のテーブル一脚とチェア二脚があり、そして一人の女性が腰掛けていた。

その彼女は、例えるなら──紅だった。

彼女の身を飾り立てるドレスも、彼女のシルクのように美しい髪も、彼女の濡れた唇も、その彼女の存在さえもが、紅だった。
ただ、その瞳だけはやけに冷め切ったアイスブルーで、常に氷点下の笑みを称えていた。
その視線は、テーブルに置かれた小さな置物に注がれている。
金縁の装飾が施された、丸い陶器の小箱らしきもの。
そこから、この庭園を支配する音が紡がれているのだ。

彼女はそれを、指先で優しく撫でた。
慈しむような指の動きだが、見つめる瞳はつまらなそうに細められた。

「──わたくし、聴こえてますのよ?」

ぽつん、艶やかな唇が動いた。
それほど高くはない声は、アレグロで流れる音楽をものともしない。
そのくらい、鮮明な声だった。

「きっと貴方は今、面白いことをしていると、風が笑っているんですもの」

更に激しく、小箱から音が奏でられる。
もう、曲も終盤なのかもしれない。
最後の仕上げにと、盛大に盛り上がって行く。

「どれほど、音が飽和しましてもね、わたくしの耳には届きますのよ」

彼女の調子は変わらない。
淡々と述べ続け、唇に言葉を乗せる。
そして、小箱から最後の一音が紡がれた、その時。

「当然、わたくしにも分けるのでしょうね」

彼女は指の動きを止め、突然、小箱をテーブルから払い落とした。
小箱は当然のように、重力に逆らうことなく落ちて行き──、

「……ふふっ、そう。ならいいの」

いつまで経っても、小箱が硝子片に変わる音はしなかった。
代わりに、むわっ、と香がきつくなる。
淡い桃色のテーブルの上には、何故か小箱が落とされる前と同じようにテーブルに乗っている。
彼女は、しかし、それを全く不思議に思わず、先程同様に優しく撫でた。
再び、音。
今度は小さな音色のオルゴール。

「楽しみだわ、わたくしも漸く同じ運命に巻き込まれるのよ?素敵じゃない?」

ところで彼女は、先刻から一体誰に話しかけているのだろうか?
長い睫毛を伏せ何度も頷く様は、まるで彼女の対面に誰かがいるかのようだ。

「そう…分かりましたわ、ならわたくしがいいことをして差し上げましょう…大丈夫、わたくしなら全てのバラバラになったピースを、元の型に戻して差し上げられますわよ」

彼女は小箱から手を離すと立ち上がり、空に向かって手を差し伸べた。
そして、目が無くなるほどに笑えば、春の陽射しのような声で言ったのだ。

「それが“女王”に科せられた使命でしょうが?」

きん、とオルゴールの音が止まった。

四章§02

気まずい、とヤスは感じていた。
それは何時からだったか、と考えるが限り無く明確な答えはわかっている。

「姐さん…本当にどうしたらいいんすかね?」

いつものスタッフルーム。
いつもの真っ赤なレザーのソファ。
そこに寝そべりながら、青年は鏡の中の麗人に問い掛けた。

「どうって……言われても」

それに答えるアリアは、その麗貌に似付かわしくない憂いを覗かせた。
そんなことを聞いたとしても、アリアが答えを知っているはずがないと、ヤスは知っている。
すみません、と短く謝ると、ヤスは手を目の上に乗せた。

……現時刻、仕事が始まるまで一時間以上もある。
スタッフルームには、まだヤスとアリアしかいない。
もう少し経てば人数も増えるだろうが、だがだからこそヤスはこの時間に訪れた。

この時しか、チャンスはないのだから。

「ヤス君…滅入ってるのね」
「ははっ…姐さん、……返す言葉がないっすよ」

美女の気遣う言葉に、ヤスは乾いた笑いを返した。
この、誰よりも自分に関わった人たちを大切にする彼女のことだ、微々たる自分の変化に気付いたのだろう。
それが分かっているから、わざわざ何か言う必要はない。

「ユリアちゃんとJ君が…ううん、J君がユリアちゃんを避け始めて、一週間、ね」

ぽつりと言っただけだろうが、それが如実に全てを語っていた。
ヤスは、きゅっと唇を引き締めた。

“あの日”から、徐々に崩れ始めた二人の雰囲気。
いや、違う。
Jが巧妙に立ち回り、決して崩れていないように見せ掛けている。

彼は相変わらず遅刻をして、相変わらず儀式屋には文句を言って、相変わらずそのままの彼で──ユリアに、接する。

だが、彼の内面には近付けない。

一定の距離を保ち、近付こうとすれば擦り抜けてしまう。
まるで──捕まり檻に閉じ込められることを恐れ、逃げ惑う鳥のようで。

「おやおや…二人して悩み事相談会かね?」
「っ、おはようございます、旦那!」

この店の支配者の声に、横になっていたヤスは飛び起きた。
儀式屋は起立し挨拶をする彼に笑いながら、後ろ手に扉を閉めた。
かつんかつん歩いていきながら、己の机に向かう。

「それで、いい解決方法は思い付いたのかね」
「……狡い人だわ、知ってるくせに」
「おや、私は何も知らないがね」
「あらそう。そういう貴方は、何か良案でもあるのかしらね?」

すっとぼけたような彼に、アリアは柳眉を吊り上げ問う。
と、椅子に座した彼は、いつもの薄ら笑いを浮かべた。

「あるには、あるがね」
「ほ、本当にっすか!?」

儀式屋の答えに、ヤスは顔を綻ばせた。
が、アリアは依然として硬い表情のままだ。
蒼い瞳に、影を映して。

「あるが、ってどういう意味なのかしら?」
「……うちのお姫様は勘が鋭くていらっしゃるようだね」

くくっ、と彼は喉を鳴らした。
のっぽの青年はどういうことなのか分からないらしく、二人の顔を交互に見た。
見兼ねたアリアが、ちらっとヤスへ目を向けて。

「条件が揃わなきゃ、出来ないってことよ」
「全くその通り」

黒髪の男がそう肯定した。
それから、やや困惑気味な顔を作ってみせる。

「今それを模索していてね…さて、どうしたものかな?」

とはいえ、その声は平生と変わらないもので、本当に悩んでいるようには見受けられない。
そして美女が再び問い掛けようと、口を開いたその時だった。

「…喚ブ……彼…男…」

彼の机上のオブジェが、一声叫んだ。
それに儀式屋以外の面々が、目を見開きそちらを見た。
儀式屋は指を組んだ手に顎を乗せ、オブジェを愛しそうに眺めた。

「……ああ、条件は計らずとも揃ったようだね。では──」

ふいに、酷く優しそうな笑顔を浮かべたかと思うと、きゅっとその表情を引き締めた。
部屋の空気全てががらりと変わり、ヤスとアリアは息を呑んだ。

「始めようか?」

何を、と問うことは誰も出来なかった。

四章§03

「──という訳で、悪いが君たちで彼女のところまで行くように。何か質問は?」
「大有りなんだけど?」

始めよう、と言ってから一時間後のスタッフルーム。
やや暗い照明の部屋は、一時間前と何も変わっていない。
変わったのは、此処にいるメンバーだ。
ヤスとアリアは此処に見えない。

居るのは、ユリアとJだ。

Jは儀式屋の目の前に立ち、ユリアは顔を俯けてソファに位置している。
その距離が、二人の心境を表しているようにも見えた。
儀式屋は薄ら笑いを貼りつけ、見下ろしてくる人物を見遣った。

「言ってみたまえ」
「じゃあ言わせてもらうよ。あんたが魔術師に呼ばれた、だから行く。それはいいよ?でも何故、今彼女のところにまで行く必要があるわけ?」

ばん、と机を叩きつけてJは己の主人を詰問した。
それは、今し方下された命令──ユリアを“彼女”の元へJが連れていく、という内容。
“彼女”が、ユリアを今日連れてくるように言ったらしい。
本来であれば、儀式屋が連れていくべきなのだが、同時にサンから呼び出されたために行けなくなったのだ。

その両方を、理解することは出来る。
だが、それだけで自分が行く理由にはならないのだ。

「彼女は今日って言ったんだろ?だったら儀式屋が帰ってきてからでも、十分間に合うんじゃないの?」
「彼女の今日は、今すぐという意味だよ。ならば、私は行けないよ」
「でも、」
「だからといって、私の偽者を送るわけにはいかない。何故?彼女もサンも、偽者が大嫌いだからだ」
「確かにそうだ。けど、俺が行く理由には答えてない」

陽の光のような、しかし生物を焼き殺す勢いの瞳が、死者のような顔を睨み付けた。
儀式屋はさっと額に零れた髪を掻き上げた。
そして、挑戦的な目を彼はただ見返した。

「サンの方は、私でなくては絶対ならない。彼女の方は、私が行けなくともユリアさえ行ければいいんだよ。ところが、その付き添いにアリアは行けないしヤスも行けない、だから君に頼むんだよ」
「は?どうしてヤスくんまで行けないわけ?」
「ヤスはきっと、彼女に会った瞬間、魔術師を思い出してしまうだろうからね。すると、厄介なことになるじゃないか?…納得したかい?」
「……したくない、のが本音だよ」
「くくっ、実に素直だ」

喉を震わせ、彼は笑った。
どうやら、どうしても行く気にはならないらしい。
ならば、と彼は今一人の人物へ視線を送った。

「仕方ないな…ユリア、済まないが一人で行ってもらえるかな?」
「……え…?」

それまで俯いていた少女は、驚いたような顔をした。
話を聞いていなかった、というわけではないだろう。
ただ、話の飛躍に戸惑っているにすぎない。
現に、Jも怪訝な表情である。

「聞いていたろう?Jはどうしても行きたくないそうだ…私もいつまでも悠長に話して説得する時間はないからね。だから、ユリア一人で行ってもらおうかな、と。どうかな?」
「……あ…でも…」
「ああ、場所と行き方はきちんと教える。なに、歩いても精々小一時間程度だよ」
「………だったら、行きま」
「ちょっと待てよ儀式屋!」

ほんの少し間を置き、答えようとしたユリアを遮り、Jは声を荒げた。
儀式屋は、おや、と紅い瞳を見開いた。

「まだ居たのかね、J?君にもう用はないから、さっさと持ち場に行きたまえ」
「なっ…」

予想していなかった回答に、彼は絶句した。
が、そこで怯んでしまう程、柔に出来てはいない。
一拍置いて、口を開いた。

「ユリアちゃん一人で行かせるって、本気で言ってる……?」
「私が嘘を吐く理由など、どこにもないがね」
「──ふざけるなよ、儀式屋!」

叫ぶが早いか、Jは儀式屋の胸倉に掴み掛かった。
仮にも彼の主人なのだ、が、今の彼の頭には毛頭ないようだ。
儀式屋の真紅の瞳を、真っ向から覗き込んだ。

「彼女は、精神世界の中央にいるんだ…そんな場所に、一人で行かせるなんて、狂ってるとしかいえない!儀式屋、あんたは」
「…J、まだ喚くつもりかね?」
「!?」

Jを見返す瞳が──色を消した。

四章§04

静寂──。

聞こえていた時計の音さえも、掻き消えた。
だが、ユリアはその事象を気に留めることが、出来なかった。
目の前の、闇の化身のようなその人に、意識がすべて持っていかれていたからだ。

「まだ喚くのかと、聞いたんだよ」

胸倉を掴まれ、凄まれているのは儀式屋のはずなのに、そうした威圧をものともしていない。
それどころか、それをJへと跳ね返してしまっている。
返された本人は、思い切り目を見開いたまま、微動だにしなかった。

「…君は、一度私の依頼を断っている。なのに、その後に異議を唱えるのは、どういう了見かな?」
「……それは、」
「どうせ答えられまい?特に、“今の君”ならば尚更にね」
「……っ」

それまで真っ直ぐに儀式屋に向いていたツートーンの頭が、やや下に傾いだ。
ユリアからは見えなかったが、Jが悔しそうな顔をしているのは、それで容易に想像できた。

(儀式屋さんを止めなきゃ…Jさんがまた、傷ついちゃう!)

でも──、

(私が、する必要があるの?)

ふと、頭の中を過る声に、ユリアは口籠もってしまった。

──自分が、何か言ったところで、何が変わるというのだろうか。

つい先日起きた“事故”は、少女の中で大きな塊として、未だに胸の中に居座っていた。
Jが吸血鬼だったことを目の当たりにし、そして拒絶の声も届かず襲われかけたあの日。
それは、確かにユリアの中で恐怖の塊だった。
だがこうなってしまったのは、自分の血液が原因であり、何よりJは瀕死の状態だったのだから、彼を責めるのはお門違いだ。
というよりも、そのくらいで責めるなど、ユリアには到底出来なかった。
Jが“J”である理由、そして正体を黙していた訳を聞かされ、ユリアはどうしようもなく悲しかったのだ。
だから、伝えようと思った──私は、決してJが思うほど弱くなんかないのだ。と。

だが、それをユリアは未だに言い出せてはいなかった。

事件のあった翌日、Jはいつもと変わらない、少しふざけた笑みを引っ提げて現れた。
それを見たユリアは、温かな感情に心を包まれた。
もしも彼が気に病んで来なかったら、どうしようと不安に思っていたのだ。
それが外れたことに、少女は密やかに喜んでいた。

だがその喜びはほんの束の間であり、ユリアの内に秘めた杞憂は更に悪化した形で現れた。

気付いたのは、Jと二人きりになった時だった。
流石に、人前で彼に伝えるのは、やや恥ずかしかった。
だからこの限られた時間のうちに、ユリアは伝えてしまおうと考えた。
ところが、ユリアが彼を呼ぼうとするより早く、Jはこちらへ背を向けたままアリアが呼んでいたと告げてきた。
そこでユリアは美女のもとへ行ったのだが、彼女は呼んでいない、と返してきたのだ。
ユリアは首を傾げながら、先に戻っていたヤスと談笑していたJにことの次第を告げた。
すると彼は、勘違いだった、と言ってきた。
その時はそれで丸く収まったのだが、それ以降、二三回立て続けに同じことが起きた。

そしてある時、ユリアは、それがJの細やかな拒絶なのだと理解した。
Jが、周りには分からない程度に、自分を遠ざけているのだ。
……胸が張り裂けそうだった。
どうして他のみんなには以前と変わらない態度なのに、自分だけを避けているのだろう。
まだ、あの時のことを引きずっているのだろうか?
だとしたら、今すぐにその誤解を解かなければならないのに!

誰かにこのことをユリアは言いたかったが、言えなかった。
言ってしまえば気持ちは楽になるだろう。
しかし同時に、二度とJが店に来なくなる予感があった。
何故ならこのことは店の雰囲気を壊し兼ねない──ひいては、儀式屋に迷惑をかけることとなる可能性があるからだ。
それは、全てを捧げた自分が決してしてはならないことだと、ユリアは悟っていた。
そしてまた、もし言ったなら、J自らが原因だと言っていなくなってしまいかねない。
だから、誰にも打ち明けなかった。

たとえ──Jがそれさえも考慮した上でやったのだとしても。

四章§05

そんな状態が一週間続き、今朝ミーティングが終わってすぐ、二人揃って儀式屋に引き止められた。
もしかして、とユリアは不安に思ったが、内容はまったく別のことだった。
むしろ、Jと今度こそ互いに向き合い話せる場を持てるような、内容だった。
ユリアはその話に胸を高鳴らせたが、自分まで行く理由がないと言い張る彼に、すぐさまその気持ちは重りを付けられ沈み込んだ。
表面上の理由はなんであれ、結局のところユリアと共にいたくない、という意思表示なのだ。

(だったら、私一人で行けばいい…なのに)

なのに何故、彼はユリアを一人で行かせることにも反対するのだろうか。
いっそ、潔く突き放してくれた方が、こちらも気持ちが固まるというものだ。
…ユリアはそれまで見つめていた背中から視線を外し、睫毛をそっと伏せた。


「…それにだね、君は自分のことで頭がいっぱいだろうから忘れたのかもしれないが、今は聖裁をどこもかしこもしてるように、私は記憶してるがね」

悲しそうな表情で顔を背けた少女を見ながら、儀式屋は覇気を無くした男に語り掛けた。
やや意表を突かれたのか、俯いていた男の頭が僅かに持ち上がった。

「悪魔がうろついていようものなら、ミュステリオンが黙っていないだろう。ユリアも傍目には普通の少女だ、誰も私のだと疑う者などいまい?」
「………そう、かもね」

漸く返事を寄越した彼の声は、ほんの少し安堵が交じっていた。
その理由を闇色の男は知っているから、いつもの薄ら笑いよりも濃い笑みを張りつけた。
じわり、と弱まった胸元を掴む手を、逆にこちらから強く掴む。

「っ……!」

歯を食い縛り悲鳴を抑えはしたが、相当な激痛がその腕に走ったに違いない。
そうと知って、わざと儀式屋は強く握り締めているのだ。

「では、君のために繰り返しておこう。君が、ユリアに同行して彼女の下へ行くことは許さない。いいね?」
「分かって、る…!」
「宜しい。まぁ君が、今更何をしようと、君の勝手だがね」

それだけ告げると、儀式屋はあっさりと腕を放し、更に軽くJを押しやった。
と、押された彼はそのまま二三歩後退し、自分をじっと見つめているようだった。
が、最早儀式屋にとって彼は、興味の対象から外れてしまった。
意識は次の対象であるユリアに、既に向いている。
だからJの方は一切向かず、少女の前へと歩みを進めた。
暗黙のうちに、それはJへの退室命令だ。

「さてユリア、Jとの話も折り合いがついたから、君に早速行き方を教えることとしようか……ユリア?」
「……あ…は、はい!すみませんっ」

ばっと勢い良く振り向き、次いで頭を下げ謝る人物を、真紅の瞳に映す。
少女の反応が遅く大袈裟なほど驚いたのは、意識が深いところへ潜っていたせいか。
あるいは──

ばたん、と静かな部屋に、扉が開閉される音が響いた。

──あるいは、今し方出ていった男を見ていたせいか。
はたまた、その両方か。

下らない、と思考の片隅で判断する。
それから、儀式屋はいつものような笑みを唇に乗せる。

「行き方をこれから見せるから、その場に立ってくれるかね?」
「はい……?」

と、ユリアは僅かに首を傾げながらその場に立った。
儀式屋の、微妙な言葉のニュアンスを汲み取りきれなかったためである。
教える、ではなく、見せるとは?

すぅっと、死者の色をした指先が伸びてきた。
伸ばされた人差し指だけが、ユリアの額に押しあてられる。

途端に、ユリアの中へ情報が大量に流れ込んだ。

「!」

そして儀式屋の指が離れた時、はっとしてユリアは息を呑んだ。
頭の中に流れ込んだのは、見たこともない景色だった。
しかし今、ユリアはそれを“知っている”のだ。
ずっと前から、何度もその道を通り、壊れてはまた作り出されるものを見てきた、という意識が刷り込まれている。
一度もこの足で歩いたことのない道、なのに知っている。

ユリアはその妙な感覚に戸惑いを覚え…そんな少女に、雇い主の男はくすりと笑った。
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