その、溢れ返った音の洪水は、荘厳な庭園から流れてきた。
垣根の高さは均等に整えられ、色鮮やかな花たちはそこここで咲き乱れている。
その花から発される、むせ返るほどに甘すぎた香が辺りを包み込み、それに絡まる、音色。

何という曲だろうか、激しく心を駆り立てられる曲調。
それは、この庭園の雰囲気からは程遠いもので、速さはアレグロ。

煉瓦で舗装された道は、その音の方へと連なっていた。
辿って行くと、深紅の薔薇のアーチが出迎えて円形の広場に出る。
だだっ広いそこには、この庭園に似合う淡い桃色のテーブル一脚とチェア二脚があり、そして一人の女性が腰掛けていた。

その彼女は、例えるなら──紅だった。

彼女の身を飾り立てるドレスも、彼女のシルクのように美しい髪も、彼女の濡れた唇も、その彼女の存在さえもが、紅だった。
ただ、その瞳だけはやけに冷め切ったアイスブルーで、常に氷点下の笑みを称えていた。
その視線は、テーブルに置かれた小さな置物に注がれている。
金縁の装飾が施された、丸い陶器の小箱らしきもの。
そこから、この庭園を支配する音が紡がれているのだ。

彼女はそれを、指先で優しく撫でた。
慈しむような指の動きだが、見つめる瞳はつまらなそうに細められた。

「──わたくし、聴こえてますのよ?」

ぽつん、艶やかな唇が動いた。
それほど高くはない声は、アレグロで流れる音楽をものともしない。
そのくらい、鮮明な声だった。

「きっと貴方は今、面白いことをしていると、風が笑っているんですもの」

更に激しく、小箱から音が奏でられる。
もう、曲も終盤なのかもしれない。
最後の仕上げにと、盛大に盛り上がって行く。

「どれほど、音が飽和しましてもね、わたくしの耳には届きますのよ」

彼女の調子は変わらない。
淡々と述べ続け、唇に言葉を乗せる。
そして、小箱から最後の一音が紡がれた、その時。

「当然、わたくしにも分けるのでしょうね」

彼女は指の動きを止め、突然、小箱をテーブルから払い落とした。
小箱は当然のように、重力に逆らうことなく落ちて行き──、

「……ふふっ、そう。ならいいの」

いつまで経っても、小箱が硝子片に変わる音はしなかった。
代わりに、むわっ、と香がきつくなる。
淡い桃色のテーブルの上には、何故か小箱が落とされる前と同じようにテーブルに乗っている。
彼女は、しかし、それを全く不思議に思わず、先程同様に優しく撫でた。
再び、音。
今度は小さな音色のオルゴール。

「楽しみだわ、わたくしも漸く同じ運命に巻き込まれるのよ?素敵じゃない?」

ところで彼女は、先刻から一体誰に話しかけているのだろうか?
長い睫毛を伏せ何度も頷く様は、まるで彼女の対面に誰かがいるかのようだ。

「そう…分かりましたわ、ならわたくしがいいことをして差し上げましょう…大丈夫、わたくしなら全てのバラバラになったピースを、元の型に戻して差し上げられますわよ」

彼女は小箱から手を離すと立ち上がり、空に向かって手を差し伸べた。
そして、目が無くなるほどに笑えば、春の陽射しのような声で言ったのだ。

「それが“女王”に科せられた使命でしょうが?」

きん、とオルゴールの音が止まった。