「じゃあ帰ろっか」

うーんと伸びをして、スーツと同色の帽子を被り直すと、サンはそう儀式屋を促した。
ああ、と彼が返事をする前に、魔術師は指をぱちんと鳴らした。

「そうだ、名無しクンで思い出したけど……ユリアちゃん、どうしてるのかなぁ」
「おや……気になるのかい?」

手に持て余したマーガレットを見ながら、儀式屋が僅かに驚いたように言った。
此処へ来る前、その少女が本日出向いた先のことで、彼が憤慨していたからだ。
話題にしようものなら、きっと怒るに違いないと、やや避けていたのである。
しかしサンは怒りを露にすることはなく、ただ少し詰まらなそうな雰囲気で言った。

「そりゃあさ、一人で行ったんだもん。悪いことされてないかな?」
「気になるなら、見に行ったらどうかな?」
「冗談言わないでよ。あの女の庵になんて、世界が滅ばない限り行かないさ」

口をへの字に曲げたと思うと、即座に碧の唇は向きを逆さまにした。
その変化に、儀式屋は眉間に小さく皺を刻む。

「サン……貴方はまさか」
「儀式屋クン、キミが代わりに行ったらいいんだ!」
「……ああ…うん、予想はついていたがね」
「ふふっ、なら好都合。キミも気になるでしょ?行ってあの女とお茶でもしてきなよ」
「その必要はないよ」
「どうしてさ?」

あまりにきっぱりと断言した彼に、サンは不思議そうに首を傾げた。
儀式屋は、珍しく満足げに口角を持ち上げた。

「配置すべき駒は、最初から決まっているからだよ」

一面碧の世界で、儀式屋はただそう魔術師に告げた。




暫く空を見上げた後、女王はもう落ち着いたろう少女へ顔を向けた。

「……だからね、ユリア。わたくしは貴女の言葉を信じることが出来ますの……感謝していますわ、わたくしが知りたかった真実を、伝えてくれたこと」
「えっと……あの、どういたしまして?」

何となく語尾に疑問符が付いたのは、何となくまだ納得がいかないせいだろうか。
そんな反応を返した少女に、リベラルはただ笑みを向けた。
が、それは外部からの不協和音によって、崩れ去ってしまった。
まだ温かみのあった瞳は、それこそ氷柱よりも鋭く冷たい色で、そちらへと視線を向けた。
緩やかなカーブを描いていた口元は引き締められ、紅の麗人から発される雰囲気は、触れれば凍てついてしまいそうな程だった。

「全く……なんて粗暴な…」

艶やかな口唇から吐き出された言葉は、深く憎悪が込められたような響きがあった。
彼女の後方に立つリヒャルトも、女王同様険しい表情になっている。
ユリアはその二人をやや首を傾げて見ていると、それに気付いたリヒャルトが口を開いた。

「聖裁を、ユリア様はご存知でしょうか」
「……えっと、ミュステリオンが現実世界と精神世界の平和のために、悪魔とか吸血鬼の行動の監視…みたいな」

先日、例の事件の後に儀式屋たちから説明されたことを、端折ってそう答えた。
女王は短く頷くと。

「今、それの真っ最中ですわ…わたくしのこの庭園からそう遠くないところに、悪魔街がありますのよ…この時期になると、いつもこれが聞こえてきて、嫌になりますわ」

そう遠くないということに、一瞬にしてユリアは背筋を凍らせた。
話に聞いた聖裁、それが残酷なものだというのを思い出したからだ。
この美しい花々の垣根の向こうで、激しい抗争が繰り広げられているとは、想像出来なかった。
だからこそ、此処から一歩外へ出たそこに広がる光景への、恐ろしさがあった。

紅い麗人はより一層顔をしかめて、何かを破壊する音が聞こえる方を睨み付けた。
彼女にとって、この聖裁は精神世界を傷付ける要因でもあるのだろう。

「わたくしだって、ただミュステリオンが嫌いというわけではありませんわ。彼らは現実世界を守るためにしているのですもの…わたくしと、何も変わりませんわ。でも、その方法というものが、わたくしは許せない」

胸の内に広がる嫌悪感を体の外へ絞り出すように。

「……監視なんて生温いものではありませんわ。現実世界と精神世界の平和のために、なんて大嘘もいいところよ。聖裁は、ミュステリオン全異端管理局のストレス発散……悪魔や吸血鬼たちを、傷付けるだけ傷付けるための、いい口実に過ぎないのですわ」

リベラルはそう言葉を地へ吐いた。