駅員パロ
※栄口視点
見慣れた夕暮れの田舎の風景を列車の正面ガラス越しに眺める。
進行方向を見据えて右手でレバーを動かしたり左手でつまみを捻ったり。
わずかな乗客を乗せ、ひたすら一本に続く線路の上に列車を走らせていた。
日没間際になると身を潜めるように山間の陰に沈んでいく太陽は、命の灯火を惜しむかのようにほんの一瞬、世界を茜色に支配する。
東方から藍に浸食されながらも、一時だけその存在の名残を遺していくのだ。
栄口はなんとも侘しい夕暮れの景色に意識を奪われながらも、ブレーキポイントで速度を緩める。
徐々にスピードを落としてきたところで前方に次の駅が見えてきた。
たった二両しかない列車が走る田舎の駅は、ほとんどが無人駅だ。
まばらな人影がゆらゆらと揺れる。
目前に迫る、夕日に彩られた駅で静かにじっとホームに入ってくる列車を眺めている少年がいる。
彼もまた茜色を纏っていた。
あぁ またか。
窓からの見慣れた光景にそっと呟く。
いつからだったろう。まだ日中の時間の方が長かった頃からその存在を認識していたはずだ。
彼は 来ぬ人を待っている
まだ季節は初夏。
夕暮れ刻になると見かけるようになった淡い茶色をもつ学生に、一度だけ乗らないのかと声を掛けたことがある。
その学生はただ首を振って、ここで待っているのだと告げた。
彼の姿を同じ駅で同じ時間帯に見かけるようになったのはその時からである。
時折思い出したかのようにやってきては、待ち続けている彼の姿が脳に焼きついて離れなくなった。
一体、彼は誰を待っているのだろう
リリリリ、
発車のベルが鳴る。
栄口はいつも通りに前後と車両の最終確認をして、新たな乗客を乗せた電車を走らせる。
遠ざかる小さな駅のベンチには彼の姿があった。
今日もまた何かを待ち続けているようだった。
季節が移り変わっていく。栄口は列車の運転席に立ち、変わらぬ日々を過ごしていた。時折見かける彼の姿も何一つ変わりはしなかった。
やがて山の紅葉も散りかけた頃、その機会はやってきた。
いつも通りだった日々に起きたほんの少しの変化。
最終便(とは言えまだ10時過ぎだ)の運行を終えて、駅舎に戻る。
今日の業務報告を終えてからいそいそと荷物を纏めて車に乗り込んだ。早く家路につこうと線路沿いに車を走らせて15分。
あの少年を見かける駅に差し掛かった時だ。もう電車の運行は終わったというのにぽつんと小さな影が残っていた。
もしやと思い車を止める。
駐車場から駅まではほんの10メートルの距離。小さな屋根に覆われた駅舎は白い街灯で一部だけが照らされていた。
きっとあの少年がいる、確信に近い予感があった。
駅までの短い道のりにて一歩ずつ土を踏み鳴らす音がやけに耳についた。
5段の階段を上がってホームに出る。
そこから左手の方向に先ほど見えた人物が座り込んでいた。
見慣れた制服に淡い茶色の髪。
夕日色ではない彼の姿を見るのは初めてだった。
引き寄せられるようにベンチへと近づいていく栄口の足音に、驚いたようにぱっと顔を上げた少年は栄口の顔を見てほろりと表情を崩す。
すぐ警戒心を解いたところを見ると、きっと彼も栄口の顔を電車の運転手として覚えていてくれたのだろう。
数歩の距離を置いた位置で立ち止まり、なるべく優しい声音で少年へ話かけた。
帰らなくていいの?
……そろそろ、帰ります
一つ聞いてもいいかな?いつもここで誰を待ってるの?
………
答えたくなかったらいいんだ。ごめんね
……人じゃ、なくて。
え?
ひっ人じゃなくて…勇気を待って、るんです
勇気…?
電車に、乗るゆう…き
乗り物が苦手なの?
いいえ…いいえ。…昔住んでた場所に、行く勇気
そこには何があるの?
思い出 です。忘れられない、おもいで。
でもそれを考えるとすごく胸が苦しくなる
何か、心残りがあるんだね
はい…大事な人に大切なことをいえないまま…。
だからこの電車に乗って、きちんと、伝えに行きたいんです
そう…。その人にきちんと伝えられるといいね
は、い…いつか きっと
ものの三分もない短い会話だった。
その後彼は礼を言って(なかなか礼儀正しい学生だ)暗闇の中へと立ち去っていった。一応は夜道は危ないから送ろうかと申し出たものの、すぐ近くなのでとやんわりと断られた。
その出来事以降も、夕方になるとやはりその少年はあのベンチに座っていた。
理由を知ったからだろうか、彼の姿に悲哀の色を感じとるようになった。
きっと電車に乗ることの出来ない自分を叱責しているのだろう。
あと一押しが足りなずに、ただ過ぎ去る列車を眺めている自分を。
そしてまた季節が移り行く。
吐き出す息が白く染まる頃になるとこの路線は何故か年配の利用者が増える。
そういった人々の応対や補助に回りつつ電車を走らせる。
あの駅には未だに影を背負った少年がいた。
白いマフラーに顔を埋め、じっと前を見据えている。
彼はまだ、この場から動けないでいる。
栄口は少年がどんな過去を故郷に置いてきたのかを知らない。半年も電車に乗る決心が出来ないくらいのよほどのことがあるのだろう。
それでも彼は良心と過去の間をひたすら揺れ続けている。
栄口はいつしか心から見守るようになっていた。
いつもの様に冷たい空気をかき分けて茜色に染まった駅に接近する。
いつもの様に少年の姿はそこにある。
ああ、彼はまた自分を試そうとしているのか
電車に乗る勇気はないが決して諦めようとはしない少年に栄口は心の奥底で感心していた。
遠くから少年を見つめる自分。駅に近づく列車。
そこまでは単純にいつも通りだった。
しかしたった今ホームを出てすれ違う電車との生み出す騒音に、一瞬意識を持っていったその隙に世界は大きく動いたのだ。
もう一度少年の姿を目にした時、いつもの光景はそこにはなかった。
彼は立ち上がって、まるで幽霊でも見たかのように目を見開いて真っ正面をじっと見据えている。真摯に前だけを。
何を見つめているのか、とてつもなく気になったものの、停止間際の繊細な運転操作によそ見など許されない。
きぃぃという耳障りな音と共に、ホームの隣に横たわる列車。栄口は彼の視界を図らずも遮ってしまった。
降車した客から切符を受け取り、再び運転席に戻った時にはもう向かいのホームに何の後影もない。甲高い発車ベルに急かされて、ドアを閉める。
発車前の最終確認をした時、栄口は少年の視線の先を知った。
後方をの通路を渡ってきたのだろう、階段からあの少年に近づく人物がいた。
少年はその存在に視線を捕らわれたまま動かない。
列車は動き出す。
もう一度振り返ったときに一瞬見えたもの。
それを思い出すだけで自然と口元が上がる。いつの間にか芽生えた暖かい感情をそっと胸にしまいこんだ。
その人物を目の前にして彼は笑ったのだ。
それからは駅のベンチに彼の姿を見つけることはなくなった。
ほんの少し、もの寂しい気がしたが、彼はあの日をきっかけに勇気を手に入れたのだろう。それは運転席から見守り続けてきた自分からしてもとても嬉しいことだと思う。
物語は、終わったのだ。
山には雪が覆うようになった。
あまりに雪が積もれば列車の運行にも差し支える。
嫌な時期になったものだ。
栄口は今日も定位置から外の景色を眺める。
山間からの日差しによって白と朱のコントラストがきらきらと煌く情景。
今日もまた変わらない夕暮れ刻が訪れる
end