「巻き込まれるとは、あんまりな言い方ではないかな、ミシェル?」
「あ、いやー……別に俺、他意はなくってー…」

小声で耳打ちされた内容だったが、どうやら漆黒を纏う彼には聞こえていたらしい。
儀式屋は意地悪な言い方をしてみせたが、それ以上糾弾するつもりはないのか、慌てて弁解しようとするミシェルを片手で制すると、腕組みをして不愉快そうな吸血鬼に声を掛ける。

「それに、君にとっては巻き込まれた割りには、おまけもついていたろう?」
「……おまけ?」
「そう……ユリア、」

固まったままのユリアを呼び、こちらを向いた少女の手を取る。
そのまま手の甲に彼は、鼻を近付けた。

「これだけ彼女の香りが強ければ、何も問題なかろう?」
「え?香り??」
「詳しくは、本人に教えてもらうといい。私は先に帰るとするよ」

闇に埋まるルビーを不気味に煌めかせると、見る間に儀式屋は闇へ溶け込んでしまった。
彼が居たはずの空間にはもう何もなくて、手を伸ばしてみても掴むのは、空気だけだった。
本当に帰ったのだと理解すると共に、ユリアはJへと顔を向けた。
それを待っていたかのように、彼は不満そうだった表情を打ち消した。

「……どうしてあのミュステリオンの奴らが、ユリアちゃんを捕まえようとしたか、覚えてる?」
「……匂いがどうとかって、言ってましたけど」
「そう。ユリアちゃんは今、あの女王様と似た香りがしてるんだ。彼女の庭は、すっごく独特の香りがあるだろ?あれ、身体中に染み込んじゃうんだってさ。で、儀式屋みたいな奴ならその匂いもすぐ消せるんだけど、それは特別。普通は暫く消えないんだ」

一歩Jがユリアに近付き、無造作に伸ばされた少女の髪を一房掬うと、そのまま本人へと差し出してきた。
試してみろ、という意味だろう。
素直にユリアはそれに従ってみたが、すぐに怪訝な顔になる。

「……何の香りもしませんけど」
「だけど俺のような吸血鬼や悪魔からすれば、この距離だとかなりしてるよ」

している、と自らの鼻を指先で押さえてみせた。
人間よりも鼻のいい彼らには、あの女王の庭の甘やかな香りがしているのだろう。
と、そこまで考えてユリアは、小首を傾げた。

「それで……えっと、つまり…?」
「Jが本当に近付いて大丈夫って意味さー」

ユリアの疑問に、軍服姿の彼が答えた。
その言葉の意味をゆっくりと理解して、もう一度ユリアはJを見た。

「ごめん、もう大丈夫だから」

犬歯が覗く口から出たのは、彼が助けに来た時に聞かされたのと、同じ言葉。
あの時は何とも考えていなかったけれど、この言葉の意味を今ならば確かに理解出来る。
あ、と言う間にユリアの大きな瞳からは、ぽろぽろと涙が溢れ出した。

「あーあー……また泣いちゃって」
「だっ、て……う、Jさぁん…」
「ん、よしよし」

泣きながらも必死に笑う少女を、Jは優しく抱き締めた。
彼自身も少女の言葉に照れ臭そうにはにかみ、ぽんぽんとユリアの背を叩いた。
そんな二人を近くで見ているミシェルは、見てるこっちが恥ずかしいだの何だのと喚いていた。

「だったらお前が帰ればいいじゃないか」
「うわー……全部終わったら俺は用済みってかー?人使い荒いなー」
「感謝してるってば。お前がいなきゃ、計画崩れするとこだったし」
「……分かってるよー。それじゃ、お邪魔虫は退散するよー」

じゃあまたねー、と相変わらずの調子で彼は言うと、手をひらりと振って文字通り退散した。
二人きりとなった廃墟は酷く静かで、だが決して気まずいものではない。
心地よい静寂に二人して身を任せていたが、漸く泣き止んだユリアが顔を上げた。

「目、真っ赤だよ」
「……、Jさんのせいですからね」
「そうだね、うんうん、俺が全部悪かったよ」
「……もう、本当に大丈夫なんですよね?」
「本当だよ」
「良かった……」

ぱっと花が開いたように笑った少女に、Jも心なしか安堵の表情を見せる。
それからユリアの手を取り小さく引くと、帰ろうか、と声を掛けた。
それに対してユリアは、元気に頷いた。
もう何の隔たりもない笑顔を、二人は向け合い、出口へ向かう。
薄暗い空間から抜け出した二人を、茜色に染まりかけた光が、優しく煌煌と照らしていた。



To be continued...