空は晴天。
太陽が地面を照り付けている。
なのに、どうしてあの“できそこない”が、真っ昼間からいるのだ!?

「ヤス」

急激に緊張感が高まったためか、アキが不可解そうに名を呼ぶ。
ヤスは、声には出さずそっと窓の外を指差した。
その指示に従って窓へと近付き、眼鏡の奥の目を凝らす。
ヤスは小声でアキへ囁く。

「おかしくないっすか、こんな昼間からなんて」
「………」
「きっと、これが旦那の言ってたやつなんすよ」
「………」
「俺、様子を見てくるっす」
「……ヤス」

今にも出て行こうとした彼を、アキは彼の腕を掴んで阻止した。
ヤスが振り向くと、アキは外へ目を向けたまま、派手な頭を左右へ傾けながら尋ねた。

「何が、見えた?」
「え…何がって…ほら、アキさんの真正面に、白いあれが…」
「いない」
「は?」
「いない」

意味の分からない回答に、ヤスは一瞬理解できなかった。
それから再度窓の外を見直す。
白いあれは、やはりいくつか集団になって、『儀式屋』から100メートルもないところにいる。
どれだけ目が悪くても、見えるはずだ。

「いや、アキさん…ちゃんと、いるっすよ」
「いない」
「でも、本当にそこにっ」
「……俺には、見えない」

耳を疑うとは、こういうことをいうのだ。
のっぽの青年は一重の目をぱちくりさせた。
アキは、珍しく焦点を合わせて外を凝視しており、微動だにしない。
確かに窓の外を見つめており、決して見えていない訳ではない。

「何で…だってあんなに…」

ヤスには相変わらず、白いできそこないが蠢く様しか見えない。
あんなに、あんなに気持ち悪い白い、あれが。

「俺には……、俺しか、見えない」
「え?」

本日何度目か、ヤスは思考が停止しかけた。
アキには違う何か─彼の言葉を信じるなら彼自身─が見えているらしい。
唖然としてアキと窓を交互にヤスは見遣る。
生気のない目は瞬きすることなく、それきり無言で観察している。
やがて、アキは合点がいったのか、突如ヤスを振り返った。

「術者が、いる」
「は、術者?」
「お前には、できそこない。俺には、俺自身」
「……えーと、つまり?」
「見たくない、ものが、見えている」
「見たくない、もの…」

同僚の発言を、ヤスは繰り返した。
途切れ途切れなアキの言葉から類推するに、何者かが自分たちに見たくないものを見せているらしい。
だとしたら、相当な性根の腐った悪趣味な輩ということだろう。
と、考えている間に、アキはバズーカを背負い直し、いち早く表へ出て行ってしまった。
ヤスを止めたのは何処の誰かと思わず突っ込みたくなるが、そんなことをしている場合ではない。
慌ててアキを追い掛ける。

「アキさ…!?」

玄関から一歩踏み出した瞬間、世界は逆転して暗転する。
瞬きする前まで、確かにそこは真昼だった。
なのに、今や真っ暗闇の中で、“できそこない”に、長身の剣士は囲まれていた。
振り返れば出てきたはずの扉は闇の中に沈み、同僚は気配ごと消え去っている。
ゆっくりと呼吸すれば、夜の空気が肺腑の奥まで染み込む。
今度こそ完全に、あれらが存在する世界だ。
どうやら、扉を境に異空間へ飛ばされたらしい。
そこまで分析して、この異様な状況から導き出される答えは、ひとつ。

(こいつらを、消すしかないってことっすか)

アキは言った、自分自身が一番見たくないものが見えていると。
ヤスに見えているのは、“できそこない”だ。
思い出したくもない記憶が甦りそうで、彼は柄を強く握り締める。
今日はなんて最悪なんだろう。
サンには心を掻き乱されるし、白いあれらを昼間から見せつけられるし。

「ほんと、犯人は覚悟するっすよ…!」

躍りかかってきた一匹目を、抜刀と共に斬り裂く。
ついでに、その返し刀で二匹目を叩き斬る。
休む間もなく近付く次の刺客は、剣を持ち直してその後ろにまでいる奴ごと貫く。
柄から伝わる感触は、ゼリーのように柔らかく、正直気色悪いとしか言えない。
“できそこない”と対峙したくない理由としては、それもある。
だが、それ以上に見たくない理由のが、上回っている。
だってこの“できそこない”は──

「うらぁあ…!」

べしゃりと地面に叩き伏せながら、意識しそうになる記憶を意図的に封じる。
代わりに、足元に絡み付きそうになるそれへ、殺気と共に刃でその身を切り裂く。
まだ残る白いあれらは、減らしても減らしても、何処からかわらわらと増えてくるようだ。
埒が明かない、とヤスは思った。
何か方法はないかと考えるが、次から次へ襲い掛かるそれらを対処するため、突破口をなかなか見出だせない。

(くそっ…早く抜け出さないと…)

自分の体力が尽き果てるまで、“できそこない”と戯れるつもりはない。
だが、何処からかぞろぞろと沸き出る“できそこない”のせいで、この戦いの終わりが全く見えない。
これでは、いつまでも店に戻ることができない。

(そうだ…店が…)

ふぅ、っと上がり始めた息を整えようとして、ふと脳裏に『儀式屋』が過る。
自分たちが出てきた今、店内は誰もいない。
侵入するなら、好都合だ。

『助けて…』
「!?」

その懇願は、何処から聴こえたのか。
はっとして見れば、“できそこない”が足に絡み付いているではないか。
それを見咎め、ヤスは光の速さで薙ぎ払った。
一瞬にして、白いそれは弾き消された。
対するヤスは、高々一太刀薙いだ動作だけなのに、肩を上下させている。
彼が“できそこない”と出会いたくない理由は、これだ。
“できそこない”に触れると、それが人だった頃の感情が意識に流れ込み、動けなくなるのだ。
畳み掛けるように溢れ出す感情が流れ込むと、憑依された相手は自身の思考を乗っ取られれ、自我が崩壊する。
そうして、やがてはできそこないの一部になってしまう。
ヤスは、そんな人間を何人も見てきたし、そんな人間を作り出した側でもある。

(嗚呼、そうだ…だから、俺はこいつらが死ぬほど嫌なんだ…)

見るたびに、自分の罪を思い出してしまう。
否、決してヤスは自分の意思でそうした訳じゃない。
サンに意思を奪われていたといえば、それまでのことだ。
だが、真面目なヤスには、そう簡単に割りきれないのだけれど。