「それより、アキさん」

無理矢理話題を変えようと、ヤスは先刻から気になっていたことを口にした。

「その格好…どうかしたんすか」

戦闘服といって差し支えないような、漆黒のエナメルの上下に、膝丈のブーツ。
背には身長以上のバズーカを背負い、肩には先ほどのアサルトライフル、ベルトには彼愛用のリボルバーと思われるものがある。
そして太ももの辺りには、オートマチックが備え付けられており、つまり彼の全身を銃器で固めている状態である。
明らかに接客用ではない。
一応警備員という役職を賜っているヤスですら、そんな武装していない。
ただでさえアキの持つ雰囲気は、危なっかしい部分があるのだが、今回の出で立ちはさらにそれに拍車がかかっている。
が、肝心のアキは全くそれに気付いていないようだ。

「変?」
「…いや、変というか、アキさんは何と戦うのかなと…」
「?無論、敵だが」
「うん、あの、それは分かるっす」

駄目だ、全く意図が通じていない。
彼は本当に敵と対峙しようというつもりで、正装しているのだ。
その考え方は間違っていないのだろう。

(じゃなくて、時と場合ってのがあるじゃないっすか!)

喉元まで出掛けた言葉を、寸でのところで飲み込む。
アキに言ったところで、また見当違いな回答が返るだろう。
そうこうしてヤスが一人葛藤していると、渦中の人物が答えた。

「招かれざる、客が、来る」
「えー…まぁ敵は招かれざる客っすけども」
「違う」
「は?違う?」
「儀式屋が、言った。厄介な奴が、来る」
「……厄介な奴?」

アキの言葉に、ヤスは片眉を上げた。
それは、3日前にヤスが儀式屋から命令された時に言われた内容と同じだ。
アキにも同じ命令をしたということは、裏返せば一人では太刀打ち出来ないということだ。
儀式屋は、余程その“厄介な奴”とやらを警戒しているのだろうか。
いったい何が、来るというのか。

「で、そんだけ武装した、と」
「うん」
「……アキさん、とりあえず背中のは置きましょう」
「……ん」

答えが出そうにない問いを頭の中で反芻しながら、ヤスは同僚の武装を一つ解除することにした。
大人しくヤスの指示に従い、アキは背中の武器を床へ下ろす。
ごとん、と重たい音が妙にリアルだ。
下ろしたアキはそのまま立ち尽くし、じっとヤスを見ている。
多分、次はどうするのか、ということだろう。

「……お客さん来るまで暇なんで、座ってていいっすよ」
「わかった」

いつもならJが座す位置に彼は腰掛けた。
腕組みをして入口を一心不乱に、あるいは意味もなく、焦点の合わぬ目で見つめる。
あまりにも重々しい武装でそこに居座られると、そこだけ死刑執行人が刑の執行を待ち構えているように見える。
通常、この店に訪れるような客など、大概まともな輩ではない。
“儀式屋”とは、本来儀式を執り行いたい者に、場所から道具一式まで貸与するところなのだ。
まともな輩など、ヤスはこの二十年、見たことがない。
だが、そんな奴等ですら、きっとアキを見たら驚かずにはいられまい。
それほどまでに、今の出で立ちは、ない。

「……厄介な奴って…どんな奴なんすかね」
「さぁ」
「でも、アキさん、そんな格好するなら、何らかの心当たりはあるんすよね?」
「ない」
「……そうっすか」

期待はしてなかったので、そこまで大きく落ち込みはしなかったが、それでも多少落ち込みはする。
何ともいえない気持ちで、ヤスは窓から見える世界をぼんやり目に映した。
昼間の精神世界は、いまや夏真っ盛りだ。
太陽は南中を指す程に高度を上げ、外気温はバカ高いだろう。
陽炎とまでは言わないが、それが見えそうな雰囲気ではある。
このまま行けば例年通り、まもなく精神世界は、あり得ないくらいの猛暑に突入するはずだ。
うだるような暑さは、実はヤスはあまり得意ではない。
基本的に屋内勤務だが、まれに外出することもある。
この季節を思うと、外出するのを躊躇う気持ちが芽生えてしまう。
意外と取られることが多いが、武闘派であってもアウトドア好きというわけではないのだ。
窓から見渡す限り、晴れ晴れとした空が、この上なく妬ましい。
現実世界と精神世界の境界にある『儀式屋』の周囲には建物がないため、余計に空が開けているのだ。
春なら、喜んで大歓迎なのに、夏はただ暑いだけでかなわない。
そんなことをいうと、大抵Jは見た目にそぐわないとからかうのだけれど。

(…Jは、巧く潜入できたっすかね)

もう一人の同僚に課せられた任務は、二区で──否、悪魔街で起きている異変を、突き止めることだ。
儀式屋は二区と限定したが、事態はその範疇だけで収拾するなどとは思えない。
全体を見なければ、その一点の違いは分からないし、その逆もまた然りだ。
ただの聞き込みなら、それも容易かろう。
しかし、本来的に悪魔街に入ることは禁止されている。
加えて、今の情勢から鑑みるに、緊張感が高まる悪魔街を、ミュステリオンが放置するはずもない。
だからこその潜入調査となるわけだ。
真っ向から突っ込むヤスには、土台無理な任務である。
真っ直ぐ過ぎるヤスは、騙るための演技が出来ないのだ。
正面からの戦いには自信があるが、駆け引きやらややこしいものは、自分の担当外だと決めている。
Jも気質はヤスと同じはずなのだが、彼の場合、言い方は悪いが、人を騙すことにはヤスより長けている。
それゆえ、Jが選ばれたということだ。
その任務を負った彼は、恐らくかなり意気込んでいる。
一日でも早くこの事態を終息させ、ユリアを此処へ戻って来させるために。

『私だけが、邪魔者みたい』

腕の中で泣いた少女の言葉が、リフレインする。
儀式屋の行動には意味があるのだと、説き伏せることは簡単なことだ。
賢いあの子は、こちらが意図することを読み取り、納得しようとするのだから。
だけど、それはいつしかユリアの心を、壊してしまうことになる。
儀式屋は残酷にも、すべてを奪いながら、感情だけは奪わなかった。
彼は、所有物たる自分たちに感情を許したのだ。
いっそサンのようにすべてを奪ったなら、思い悩まなくて済んだのに。

『儀式屋は、決して優しくない』

もう何度、此処で先達から聞いた台詞だろう。
彼は優しくない。
優しいと勘違いしてしまうのは、儀式屋の利益と自分の願いが重なった時だけ、彼がその力を貸すからだ。
逆に利害が一致なければ、彼は力を貸さないのだ。
本当に優しいのならば、そんなことは関係ないはずだと、ヤスは結論付けている。
だから、優しくない彼は所有物に感情を許す一方で、彼自身はその感情の機微を理解しない。
理論上「こうなるだろう」ということは、きっと理解している。
だが、それはあくまで教科書の内容をそのまま理解しただけで、感覚的な部分での理解はない。
傷付ければ傷付くことは分かっていても、何故傷付いたのかまでは分からないのだ。
それは優しさなどでは決してない。
むしろ、無責任もいいところだ。
でも、それでも──ほんの少しだけ、期待してしまう。
儀式屋は、自分たちが思っている程、酷くはないはずだと。
あの決断は覆らないが、その先までも非情なものだとは思わない。
…だから、人を信じて拒否できなくなってしまうのだけれど。

「──!」

長らく思考を沈めていたが、視界に捉えたものを認識して、突如ぞわっと全身の毛が逆立ち急激に意識が覚醒する。