生まれ変わって17年、勉強ってやらねぇと出来なくなるものだと知っていた。
「足し算と引き算と掛け算と割り算なら出来るぞ」
あと分数。
そう言い切った文次郎に、しっかりしてくれよ会計委員長!とツッコミが入るのも仕方ない。
「むしろ会計委員だったからこそそれだけは出来るといったところか…」
何事も涼しい顔でこなす仙蔵も、今回ばかりは悩ましく頭を抱え込むと大仰に溜息を吐いた。しかし気持ちは折れていないらしい。これで少しは諦めを見せるかと思っていたのに、思い通りにはいかなかったことに文次郎は内心で舌を鳴らした。
今まで不良街道まっしぐらだった文次郎に今回、大川学園大学部を受験させることを承諾させた。させた、というのは半ば脅しである。恐喝である。同情を引いた三文芝居もあった。文次郎のお勉強会の場所として提供された学園の図書室に、こちらも無理矢理連れて来られたひとつ下の後輩たちは、そんな先輩たちの本気っぷりに文次郎にこそ同情している。他校の図書室に連れ込まれた彼は大変居心地が悪そうである。めちゃくちゃ警戒している。一匹狼レーダーが再びその存在を擡げてきている、ような気がする。しかしどんなに逃げ出したくても彼を囲む先輩たちが逃がしてくれそうにはない。
仙蔵たちはどうあっても文次郎に同じ学校に通ってほしいらしかった。巡り合えなかった時間の分その執着は強い。少しでも一緒に居たい、とその気持ちが先走っているようだ。一方で文次郎は、過去世のしがらみから彼らを避け続けていたことに罪悪感があるようで、あまり強くは出られないらしい。本当なら逃げたいところだろうに、大人しく机に落ち着いているのはそれが一番の理由だろう。彼とてかつての同級生たちと一緒にいたくないわけはないのだろうがしかし、如何せん勉強に臨む前に聞かされた彼の勉学敬遠の日々を思えば、あまりこの話に乗り気ではないのが分かった。
「小学校は、まあ通っていた方か。中学はそのまま繰り上がりだったんだが、そんときから突っかかって来る奴が増えてあんまり行かなくなった。今の高校は名前さえ書いとけば受かる受験だったし、試験らしい試験もしねぇしな」
だから勉強はさっぱりだという彼は、本当にあの潮江文次郎であろうか。
「昔私に勝つために努力を惜しまなかったお前は何処へ行ったのだ!そのために一週間は平気で徹夜までしていた馬鹿なお前は!」と、文次郎の隣に座る仙蔵から叱咤の声。
「そうだよっ忍者になるって目標掲げて教科も実技もあんなに真面目に取り組んでいたのに!池で寝るのは本当にバカだと思ってたけど!」斜め向かいから保健委員長の小言とも思える発言。
「文次郎、すっごいいっぱい難しい本も読んでたじゃないか。その度に延滞して長次を怒らせてたのはばかだなあと思ってたけどなー」向かい合わせた小平太がなはははと警戒に笑えば。
「馬鹿馬鹿言うな!」
かつての同級たちのあんまりな物言いに堪らず文次郎はどんっと机に拳を叩き付けた。奮起させようというつもりなのか、いやこれは完全に馬鹿にしているだろう。
「文次郎…、図書室では静かに」
しかし放課後の図書当番中の長次がカウンターからひっそりと、それでいて逆らえない迫力で注意を寄越したので、すまん…と文次郎はすごすごその拳を机の下に仕舞った。
「つーかさあ、いいじゃねぇか別に。こいつに勉強強要しないでも」
ここに来て初めて文次郎の味方に回ったのは、仙蔵とは反対側の文次郎の隣を陣取る留三郎であった。彼の発言に、肩身の狭い思いをしていた文次郎の気持ちが若干復活する。それが見ていて分かる変化だったので、同級たちの冷たい視線が留三郎に刺さることになった。ひとりで良い子気取ってんじゃねぇ…!冷たいオーラがそう訴える。先輩たちの方がよっぽど不良くさい、と後輩たちは思った。しかしそんな後輩たちも、これが好機!と口を出すことにした。文次郎が実質忍術学園という箱に戻って来てくれるという形は嬉しいが、しかし、何故自分たちが巻き込まれているのか分からない今、ぶっちゃけ帰りたい。放課後をエンジョイしたい。
というわけでついっと手を挙げた三郎が、彼らの会話に割って入った。
「あのー、潮江先輩は今生では私たちと同い年ですよ?同じ学校に通えることになったところで私たちと同級生になるわけで、実際先輩たちとの時間が増えることにはならないと思うんですが」
これで今日の集まりを諦めさせようとした三郎の指摘であったが、仙蔵はふんと鼻を鳴らしてそれを一蹴した。
「馬鹿者鉢屋、大学なんて遊びに行くようなところだろう。時間ならたっぷりあるではないか」
「それを先生たちの前で言ったらあんた張っ倒されますよ」
人生軽く考え過ぎである。
「いやまず俺の話を聞け!」
三郎の介入で自分の発言が流されたと、留三郎が改めて自己を主張してきた。仕方ない聞いてやろう、と全員彼に視線を寄越す。
「文次郎が勉強始めちまったら俺が文次郎と会える時間が減るじゃねぇか!」
「そこか」
だって思い出してみろ昔日の日々。試験期間になる度に自室に籠って勉強に明け暮れていた文次郎である。例え現在勉強大嫌いを掲げていても、こいつのこと、やるとなったらとことんやる男は恋人との時間なんてぞんざいに投げ出しちまうんだあああああ。
しかし留三郎の嘆きは、改めて長次の「図書室では静かに」の注意で抑え込まれた。机に突っ伏す彼に、隣の文次郎がどうしたものかと視線を泳がせている。
それはさておき。
今度は勘右衛門が手を挙げた。三郎が遠回しに今日の会合を解散させようとしたわけだが、遠回しが先輩たちに通じるはずがなかった。ここは単刀直入に行こう。
「俺たち、要ります?」
いや本当、呼ばれた意味が分からないんです。むしろ会計委員会に泣き付かれました。田村に文句を言われました。自分たちだって会いたいのに先輩たちばっかり!彼らには先輩の勉強の邪魔になるからーとやんわり伝えて帰したけれど、でも本当、呼ばれた意味がまったく分からないんですけど。
きょとんとする後輩たちに、ふむ、と顎に手をやった仙蔵が、得意げに口元を擡げた。
「私なりに文次郎へ勉強を教え込む、最良の人材を考えたのだ」
学園どころか全国模試にも名前を連ねる立花先輩だけで十分でしょうに……いやでも。それはそれで文次郎の負担がすごく重くなりそうだと、想像した自分たちの頭がすごく重たくなった後輩たちだった。
そんな彼らのことなどおかまいなく、仙蔵が堂々と告げる。
「まず理科は私が担当する。それから国語が長次だ。」
カウンターの方から、長次がふと視線だけ持ち上げた。
「それから知っているぞ不破、尾浜。お前ら英語の成績が良いそうじゃないか」
「えーとどうでしょう…僕より三郎の方が良いと思いますけど」
「英語出来たら外国のお姉さんにも声掛けられるかなあって」
遠慮がちに苦笑を返した雷蔵とは違い、勘右衛門、ぶれない。ここでそれを言えるお前はすげえよ…と八左ヱ門は口元が引き攣るのを感じた。
「というわけでお前たちには英語を担当してもらいたい。そして久々知、お前は算数しか出来ないこいつに数学を叩き込め」
「はあ…」
曖昧な返事しか出来ない兵助と、悪かったな算数レベルで…と苦虫を噛み潰した文次郎。
「で、社会はオールマイティーな貴様だ、鉢屋」
「よりによってそんな教えにくい教科を…」
三郎の口にも苦虫が放り込まれたところで、五教科の担当は決まってしまったわけではあるが。集まった人数と、伴わない――次に仙蔵はあっさり言い切った。
「ああ、戦力外のお前らは帰っていいぞ」
「早々に帰りたいとは思ってましたけどそんな理由だと悲しくて帰るに帰れません…」
あっさりしているのに否それでこそぐっさり来る台詞である。ハチは生物得意じゃない!ねっ、と雷蔵が慰めてくれはしたが、生憎生き物が得意なだけであって教科としての生物は……うんまあそんな感じである。
落ち込む八左ヱ門とは対象して、伊作がひっどーい!と声を上げた。
「僕保健体育なら学年トップなのにっ」
「それがセンター試験に導入されてから文句を言え」
だいたい保健体育なんて誰も必死こいて満点取りに来ないだろうが。とはいっても伊作の場合勉強しているわけでもなく、知識として既に備わっているものだと思われるが。保健体育の授業で先生よりも的確に人工呼吸やら心臓マッサージやら応急処置を完璧にこなしてみせた、安定の保健委員長であった。
伊作に続いて名乗りを上げたのは小平太で、「私も体育なら自信あるぞ!」と体育委員長の様を主張する。
「お前の体力も今回役には立たん」
同じように衝き放した仙蔵ではあったけれど、小平太はさらに続けた。自信満々に。
「立つもん!文次郎っ、一緒にバレーの特訓だ!それで来年総体に出ろ!!」
「ああ、スポーツ推薦ですか…」
「これはスポ根ではない!」
勉強を教えるよりもむちゃくちゃじゃないか!と声を荒げた仙蔵だったが、あれ?文次郎?と文次郎の方を窺った小平太が小首を傾げるものだから、ん?と自分も隣を見やった――見やれば、文次郎、留三郎の肩に寄り掛かって熟睡中である。
「え」
それを咎めないどころか御満悦な様子で肩を貸している留三郎も留三郎だが、話題の中心であった本人が今このタイミングで寝ていることに、しかもそれがかつて平気で不眠不休な日々を送っていた会計委員長だっただけに、皆その意外性に目を丸くした。
「、ってこら、文次郎、寝るんじゃないっ」
ちょっとばかし虚を衝かれたが、はっと我に返った仙蔵がその肩を揺すりに掛かる。しかしその行為に、いや待て待てと留三郎がストップを掛けた。
「こいつずっと昼夜逆転の生活してきたみたいでさ、昼間すっげぇ眠いんだって」
「はあ?」
文次郎曰く、家には帰れないこともあるとのことで。そんなとき普段は与四郎の部屋に厄介になっているが、彼が当てにならない日もある。そうなると寝る場所はなく、だから夜に活動することが増え、基本昼間は学校の屋上で寝ていることが多くなったとかなんとか。そりゃあ勉強も出来なくなる筈である。
「最初の頃は気ぃ張ってたみたいなんだけど、でも最近はデート中も居眠りが……まあ寄り掛かられるのは良いんだけどなあ」
語尾にハートたっぷりな惚気はこの際置いておいて。これは勉強以前に生活態度から改善する必要があるのだと、仙蔵は覚悟を決めた。先程留三郎に止められた手を、もう一度文次郎の肩へ伸ばす。
「文次郎、起きろ」
「ん、」
すぐに浅い眠りから覚めた文次郎は、だけども周りの視線も気にしていない様子で欠伸を零した。まったく何処でそんなマイペースな性格になってしまったんだお前は。
「文次郎、よく聞け」
「何だよ」
迫る仙蔵の真剣な瞳に応え、文次郎も眠気を取り払って彼に向き直った。
「お前は大学に行くべきだ」
「、だから、今からじゃ到底詰め込めねぇよ」
どうせ算数までしか出来ない自分である。案外先程言われた一言が引っ掛かっている文次郎は、ふんとそっぽを向いたが、不貞腐れたそんな態度にめげず、仙蔵は文次郎の後ろを指差した――俺?と指差された留三郎が小首を傾げる。
「この男に甲斐性があるように見えるか?」
「はい?」
「いや甲斐性はあるかもしれんが、人が良いこいつのことだ。いらん事ばかり背負い込んで、お前が苦労するのは目に見えている」
「ちょっと仙蔵さん?」
「こいつでは到底、お前を養ってはいけないぞ。お前がしっかりするしかないんだ!」
「オイそういうこと言うなよおおおおおお」
留三郎の絶叫はやはり長次に咎められた。そんな彼にお構いなし、仙蔵がどこから取り出したのかさっと数枚の紙切れを取り出す。
「ここに中間の留三郎のテストがある」
「っ何で持ってんだ!!」
それは親に見つからないように学校のロッカーの底、教科書の下に沈ませておいたのに!
あわあわあわと仙蔵からそれらを取り上げようとした留三郎だったが、さらりとかわされたどころか文次郎まで連れ去られた。文次郎の手を引き椅子から立たせた仙蔵は、彼を図書室の端っこまで連れて行く。追いかけようとした留三郎は小平太に押しやられ、そんな小平太始め伊作とわざわざカウンターから移動してきた長次、興味本位でついていった後輩たちにより、仙蔵までの壁を作られてしまった。仙蔵が文次郎と野次馬たちに見えるように、ひっそりとそれらを御開帳。あああああああと叫んだところで、声で視覚は奪えない。
「………」
一瞬沈黙が降りた後、「仙蔵、」と文次郎が口を開いた。
「明日から頼む」
「任せろ」
にっこりと笑った仙蔵とは対象して、ずんと図書室の床に気持ちがめり込む留三郎であった。だって恋人に頼りにならない烙印押された…!!
「あ、あのー食満先輩?でもぶっちゃけ俺とあんまり変わんないですよ…?」
「そうだよ留三郎ーっ、こないだ名前書き忘れて殆どの教科が0点になった僕より全然マシだよお」
「うん、というか私より良かった!」
捨て身の慰めを受けて(竹谷以外のふたりは素で危機感がない様子だったが)、留三郎は思った。でもお前ら全員、仙蔵に戦力外通知出されてたじゃん…と。
「しかし本当のところ、うちの大学って外部から入るとなると偏差値どんなものなんだ」
「んー僕ら中等部から入ったからねぇ、あんまり意識して来なかったけど」
「というか学園長に言ったら潮江先輩のこと、かるーく入学させてくれるんじゃない?」
「勘右衛門、それって裏口入学って言わないか…?」
潮江なら何とかなる。筈。
素で将来も留三郎と居るつもりの潮江さんが書けて満足です。いや書けてるのか?微妙なところだがこのグダグダ感じゃ。
でもとりあえず書きたかった勉強出来ない文次郎とマイペースな居眠り文次郎が書けて楽しかった。
この文次郎は喧嘩のときだけギンギンというかギラギラというか目に生気が戻るというか←
普段はぼけっとしてると思う。
あと他校入校の許可は小松田さんに取ってある筈。