精神世界にも季節がある。
柔らかなベールが世界を包み込むような陽光が射す、麗らかな春の気候。
地を焼き尽くすかの如く燃えるような熱さと、突き抜ける青が眩しい夏。
この二つの季節が、延々と繰り返されるのだ。

穏やかな春が終わり爽やかな風と共に夏が訪れる。
真夏という程ではないが、外に出れば春の空気ではないそれが肌を刺激する。
だが室内となれば話は別で、それらを感じることはない。

「やれやれ、嫌な季節に移り変わったものだね」

執務机に向かい愚痴を零したのは、死者のような白い顔の儀式屋だ。
眉間に小さく皺を刻むその顔は、珍しく不愉快さを滲ませている。
それに対して、まぁ、と鏡の中の美女。

「滅多に外出しない人が、言う台詞じゃないわ」
「アリア、私は別にそのことを言っているわけではないよ」
「あら、じゃあ何かしら?」
「暑い暑いと煩く喚き立てる輩が、現れる頃だということだよ」
「……ああ、そういうこと?てっきり私、貴方が暑いのが嫌だって言うと思ったわ。それなら坊主にしたら?って提言したかったのに」

ころころと鈴を転がすように彼女が笑うと、咎めるように彼は彼女の名を口にした。
佳人が口元に微笑を残して謝罪した直後、

「で、俺様はもう話させてもらえるのかな?」

いい加減待ちくたびれたような声が、二人に問い掛けた。
儀式屋は不満そうだった顔を、いつもの薄ら笑いに変えた。

「おやおや、不服そうな顔だね」

相変わらず濃い隈が塗りたくられた目は、指摘通り不満そうに細められて、儀式屋を睨んでいる。
執務机から数メートルの距離をもったところで腕組みをする彼より先に、儀式屋が口を開いた。

「私は、君の帰りを気遣ったまでだよ」
「……だったらさっさと済ましてくれ。無駄話をされちゃ、連れ戻された意味がないってもんだろ?」

……アンソニーの美術館での事件が一段落し、今からもてなしを受けようとしたところで、アキは急遽儀式屋に呼び出されたのである。
正しくは儀式屋の“影”が、アキを飲み込み連れ戻したのであるが。
それゆえアキは不機嫌なのだが、実際そこまで大きく文句も言えない。
あと半時間もすれば意識が途絶えて、数時間は起きないのだ。
その自分をヤスに任せて連れ帰ってもらうのも気が引けていたため、儀式屋の召喚は有り難かったのである。
ちなみに、ユリアとヤスはまだアンソニーの屋敷だ。

「あらあら、ごめんなさいねアキ君。腕も怪我してるのに、お待たせしすぎたわね」
「女神様の謝罪はいいのさ、全然。それに、怪我はとっくに治ったさ」

ほら、とアキは羽織っていたジャケットから左腕を抜き、シャツの袖をたくし上げた。
先刻、悪魔との戦闘において切り裂かれた彼の左腕は、今や何処が切られたか分からない状態だ。
アリアだけでなく、ルビーを嵌めた主人の両目が細められたのを確認すると、アキは袖を下ろした。

「綺麗に治るわね、毎回毎回」
「まぁな、汚いのよかいいだろ?」
「そうね。ボロボロのアキ君は、私は嫌だわ」
「そりゃ有り難いぜ」

鏡の中の女神の言葉に、アキの表情は若干和らいだ。
それを敏感に察知した彼女は、我が子を見るような眼差しを彼に注いだ。
長年彼と接しているアリアだからこそ、些細なアキの変化に気付けるのだ。
几帳面に袖を直しジャケットに腕を通すと、若干機嫌がよくなったアキは、儀式屋をその昏い瞳に映した。

「で、何から報告が必要?」
「ふむ……君に任せよう」

薄ら笑いの口元を組み合わせた手で隠しながら、儀式屋は答えた。
そうかい、とアキは呟くと数秒間黙した後で口を開いた。