「許せなーい!!」

銀髪の魔術師の悲痛な叫びが、『儀式屋』中に響き渡った。
その叫びは窓硝子を戦慄かせ、棚に乗せられた花のない花瓶を揺らし、金髪の美女がいない鏡を震えさせた。

「……サン、此処で叫んだところで、埒が明くとは全く思えないのだがね?」

それにさして興味もない風な漆黒を纏う男は、優雅な手つきで紙に何事かを書き込んでいた。
紙面に次々と生まれる流麗な文字を最後まで綴り終え、そこで改めて不機嫌面のサンを見つめた。
その長い銀糸こそ逆立ちはしていないが、身体中から発されるオーラは、今にも爆発寸前の風船のように張り詰めている。

「これは埒が明くか明かないかの問題じゃないんだよ、儀式屋クン!あの女、僕が困るのを見て楽しむつもりなんだ……許せなーい!!」
「サン、彼女はそんなこと」
「するとも儀式屋クン!いーい?あの女は、キミの前ではさもしおらしく振る舞ってみせるけどね、僕の前じゃあそんな様子を見せたことなんか一度もないね!」

そう啖呵を切れば、机を挟んだ向こう側、相変わらずの薄ら笑いしか浮かべない男を睨む。
細い髪の隙間から覗く翡翠の瞳へ、儀式屋は静かな声で諭すように。

「まぁ彼女もそうしたところはあるが……だが私は今回、大いに楽しませてもらった」
「……そりゃキミは自分の計画通りに運んだから楽しかったに決まってるさ……僕だって、その点は別に気にしていないし」

やや不服そうにしながら、それでも先程よりかは落ち着いた雰囲気になる。
だがそれは、気紛れな猫が一瞬爪を引っ込めたようなもの。
直ぐさま爪を剥き出して、闇色の男に鋭利な爪痕をつける勢いでまくしたてる。

「けど、やり方が汚いんだよ!お陰で僕は、ユリアちゃんに近付けなくなったじゃないか!!」

艶やかな色の机を叩きつける銀の魔法使いにばれぬように、儀式屋は小さく口角を持ち上げた。

「……別に貴方は、彼女の匂いが駄目だという訳ではないだろう?」
「それが何だって言うの!?僕は、そういうこと言ってるんじゃないんだよ!」
「サン、」
「卑怯なんだよ、ルールだからってやっていいこと悪いことはあるはずだよ!」
「……ああ、そうか。貴方が何に不満なのか、やっと分かったよ」

わぁわぁと喚きたてるサンとは正反対に、落ち着き払った声音でそう述べた。
その儀式屋の言葉に、魔術師は口を閉じると腕を組んで不機嫌そうな視線を飛ばす。
そんな彼に、儀式屋は唇に乗せた笑みを深めた。

「ユリアがこれから、彼女の匂いを保つために定期的に行かなくてはならないのが、貴方は不満なんだ」

……Jとユリアの不自然だった距離が、リベラルと会った日を境にぐんと縮まった理由。
それは、Jがユリアと儀式屋の血の臭いを、しっかりと区別出来るようになったためだ。
区別出来るようになったのも、ユリアの中にあの彼女の匂いが染み付いたから。
そのお陰でJが誤ってユリアを食す危険も回避されたのだが、代わりに定期的に、リベラルの屋敷を訪ねなければならない。
女王の香りは長期間保てども、恒久的ではないのだ。
当然のような理由だが、それがサンは気に食わない。

「ああそうだよ、そうだよ!あの女、そのままユリアちゃんを手込めにしようって魂胆だよ!!あの臭いを嗅ぐだけで、あの女の顔を思い出してしまうと思うと……!」
「……サン、前々から思っていたことなのだけれどね」
「何っ!?」

心の底から沸き上がる怒りにわなわなと震え、その勢いのまま問い返したものだから、声に凄味が掛かっている。
らしくないよ、と言い置いてから儀式屋は死者のような顔にかかる黒髪を跳ね上げて。

「……リベラルの何がそんなに嫌なのかね」
「愚問も愚問だね儀式屋クン!そんなの、言うまでもない!」

これ以上ないほどに声を珍しく張り上げると、吸い込んだ息の全てを怒声に変換させて答えてみせた。

「あの女の全てが、この上なく愛しさと同じくらい憎いのさ!」

銀髪の魔術師は、旧友にリベラルへの歪んだ愛を吐き出した。