「まさか。貴方を置いて企もうなんて、私には畏れ多くてできないよ」
「本当に?だったらいつ帰って来るのさ」
「さて、それは彼女が満足してからだよ」
「あるいは、君の用事が終わったら?」
「……サン、なら聞くが、貴方は私が何を隠していると思うのかな?」

随分と疑り深い魔術師にそう問うてやると、彼はそうだねと一拍おいてから答えた。

「君こそが、世界の敵になろうって、してんじゃないのかな?」

一瞬、その場の時間が止まった。
間をおいて、儀式屋は思わず声を立てて笑い出した。

「くくっ……面白いことを言うのだね、貴方は」

サンは、そんな儀式屋を不思議そうに見つめた。
本人としては真面目に言ったつもりだったのだ。
予想外の反応にどうしたものかとサンが考えあぐねていると、儀式屋から言葉を掛けられた。

「私がもしそうだとしたら、貴方はどうするのかな?」

ゆったりと椅子の背もたれに体重を預け、じっと魔術師の答えを待つ。
問われた本人は、暫く沈黙した。
もしも目の前にいるこの知り合いが、世界の敵なのだとしたら?
……自ずと答えが彼の中に見出され、途端に子どものように無邪気な笑顔を見せた。

「それなら僕は、君を倒すカミサマにでもなろうかな」

口にした答えは、世界を守ることとそうでないことを天秤に掛けた時、彼の中で前者に重きが置かれた結果だといえば、立派なものだ。
だが、彼はそこまで考えてはいないだろう、ただ楽しければいいのだから。
サンは満足したように笑ったまま机から降りた。

「有難う儀式屋クン。おかげでこの先も楽しめそうだね」
「それは良かった」
「でも、これで納得したわけじゃないからね。僕は僕で、これからたくさんやらなきゃなんないことがあるから、またね」

それだけ言うと、律儀に彼は扉から出て行った。
その後ろ姿を笑わぬ目で儀式屋は見つめていたが、やがて小さく溜息を吐いた。
たった今出て行った魔法使いは、どこまで気付いたのだろうか。
そして、いつまで気付かないでいてくれるだろうか。
肘を机に付いて手を組み、鼻から下を覆うようにしてあてがう。
そして切れ長の血のように赤いルビーの瞳を閉じる。
目を閉じれば、去り際にサンが放った言葉が脳裏に蘇ってきた。

“僕は僕で、これからたくさんやらなきゃなんないことがあるから”

その言葉は、明らかに自分が発した内容を踏まえた上で放たれたものだ。
手記の存在、悪魔街の反乱の兆し、ミュステリオンの裏切り者の死……それらを繋げて、何を思い、何をしようというのか。

「儀式屋?」

柔らかな声が耳朶を打ち、ふと呼ばれた彼は目を開いた。
振り返れば、鏡の中で美女がこちらの様子を伺っていた。
振り向いた儀式屋の顔を見たアリアは、あら、と声を上げた。

「よくないわ。貴方がそんな顔をするなんて」
「私が?どんな顔かな?」
「何かしてやろうって企んでる顔よ」

くすくすとアリアが花が綻ぶかのように笑った。
言われた側の男は、やれやれと肩を竦めた。

「そんなに私は、何か企んでいそうな顔をしてるのかね」
「えぇ。だからあの人にも、そう言われるのよ」
「……、おや珍しいね。魔法使いは苦手だったのではなかったかな?」

美女の意外な言葉に、儀式屋は片眉を上げた。
アリアはサンに対して非常に恐れを抱いているため、彼が訪れた場合は出て来ないのが常だ。
が、サンの言葉を聞いていたということは、姿を潜めていたとしても、その場にいたということになるのだ。
アリアは、そうねと呟いて言葉を補う。

「でも全部じゃないわ。もう帰ったかしらと思って少しこっちに来たら、たまたま出会っちゃっただけよ。それより儀式屋、聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」
「サンは私の邪魔をするのか否か、かな?」
「……、貴方ね、人の言葉を先読みするのはやめてちょうだい」
「それは失礼」

と、謝ってみせたが本心からの謝罪ではなさそうだ。
分かっていることではあるが、どうにも腹立たしい気持ちになってしまう。
はぁ、とわざとらしく溜息をついてから、アリアは先を促した。