「五…」

あくまで冷静に、低い声はカウントを始める。
彼が許した時間はたった五秒。
だが、誰一人として逃げ出す悪魔などいなかった。

「誰が逃げるものか!」
「そうだ!ふざけやがって…!」
「……四」

伸ばされていた手が、指を一本折る。

「時間なんか待つことねぇぜ!」
「三」
「今すぐ、やれぇええ!」
「二」
「全員、構えろおおお!」
「……、一」

彼の指がとうとう一本だけとなり、同時に彼を取り囲んでいた悪魔たちが襲いかかってきた。
サキヤマは、何ひとつ武器を持っていない。
それをエリシアは知っているが、手を貸そうとはしない。
このままでは、彼は一貫の終わりである。
だが、彼は全く焦燥を露わにすることもなく、怖じ気付いた様子も見せない。
ただ忠実に、最後の最後まで指をきちんと折り、カウントを続けるだけだ。
そして、終了を告げるべく口を開いた。

「零……残念です」

──その言葉を、きちんと聞いたのは何人いたろうか。
直後、青空に絶叫が迸った。


「あーあー…サキヤマのご慈悲を受けないなど、愚かにも程があるな、汝らは」

エリシアが嘲りを含め笑う。
ついでに、振り下ろされた斧を受け止め、跳ね返せばその悪魔の肩口辺りを穿つ。
そのまま力任せに、滅茶苦茶な方向へメイスを動かし、引き抜いた。
すると、悪魔の肩から先はいとも簡単に、体から切り離された。
彼の者の口からは、聞いていられないような悲鳴が飛び出す。
が、エリシアは特に気に留めもせず、ひっきりなしに驚愕の声が聞こえる方を見る。

……あの絶叫は、サキヤマのものではない。
サキヤマに襲いかかった中で、彼に一番接近していた悪魔のだ。
それを封切りに、次々と苦痛の悲鳴が耳に飛び込む。
エリシアは鼻で笑った、何だかんだでサキヤマも、所詮“全異端管理局”の者なのだ。

どれだけ規則を重んじようとも。
どれだけ自分の行動を窘めようとも。
ただ少しだけ甘いのは、きっと彼の癖みたいなものだ。

そう思い、背後から忍び寄っていた敵に一撃を食らわし、再度戦いの最中へ戻る前に、不協和音を生み出している神父を見遣った。


カウントを終える直前まで、サキヤマは完全に無防備だった。
彼に一番接近していた長髪の悪魔は、それを確認していた。
だから、手にしたサーベルで斬りつけようとした。
そして、斜めに切り裂いてやったつもりだった。
長髪悪魔は、目の前が一面真っ赤に染まるのを、想像していた。
確かに彼の想像通りの光景が、サーベルを振り落とした後には広がっていた。
──だが、予想通りではなかった。

手には、神父を手にかけた感触が確かに残っていたし、鉄臭い特有の香りが鼻孔を貫いた。
しかし、その獲物は忽然と姿を消している。
間一髪、逃げられたのか、と考えて悪魔は地に落としていたサーベルを拾おうとした。
そこで彼の思考は、一瞬にして凍てついた。

何故、サーベルを落としている?

人間を一人、それも無防備な相手を斬っただけなのに?
いや待て。自分は何か大変な勘違いをしているのではないか。
そう意識した途端、悪魔は見てはならぬ物を認識してしまった。

サーベルの、柄にくっついている、肌色の──

「あ、あああああああ!!!??!」

悪魔は口をがばっと開け、あらん限りの声を上げた。
パニックと突如訪れた痛みに思考を支配されるも、その片隅で真実を彼は理解した。

斬り付けた、のではなく、斬り付けられたのだ。

サーベルを握っていた手は、手首から先を綺麗な断面を見せて地に落ちている。

何故、何故、何故!?

とめどなく溢れだす血液はどうしようもなく、地面をただ汚していくだけである。
どす黒く、彼の苦痛や疑問を巻き込んで。
しかしそれは、彼だけに起きた現象ではなかった。
彼が悲鳴を上げた後、同じような声が周囲を取り込んだ。

「期待は、していませんでしたがね…」

それに紛れて、涼やかで物悲しい響きは、自分たちの背後から聞こえた。