アラサーになりまして

きのう、25歳になりました。家族にお祝いしてもらい、大量のプレゼントを抱えながら、ひとりの家へ帰ってきたら静かな部屋にさみしさを感じた。ありがたいなと思った、家族が多いことを。この家に生まれたことをうれしく思った。

祖父と父のお墓参りに行ってきた。お墓に刻まれた名前を見ながら、ああ、ほんとにこの世界にいないんだと何年も経つことのに実感させられた。死んでから気づいても遅いことを、生きているからこそ感じられる喜びもつらさがあることを。だいすきな祖父とあまりすきではなかった父。記憶からはきえることはなく、永遠にあたしのなかで生きつづけるのであろう。

いろいろとあった、近ごろ。彼とはなんとも言えない感じを保ちながら今年も終わろうとしている。これでいいのかと自問自答を繰り返す日々が、きっとよくないことを知りながら答えを出せず、過ぎてゆく時間は有限なのにと後悔する。同棲とか結婚とか子どもとかしたいし、ほしい。将来性を感じたいし、叶えたい、実現させたい。このままではいけない。つらくても覚悟を決めて、選びとる。だって、これは、あたしの人生だから。この世界からいなくなるまで、あたしはあたしでしかないのだから。

帰ったら、ハグして

話題:幸せを、ありがとう。

出会って数年経ってもなお、すきという気持ちが薄まることはなく、ただただ、だいすきになっていくばかりで困ってしまう。近ごろは、いろいろな彼のことを知れて、彼の地元で過ごす時間は大切なものとなっている。引っ越してきてよかったなとおもう回数は増えていた。だからこそ、続けたい。守りたい、この暮らしをとおもうわけで。やれることは、やってみる。後悔するよりは、足掻いてみる。あたしにとって、彼と過ごす時間は、本物だから。世間のひとたちのようにうまくは生きられなくても、お金がなくても、スペックが低くても、笑われても、一度きりの人生を世間のために生きたくない、費やしたくない。限りある時間もお金も命も、どうでもいいものに使えるほど持ってないから。すきなひとたち(恋人や家族)と過ごせる時間を尊重したい。

彼と過ごす時間は、キャラメルのようにあまい。ケラケラと笑ったり、真剣に話したり、前より進展したかなと実感する。引っ越してきて、あたし自身はいろんな葛藤や不安、孤独があったし、今も完全には拭いきれてはいないけど、近くにいられることはうれしいもの。同棲する日を待ちながら、あなたの腕のなかで眠る。離れられなくなればいいのに、ひとりにしないでって言ってくれたらいいのに。

しあわせは、築くもの

話題:ひとりごと

しとしと、と雨降る。10月も半ばに差しかかり、秋より冬の気温を漂わせる。さむい、とニットを取りだして、コートを羽織った。すっかりと季節は移り変わったなと肌で感じた。季節も時間も一定の速度でながれて、時代も進みつづける。環境もガラリと変わり、付き合う人間も変わり、これが巷で言われる歳とともに変化する人間関係なのかと実感した。同棲した、結婚した、こどもが生まれた子もいるなかで、仕事をバリバリして、ひとりライフをたのしむ子もいるわけで、自分は中途半端な位置にいるなと感じた。周りと比較しては、落ち込んで、おなじようなことを真似てみてもうまくできず、結局のところ、あたしはあたしにしかなれなかった。それでいいのかと妥協とはちがう、肯定をできるようになったのは、今日会った友人のおかげだろう。キャリア女子の彼女と自分は住む世界がちがうにも関わらず、未だにつづいている関係がふしぎで、こころのどこかでは引け目を感じて、会いづらさを勝手に抱いていた。だけど、会ってしまえばそんなこともなく。おなじようなキャリアや環境も大事ではあるけれど、実際に必要なのはそんなことよりもフィーリングや価値観だった。もちろん、そういうおなじ世界に生きるひとを好むひともいるけれど。ひとは、変わらずにはいられない生き物であるし、それは成長と呼べばいいものである。深まる関係があるなかで、離れてしまう関係だってある。それは、時に試練のようにつらさを生み、くるしくもなるが、いつかは乗り越えられる日もくるだろう。そんな、いつかがくるまでは無理せず、今、抱いた気持ちと向き合うべきなのだろう。これから先、当たり前や安定なんてないのかもしれない。それでも、あたしは信じた道を歩みたい。あたしが選んだひとたちとともに。

ナラタージュ

話題:観たい映画 気になる映画

高校時代、先生に恋をしていた当時のあたしは、ナラタージュを読み、泣いては苦しくなって、それでも、なにかをつかまえて、つかまえたくて。胸を締めつけられながらも何度も読んでいた。一生に、何度もない恋の在り方だとおもった。当時は、このひと以外すきにはなれないとおもっていた。恋とは、不思議なもので永遠を感じさせる。胸を痛めても、全身全霊で恋をする。それは、若さなのか、無知さなのかわからないけれど大事なこと。そんな時間も数年の歳月とともにながれ、あたしは先生とは別のひとに恋をしている。叶わなかった想いはいつまでも色褪せることはないこともなく(そういうこともあるときはあるけど、それは稀で)よき思い出になったり、ならなかったりしながらも止まることなく時間だけはながれてゆく。駄々をこねて、そこから動かないこともできるが、それはただの気休めで、あたしはそこに置いていかれただけで解決などはない。進む時間のなかを抗っても、仕方ない。進んだ時間のなかで出会って、育んだ関係をたいせつに。いつまでも過去に囚われていても、清々しいほどにわすれてしまったり。

どんな世界観になっているのか気になる。行定監督はすきな監督のひとりなので期待してしまう。アイドルの松潤の輪郭をどうぼやかしたのか、称賛していた有村架純のぶさいくな表情とは一体。静かな海のなかを、恋の生々しさがただようような。観に行きたいな。ひとりでひっそりと。

stand by me

話題:ひとりごと

寒さは、ひとにひとを思い出させる。会いたいとおもうひとが近くにいて、会えるのなら遠慮なく会うべきだろう。凍死でもする前に会えばいい。会いまくればいい。いつ死ぬかなんてわからないなのに、どうして、ひとは本音と建前を使い分けるんだろうかとどうでもいいことを考える。使い分けるなと言ってもあたしも華麗に使い分けているからひとにとやかく言うつもりはないわけで。早く12月にならないかな。1年のなかでもいちばんすきな季節だ。暑いよりは寒いほうがすきだし、コートやマフラー、ニットはモコモコでいとおしい。街並みのキラキラさ、行き交うひとたちのたのしさは、せつない。あたしは、せつないものがすきだ。せつないは、愛だとおもう。愛のなかにせつないは、ある。愛を感じたものだけに、せつないはある。
繰り返されるワンシーンを何度も何度も飽きもせず写し出す脳内フォルダは残酷だ。儚い、は苦手だ。儚いは、散ってしまうから愛がない。愛の終わりを告げるから、愛がない。つぎはぎされた記憶を大事に取っておくのはバカらしい。それでも、消えないのだから意味があったのだろう。どうでもいいことは、すぐに消える。風化する。朽ちて、土に還る。嫌だという記憶さえもないものは、あってもなくてもいいものだからすぐ消えるようにプログラムされているのだろうか。記憶に残るものは、あたしがなにかしらをしたもので、それだけ、どうにかしたかったことなのだろう。
せつない。雪が降ればいいのに、雪のなかを一緒に歩きたい。寒いねと言いながら手をつなぎ、どこかふたりになれる空間に消えてしまいたい。
待ち合わせをしたときにみつけてくれるのがすきだ。みつけたときにうれしそうな顔をするのはもっとすきだ。駆け寄って、名前を呼ばれるのがすきだ。その表情も声も指先もつま先もすべてが。待ち合わせって、約束がないとできないからそれだけで相手とはなにかしらの接点があるということでうれしくなる。そんな単純さをもっと、ちょうだい。約束を交わせるのは、尊い。尊いは、神聖だ。スピリチュアルだ。
海に行きたくなるのは、あの大きな海の前では自分がちっぽけにおもえるからだ。日々の退屈さや窮屈さに嫌気を感じては、疲弊し労働しなくてはならないことから解き放たれる気がするから。冬の海は冷たくて凍えるだろう。それでも、全身が洗われるように洗練されたい。ひとと話してると俯瞰していくことに気づく。ことばを紡ぐたびに驚くほどに冷静になってクリアになっていく脳内で考えるのは、話してる内容とは別のこと。なにがたのしいんだろう、茶番劇ってこういうことなんだと周りが繰り広げる日常茶飯事に呆れてく。なにかが、あたしのなかから失われた。新しいものを受け付けない。ううん、ちがう。合わないんだ。今あるものを大切にしようとおもった。今あるものこそ、地球上でやっとみつけた生存者ばりに尊いのだから。その空間だけは、うそがないから。
何度も何度も繰り返されるワンシーン。つぎはぎされた記憶のなかで、微笑むのはだれ。
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