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どうしようもないけど、そうでもない

彼とうまくいっているかと聞かれれば、そうとは答えられないけれど、わるいというほどでもない。きっとこれがふつうくらいのレベル。ようやく、ふつうくらいの一般的なレベルに到達しただけなのだろう。ここからまたよくなったり、わるくなったりしながら過ごしていく。別れたほうがいいと思うのと同時に、いっしょにいてもいいかながある。いっしょにいたいとはちがう、そんなものだろうか。彼とつきあって、何年が経つのか数えるのをやめてわからないけれど、たぶん10年くらい。結婚もせず、あたしたちは、すこしずつレベル上げをしては放置を繰り返すゲームのような関係を構築している。同棲して5年、結婚したいきもちもなく、だけど離れることもない。どこへいくにもいっしょになった分、ひとり行動が億劫になった。いざひとりで出かければたのしいのに出かけるまではもやもやする。だれかといるってこういうことなのかな。
ゴーン・ガールを観ながら、あたしもエイミーのように彼に復讐したくなるときはあるのかなと考える。ここまで大掛かりでなくても、ちいさな復讐は日々している、互いに。ゆるせないとしょうがないが融合する。あたしたちのどうしようもない日々。

あの空間を想い出にだきしめて

話題:一緒にいられる時間を大切にしよう

昔からひとりで映画はよく観にいっていた。彼きっかけで夢中になったマーベル作品をはじめ、彼とは結構映画を観にいく。あたしが観たい作品の場合も彼が観たがった変わった作品も。去年はツルネ、チェリまほをひとりで観にいき、ほかは彼といっしょに鑑賞。ひとり映画もいいけれど、やっぱり感想をすぐに言い合えるのっていいなぁっておもう。

去年観たなかでのベストは、すずめの戸締まり、SLAM DUNK。どちらも圧倒的な映像美に吸いこまれるように最後までドキドキ、感情がゆさぶられた。すずめの戸締まり、エンドロールになった瞬間のもうおわり?もっと観たい欲はすごく、観終わるのがさみしくて涙が止めらなくなった。SLAM DUNKはもう新感覚。なにこれ、新しい。最先端。漫画のアニメという井上雄彦先生にしか成せぬ技。どちらももう一度観たいとおもいながらタイミングを失っている。公開がおわるまえにぜったいにいきたい。

お家で観る映画もすきだけれど、映画館で観る映画の感動って、あのおおきなスクリーンや迫力ある音とかその場の空気感とか思い出になるのもふくめて、映画館で観られるのが期間限定のもあるからなんども行きたい作品はちゃんと足を運ぶべきなのだなと過去作でだいすきになった作品を観ながらおもう。

2023年


遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。ことしもよければ、このブログを読んでくださるとうれしいです。

去年もことしも相変わらず、彼とは喧嘩する日々。彼の性格をわかっていても言い返してしまったり、別れるとすぐ言う彼へのストレスがガツンとこころに負荷をかける。なんであんなにも容易く、別れると言えてしまうのだろう。本気でおもっているのだろうか、その真意を確かめる術をあたしは持っていない。ことしは喧嘩すくなめでおだやかに暮らしたい。



疎遠になったひととまた出会ったりするのがSNSで、再びめぐり会うことはうれしいけれど、相手の変化をかんじるさみしさもある。会おうって誘われるのもうれしいのに若さだけで会えていた無敵さを失ったあたしはもう会う勇気をあまり持てないのかも。記憶のなかのあたしのままで留めておきたい想いもある。あのころのあたしじゃない、歳をかさねて、彼はあたしの知っているひとではないみたいに自然にお店を予約しようとして、大人になっている彼のこなれ感にさみしさといまのあたしが会っていいのかという悩みを生じさせる。若かったころは、あんなにもかんたんに彼と会えていたのに。時間はあたしを臆病にした。会いたいけれど会いたくない。せフレとか恋とかそういう間柄でもないし、ただの友人なのに、会っていいのかもわからなくて恋人や身内以外の男性と会ったのなんて、親友の彼氏を除いたら数年もないことに気づく。それだけ関わりのない人生を送っていれば自信も失うわけで、あたしはほんとに彼と会うのか連絡のラリーを交わしながら、彼の提案する日時に合わなくて、また今度をしれっと匂わせてもまた別日を提案してくる彼に、あたしはもう会うしかないのだろう。年が明けてからこんな再会が待っているなんておもってなかった。もう二度と会うことなどないと、あたしと彼の人生が交差するなんて。人生はわからない。

ことしもこのブログを読んでくださるすべての方にとってすてきな一年になることをお祈りしています。

断絶の壁

話題:ふと思うこと。

自分の時間を優先することは、だれかと生きることを選択した時点でうしなわれていることに気づく。仕事と家事以外にしたいことはたくさんあるし、むしろそっちがメインで生きているからこそ仕事や家事をがんばっている。自分の時間のたいせつさを知っているからこそ、確保するためにこなしているのに、その時間を奪われるのが、だれかと生きるということ。

彼が借金返済のために始めたダブルワークを2日目で辞めたいと言いだした。そんな気配のするライン、帰宅してからの文句を聞きながら、辞めたいんだろうなと察する。案の定辞めると言い、責めてもないのに逆ギレをされ、寝るまえの読書時間をうばわれる。けど、ここで話を聞かないとだめなんだ。なんどもおなじ過ちを繰り返し、ようやく理解したことを実行する。ああ、人間関係ってめんどくさい。生ものだからこそ簡単じゃない。大事にしないとすぐこわれる。そんな繊細なものをあたしたちは何十年も構築している。

人間関係の失敗といえば、父親の死。あたしはいつまでも後悔をし、たのしかったことと苦しかったことが綯い交ぜになった記憶を抱えながらなにができたのか、いけなかったのかを考える。あたしが恋人と別れないのは、父親にできなかったことをちゃんと成し遂げたいだけなのか、妙な意地を張っているのだろうかと思うくらい、根深くあたしのなかに植えつけられている。あたしたちはなにを間違えたのだろう。父はなにを望み、死の間際になにを思い浮かべたのだろう。あたしたちはかなしむことすら許されない気がした。別れることを選んだら、そこで無理やり縁は断絶される。別れとはとてとつよい破壊。巻き戻せない時間を、あたしたちは尊く生きていかないとならない。重い十字架を背負いながら、きえない罪の意識とともに。

恋の種をポケットに

話題:プレゼント

12月になった途端、冬がやってきた。降ってきたような寒さにつつまれながら、この冷たさを待っていた自分に気づく。冬すきなわたしの季節が幕を開けたと独りごちた。

彼の誕生日にほしいものをプレゼントした。ふだんは簡単にしか作らない夕飯をすこしがんばって作りながら、わたしはこのひとの誕生日を自分の誕生日のように祝福しているんだなと知る。わたしのなかに、彼はまだいる。そう実感しながら喜ばれたプレゼントにセンスいいでしょうと冗談を投げかけ、だいじにするということばに満足しながら洗い物をする。用意したケーキは半分だけ食べ、残りはあしたと誕生日がすこしだけ持ち越されたようなうれしさがあった。わたしにとって誕生日は特別で、家族間で毎年の恒例行事となっているプレゼント交換に彼も含まれていることに、わたしたちの関係も恋人の枠を越え、家族へと向かっているような気がした。あたらしい出会いを期待しなくもないけれど、それは韓国ドラマを観たあとにあんなすてきなひとと出会いたかったという夢であり、非現実でフィクションになってしまっていることに気づく。わたしのなかにもう恋なんてはじまらない。枯れてしまった恋の種をポケットにしまいながら、時おり眺めて満足する。もう恋なんてはじまらない。言い聞かせているのか、断言してるのか、わたしたちの関係がこの先もつづく保証も自信もないのに、わたしはどうしてこんなにも悠長に身構えているのだろう。

ことしもあっという間におわりそだ。そして、来週には30歳になっていて、大厄に怯えているのだろう。
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