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全力恋愛していたころ

話題:最近観た映画

すこしまえに「やまとなでしこ」がすきだと書いていたら再放送が決まったといううれしい知らせが舞い込んだ。特別編集だとしてもあのおもしろさはきえないことだろう。とてもたのしみである。再放送が決まってからMISIAのEverythingばかり聴いてしまうくらいに心がはしゃいでいる。



観たかった「Red」を観た。島本理生作品を読むたびに映像化したほうがわかりやすいだろうなと思っていた。「ナラタージュ」を観たとき、その予感は確信に変わり、今回は予告を観たときから絶対にいいとおもっていた。フライヤーのデザインからすきがあふれ、観賞後はそのすきに満たされていた。ストーリーは、すきだった男に再会し、不倫してしまうというよくあるテーマなのに、演じる俳優陣の熱演や音楽、映像が世界観を確立させる。肌と肌がふれ合う艶やかさ、せつないときのピアノの音色、どれもが魅了してくる。島本理生作品に出てくる男は傲慢でやさしく、女は謙虚そうにみえて強欲。自分本位になりがちで読んでいるとなんて勝手なひとりよがりと思うこともあるのに映像はそれを納得させる説得力がある。そして、妻夫木聡がこんなにもかっこいいなんて知らなかったと見惚れた。妻夫木聡演じる鞍田さんのつめたい視線や一緒にいてもひとりでいる感じとか、すきなのにそれをことばでは伝えないのに行動では伝えてくる感じとか、キスの仕方から抱くしぐさ、大人にみえてよわい一面に惹かれてしまうあたしもまた島本理生ワールドの女だなとしみじみ実感した。

映画を観ていると自分の恋愛を思い出すときがある。「Red」を観ていたら、ひとりのひとに惹かれ、愛していたときの自分と再会した。あのくるしさ、もどかしさ、全身で恋していたときの全力恋愛していた自分はいつだってそばにいて、味方でいてくれる。

サナギのように繭にくるまる

話題:自分の気持ちがわからない

悩める27歳も、今年で28歳になる。年齢は数字にすぎないとなぐさめながらもうっすらと焦りがにじみ出る。姪に会っては、あたしにもこのくらいの子どもがいても変じゃないのにとか、籍は入れてなくてもしていることは熟年夫婦のような生活だなとか思ってしまう日々。彼と知り合って、かれこれ7年くらいの歳月がながれ、ようやく同棲するまでにステップアップしたものの、この先をどうしていけばいいのやら。結婚や子どものことをどう考えているのかもよくわからない彼に、あたしはこわくてなにも聞けない。そんな一方で、ほんとうに結婚したいのか、子どもがほしいのかという疑問。周りがしているからしなくてはいけないのではという意識にのまれているだけで本心では今のようなぬるま湯な関係もわるくないとどこかではおもっている。これまでしてきた経験や貯めてきたものを結婚しただけで共有しなくてはいけないことへの恐怖心。結局のところ、あたしは自分以外をあまり信用できていない。お金で揉めていた親をみていたからか結婚自体にもゆめはなく、子どもがいることで貧困になり崩壊したわが家での経験が子どもを持つということを消極的にさせる。反面教師ということばもあることはわかっているけれど、今の彼とはおなじ末路を歩むのではないかという不安がぬぐえない。みんなはどんな気持ちで結婚を決め、生活を送っているのだろう。ネガティブすぎるあたしの思考回路は、ひとりで考えるたびにどんどん深いところへ落ちていく。

いろんな人生を考える。転職をしてみる。住む土地を変えてみる。彼と別れる。現状維持。そのどれもが正解にみえる。けれど、今のあたしはなにかを変えたいとつよく思っている。今すぐにではなくてもなにかしらを変えなくてはならないというひとつの意思のように。7年も一緒にいれば、いいところもわるいところもわかってくるし、慣れてしまう。このままでいいのかもとあまえたくなる。それでも変化を求めたのは、実家の引っ越しが関係している。祖母が暮らしていた家が、あたしのあたらしい実家になった。そこは山に囲まれた自然にあふれた土地で不便ではあるけれど、いろんなものから解き放ってくれるふしぎなかるさがあった。あたしはどこでもやっていけるし、選ぶ力があって、生きていける。そんなふうにおしえてくれた。

それにほんとうは知っている。男が結婚の意思をみせないのは、こっちにも問題があるってことを。結婚したいとおもわせてくれる相手なら、結婚したいって自然におもうだろうし、話題にもあがるだろう。あたしたちはいつだって自分のことばかりでいやになっちゃうよ。

さかのぼる

話題:ひとりごと

日々更新し、進化してくのにあたしは逆流している。リバイバルとかそんなことよりも、もっとふつうにむかしのものがすきで性にあっているだけのはなし。小泉今日子のあなたに会えてよかった、を聴きながら、こんなふうに恋がしたいと思い、小泉今日子かわいいなとときめく。
最近、再放送が多くてうれしいのはあたしだけじゃないみたい。個人的にすきでもう一度見たいドラマは再放送していないけれど。「やまとなでしこ」「恋ノチカラ」「ロングバケーション」は何度も見たいし、「高校教師」「白線流し」は見てみたい。小学生から中学生のころに見ていた作品が未だにすきだという停滞感はあるけれど。小学生のころは松嶋菜々子にあこがれた。ほんとうに「やまとなでしこ」のときのうつくしさといったらもう。唯一無為なの魅力をもっているひとたちがおおい時代だったのだろうか。あたしもあの時代に20代で生きてみたかった。



ラジカセがほしいとおもった。学生時代はラジオを聴く生活が当たり前で、糧だった。ラジオもアプリで聴ける時代になったけれど、あまり慣れないというか好みじゃなかった。自然とはなれたラジオを恋しくおもう。家電量販店のポイントが余っているから買ってみようかな。いいかげん、アイロンと台も買わないとシャツを着ることができない。なくても生活はできるけれど、あったらきっとたのしくなる。あまり部屋にものを置きたくなくて保留していたけれど、ラジカセもアイロンも台も置く場所のあてはまったく検討もつかないけど、そんなことがいとおしかったりする。

そのうつくしさは一目瞭然

話題:ひとりごと

あたしは、90年代、2000年代前半のドラマがすきでなんども観たりしている。いまのドラマもおもしろくないわけではないけれど、一度観ればいいかな程度にしか思い入れもなく、すき間の時間をうめるように観ているような感覚で放送当時はふわふわと待ち遠しくなるのにおわってしまえば薄れてしまう。量産されすぎたドラマは内容よりもそのクールを落とさず、なんとか着地させるような、ストーリーよりももっとべつのものを気にしているような、視聴率がとれるからとおなじような内容のドラマがおおく、おなじような顔の役者がでることで既視感さえ感じてしまう。先がよめてしまうストーリーでもおもしろい展開があればのめり込んでしまうのに、量産されたドラマは消耗品のようで、さみしいものだと個人的にはおもっている。

冒頭で書いたようにむかしのドラマがすきなあたしは、放送当時は幼いために観ていないものもおおく、物心がついてからレンタルや再放送で観たそれらの作品は未だにおぼえているし、観たりもする。王道な純愛ものがだいすきがゆえなのだろう、あの時代の作品があたしの感性と相性がいい。最近、再放送されている「愛していると言ってくれ」の純度の高さといったらもう、あのせつなさ、うつくしさに胸がしめつけられる。トヨエツと常盤貴子のうつくしさはほんとうに見惚れてしまうほどすてきで異次元。行間や表情、そのすべてに惹きつけられてしまう。いまのように便利じゃなかった時代だからこそのすれ違いや奇跡、簡単には連絡がとれないからこそのやりとりのたいせつさ、それらの過程が恋を愛に育てるのだと気づかされる。出会って、恋心を生み、その恋が愛になる瞬間をストーリーが進むにつれて感じる尊さ。その一歩一歩に一喜一憂する。今も思いだすだけでいとおしくなる。そして、主題歌のLOVE LOVE LOVEをいろんなアレンジでドラマのなかでかけるのもまたよくて、観終わるころにはLOVE LOVE LOVEがだいすきになっている。再放送をすべて観たらまた感想を書こうとおもう。

それにしてもあの時代の女優や俳優のうつくしさはなんだろう。ほんとうになるべくしてなった、才能のあるひとたちだというのが一目瞭然。(ちなみに、小学生のあたしのあこがれは松嶋菜々子だった。)もうすこしまえのアイドルもまたそうで、松田聖子なんてほんとうにアイドルだなとおもうし、歌もうまい。希少性というのもあるのだろうか。現代の量産され、似たり寄ったりのだれがだれだかわからないあたしは時代に遅れながら(もはや、取り残されながら)もすきなものをすきだと言っていられるあたしでありたいとおもう。
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